「フリー百科事典」なるネット情報欄の「古森義久」という項目の冒頭に「自称ジャーナリスト」などという名誉毀損の記述があったことを自分のブログで書いたら、「WIKIPEDIAの筆者を誹謗・中傷し、改変、削除を煽った」なんて今度は書かれました。
古森の項目の一定部分を削除するか否かの議論の過程での一部の人による記述です。また私が自分の名誉のために指摘したことが「威力業務妨害を問われる暴挙」だという記述もありました。
自分のブログで自分に関する根拠のない悪口を指摘することが威力業務妨害とは、他者への攻撃にしても、病気ですね。
なおこの「百科事典」の私に関する項目に私のブログから引用した記述が「著作権侵害」になるそうですが、私はそんな著作権は放棄しています。ここのブログに自分で書くことは自分で責任を持ち、他の場所で引用されても構いません。
私はWIKIPEDIA自体を誹謗も中傷もしていません。
多数の人がみる場所で自分への事実無根の悪口を書かれることの問題点を指摘しているだけです。
コメント
コメント一覧 (20)
アレは単なる場であり、wikipediaの精神には何の偏向もありません。ただ、利用者の中に良識ある者も悪意ある者も両方いて、そのどちらでも自由に編集できるというだけです。声が大きくて粘着質な者の意見が最後に残ってしまいかねないというのが構造的な問題であるとは思いますが。
>さくこやの花様
私も産経新聞の事を評価している1人ではありますが、簡単に削除依頼を出すというのには反対です。wiki上で攻撃されたのならば、wiki上の編集についての議論で戦うべきであると考えます。それに、安易に削除依頼をしてしまうのは多くのネットユーザーを敵に回す行為です。ネットユーザーは、それを「ネットの言論の自由を弾圧する行為だ」と取るでしょう。産経新聞もマスコミであり、ネットの個人よりはるかに強い力を持った存在です。そのような事をすれば、産経新聞そのものが槍玉に挙げられ、取り返しのつかない事になりかねません。
どこまで情報を信じるかが見る人に委ねられるという、インターネット特有の非常に特異な"百科事典"です。
勝谷誠彦氏の項目ではかつて酷い罵詈雑言が並べられていましたが、いつの間にかそれのいくつかがなくなっていました。未だに"百科事典"とは言えないくだらない内容で、かつ「半保護」ですが。
勝谷氏のことを何も知らない人は、昔に見たら勝谷氏を酷いヤツだと思い、今見たら勝谷氏を怒ってばかりいるヤツだなと思うでしょう。
ただそれも、もう少ししたら、もうちょいマシになるかも知れません。
古森氏の項目に関しては、もうキリがないので、見る人を信じて気にされない方がいいんじゃないでしょうか。編集合戦されている人物は、人々の注目を浴びている人気者なんですから。一種の勲章のようなものでしょう。
分かる人は分かるし、バカが書き込むデマや誹謗中傷は、他の人が消してバランスを取ってくれるんじゃないでしょうか。
ただ、Wikipediaをよく知らない人が書き込まれた嘘を信じてしまうのだけは問題なんですよね。ブリタニカのような"百科事典"だと思い込んでいる人。それらの人がどのくらいいるのかは知りませんが、諦めるしかないのかも知れません。
解決方法がない難しい問題ですね。
とにかく誰でも勝手に書ける時代、発信できる時代が来ました。
書き込む、削除する。誹謗する、擁護する。醜い罵詈雑言。修正。今はまだいたちごっこかもしれません。
怖いけどここは力をあわせて乗り越えたいですね。
ネットの便利さは充分に享受しているのですから。
何とか次の時代に流れを変えたい。ネットパワーの融合収斂をと切に願っています。
新しい時代はすぐそこまで来ています。新しい広場も次々に生まれています。
どど~ん!!と流れる音が聞こえるような気がします。
勝手な旗振りで情報が捻じ曲げられた時代の終焉。
きっちり光をあてれば必ず暗部は溶けます。
希望を捨てずに待っております。御健筆を心からお祈りしております。
古森様ご自身のブログでご自身に関する根拠のない悪口を指摘すること自体は、なんの問題もないとは思います。思いますが。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/34171/ における古森氏ご自身のコメント(2006/09/05 10:56)
> しかしだれでも書き込めるというウィキペディアに対して
> 逆襲の方法はないのでしょうか。自分個人に関するウソ八
> 百の悪口を「百科事典」に書かれた人間はどう逆襲できる
> のでしょうか。そのインチキ「事典」に自分も書き込める
> のか。インチキを書いた人間の身元がわかる方法があるの
> か。誰か知ってたら、教えてください。
わたしには、これが煽り行為と取れました。
ご自身について信憑性の薄い内容を書き込まれたことについて憤慨なさるお気持ちはお察しいたします。むろん、このような記事は修正・編集されるべきであり、このような内容でいいとは思っていません。
が、だからといって「逆襲」などという不穏当極まりないなタームを使われた時点で、古森様のウェブログの読者に対し、一種の煽り行為を行ったと思わざるを得ません。これがもっと直接的なタームであれば、文句なしに『威力』に問われることでしょう。
なお、古森様のウェブログが転載された件について出されている削除依頼ですが、ウェブログには産経新聞社の Copyright 表記がなされています。このため、古森様ではなく産経新聞社に著作権がある職務著作と捉えるのが一般的な解釈であり、もし著作権を放棄なさるのであれば、古森様ではなくて産経新聞社による放棄手続きまたは表明が必要になります。(実際には、その著作物をさらにGFDLに適合させるための手続きが必要になります。GFDLについては http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html または http://www.opensource.jp/fdl/fdl.ja.html をご参照ください。)
ネット上で不当な攻撃をされたことへの自己防衛の対応を「逆襲」と表現することは、これまたネット上の言葉(実際の物理的な逆集の意味がないことは自明です)として「不穏当極まりない」とは、ネットの世界と実世界とをご自分の都合よいように意図的に混同させていらっしゃるようですね。
ネット上で「誰か知ってたら、教えてください」と書くことが「煽り行為」だとは、これまたある人に「あなた疲れてますね」と言ったら、その真意は「お前、もう死にそうだね」と告げることだ、というような妄想的跳躍が古畑様の対応に感じられます。ところで「威力」に問われるとは、どういう意味ですか。
私のウエブログの記述の著作権については、私が放棄するというのはもちろん産経新聞社の同意をも得るということです。産経と私の両方でこの特定の記述の著作権を放棄するので、どうぞご自由に使ってくださいと述べ、そのための正規の手続きをとれば、いまのウイキペディア問題を古畑様はきちんと解決してくださいますか。
いや、あの、過剰防衛って言いませんか、それ…
早い話が「やられたからやり返す方法を」という意味合いですので、やっぱり不穏当さは否めないと思うのですが。
> 産経と私の両方でこの特定の記述の著作権を放棄するので、
本ページ下部に『(c) Copyright 2006 The Sankei Shimbun. All rights reserved.』とある以上は、その問題はどうやっても解決しないと思います。
「逆襲」という言葉が穏当か不穏当か、古畑義徳様(本当のお名前かどうかは知りませんが)に対する捏造の中傷がネット上で公開されることは、不穏当ではありませんか。まずそうした不当な攻撃がなければ、「逆襲」もなにもありません。しかしその当初の「攻撃」の不当性はいっさい不問のままで、その不当への対応だけを非難する。しかも不当な中傷については「信憑性の薄い内容」と、善意をこめたような描写をする。古畑様の発想のおもしろさを楽しんでおります。
著作権の件ですが、当事者が放棄すると宣言するのですから、「どうやっても解決しない」という見解は理解できませんね。「解決したくない」というのなら、理解できますが。
ところで著作権についてですが、ウイキペディアの私に関する記述では以前に私自身が著作権が明記されている他のウエブサイトで書いたことが勝手に転載されていました。私を攻撃する目的での文脈をはずした悪意の引用、転載でした。
その際も古畑様のような良識があり、著作権に詳しい方々がごらんになっていたようにも拝察するのですが、ふしぎと「著作権侵害の転載」という指摘はまったく出ませんでした。
結果として私を擁護する趣旨の記述に対しては「著作権侵害」の非難が出て、私を中傷する記述のための転載では、なんの非難も出ない。そんな印象を受けます。
言論では論争はつきものです。しかしあくまでその対象は公の性格を有するテーマに限られるべきだと思います。自分と異なる意見の相手に個人的攻撃を浴びせるようなことは、避けたいですね。私は政策論争は活発に始めますが、いつのまにか私個人への中傷、誹謗が返ってきます。
今回のウイキペディアの記述の件もその例の変形だと思います。個人に対するウソやデマや悪口ということです。
私も打たれ強くなったので、デマなどを飛ばされると、士気はかえって上がります。
>著作権の件ですが、当事者が放棄すると宣言するのですか
> ら、「どうやっても解決しない」という見解は理解できま
> せんね。「解決したくない」というのなら、理解できます
> が。
もう一度書きますが、このウェブサイトおよびウェブログに関しては「(c) Copyright 2006 The Sankei Shimbun. All rights reserved.」と、産経新聞社が著作権を主張しています。古森様が『当事者が放棄すると宣言』されても、もう一方の当事者(産経新聞社)が『著作権を保有する』との明記をなさっているわけですので、矛盾の状態にあります。
解決したくてもできない状態であることをご理解ください。
ご助言、ありがとうございます。
私の書く文章では怒りを感じさせるのかも知れませんが、本人はまったく怒ってはいません。むしろ楽しんでいるくらいです。一喜一憂とはほど遠いといえます。ご安心ください。
何のために産経新聞社(と産経デジタル)が「記者ブログ」を開設しているのか考えてはいかがでしょう。
古森さんと産経新聞社がまったく無関係であるなら、「著作権」の形式論議でも十分なのでしょうが。
そうとは思いません。
>早い話が「やられたからやり返す方法を」という意味合いですので、やっぱり不穏当さは否めないと思うのですが。
産経と朝日がよくやる社説の「文通」も、早い話が「やられたからやり返」してるんですよ、双方が。
「不穏当」というのは感覚の違いですね。「過剰防衛過剰防衛」「不穏当不穏当」と煽ってここを「炎上」させたいなら話は別ですが。
産経が運営する産経の記者ブログであり、それに何らかの意味づけや意図があっても、著作権法があり、Wikipediaには著作権に関するガイドラインがあります。
(c) Copyright 2006 The Sankei Shimbun. All rights reserved.
これがある限り、丸ごと引用するのは無理です。仮に無くなったとしてもやはり困難でしょう。
むしろ引用は最小限にし、客観的に要約し、原典遡及性を損なわないことが引用者の腕の見せ所と思います。論敵の文章を丸ごと転載して、批難するのは、相手の褌をつけて土俵の外から罵声を浴びせるようなもので、恥ずかしい行為でしょう。
古森氏がWikipediaをご批判されるブログエントリを書かれた事にWikipedia側の誹謗中傷と著作権侵害という点で正当性があると思いますが、一方で、Wikipediaを十把一絡げに批判されるのは見当違いと思います。Wikipediaに左寄りの人が目立つのは事実ですが、所謂右に分類される人も大勢います。左派人士の項目もそれなりに真っ当な批判的記述がなされていますし、英語版ではKorian biasによる日本の偏執狂的な誤った記述を訂正する努力をされている人がいます。
まぁ、故橋本龍太郎氏については「売国奴」、「天罰により腹が腐って地獄行き」「支那に金玉握られた」などというような意味の内容が書かれた挙げ句、未だに「保護」で無難な内容の状態のまま書き込み禁止というのが面白いです。私も氏ことをNPOVに従ってじっくり料理したいんですがねぇ。
私は、個人誹謗の「フリー百科事典」http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/34171/のエントリだけで十分だったと思います。これにより異常な記述に気がついた人達が記述の正常化に動き始めていました。その後はおなじみの編集合戦で、これはもう放っておけば良い状態です。変な記述は削除、訂正され、終いには著作権侵害で特定版削除審議中です。
Wikipediaは2chと似たような側面があり、反応すればするほど、相手が喜んでエスカレートするものと思います。変な書き込みをしている人も実は大まじめなんですがね。だからこそ、下手に反応すると喜んであげ足を取られます。
基本的に同意します。
ことに「Wikipediaは2chと似たような側面があり、反応すればするほど、相手が喜んでエスカレートするものと思います。変な書き込みをしている人も実は大まじめなんですがね。だからこそ、下手に反応すると喜んであげ足を取られます」はその通りだと。
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産経が運営する産経の記者ブログであり、それに何らかの意味づけや意図があっても、著作権法があり、Wikipediaには著作権に関するガイドラインがあります。
>(c) Copyright 2006 The Sankei Shimbun. All rights reserved.
>これがある限り、丸ごと引用するのは無理です。仮に無くなったとしてもやはり困難でしょう。
そうです、それが形式的にも瑕疵のない、きちんとした議論です。
ただ、古森さんが「結果として私を擁護する趣旨の記述に対しては『著作権侵害』の非難が出て、私を中傷する記述のための転載では、なんの非難も出ない。そんな印象を受けます」と仰られるような現状では、そういう形式的に瑕疵のないきちんとした議論ができる状態ではありません。残念ながら。
であれば、事の実質的な部分をとらまえて論ずるしかなかろう、というのが私の主張です。
しかし、それはイレギュラーな事態であり、この件では端的に「著作権」一本の議論ができる状況までwikiが正常化することを願います。
あぁ、そういう意味でしたか。私も同意します。
Wikipediaの弱点は、2chにも増してモデレータがいない点です。それでもまだ、きちんとノートで議論すれば良いのに本文の編集合戦になり、無茶苦茶になってしまう事にもあると思います。あまりにも善意に依すぎている。しかし、現状を越える運営手法は今のところ無いというところでしょう。
出来れば、これを機会により多くの方にWikipediaの執筆に参加して頂くのが解の糸口かと思います。プロパガンダや誹謗中傷が目に余るのなら、粛々とガイドラインに則って事実を書いて行けば、悪貨を駆逐することが出来ます。変なことを書く人の数が雲霞の如く多いとは思えませんし。
正直なところ、英語の出来る人、「右」と言われる人の絶対数が全く足りないんですよね。日本の「右」は世界の中道左派と思うんですが。(私のよく知っている米国ロバ公のインテリ支持者なんて、Sep.11のあと、タリバンを核の嵐で吹き飛ばせと息巻いていたが。)
もちろん、逆の立場から変な人達の真似をしたら駄目です。
ウィキペディアの執筆者は社会の縮図ですから、9割以上は中立的なまともな人ですが、中にはおかしな人もいます。おかしな人がおかしな記事に書き換えても、まともな人がいずれ直してくれるのですが、24時間365日監視できるわけではありませんので、今回のように間の悪いことも起こりえます。なにとぞご理解ください。警告していただいたのはありがたいことだと思っております。
メッセージを拝読しました。
きわめて納得のしやすいご説明です。
「おかしな人がおかしな記事に書き換えても、まともな人がいずれ直してくれる」という説明を真実と信じ、将来に希望を託すこととします。