小泉政権から安倍政権の当初まで、朝日新聞は「日本は首相の靖国参拝のためにアジアで孤立している」という趣旨を頻繁に主張していました。
私は「日本は孤立などしていない」と折にふれ、述べてきました。そして中国政府がそういう「印象」を人工的につくることに必死になっているだけだ、と説明してきました。
すると朝日新聞側は「日本は首相の靖国参拝のために北東アジアで孤立している」と述べるようになりました。北東アジアとは日本を除けば、中国と朝鮮半島、モンゴルなどを含む地域です。
でも私は「日本は北東アジアでも孤立などしていない」と反論しました。日本は中国と韓国の両方と経済のきずなを深めているし、文化の交流も人的交流も拡大している事実を指摘しました。そして「日本は中韓両国との首脳会談をしていないだけで、首脳会談を靖国と政治、外交面で結びつけたのは中韓両国の作戦にすぎない」とも解説しました。
さて安倍首相は中国、韓国両方との首脳会談に出席しました。でも日本とアジアの関係は一年前、半年前にくらべて、他にはなにも変わっていません。日本側では首相は靖国参拝について止めるとは一言も述べていません。靖国参拝の中止を事前に言明することを求めていた中国も、そんな要求はいまはすっかり口をぬぐって、知らんぷりです。
だから「首相の靖国参拝のために日本は孤立」という朝日新聞流の「因果関係」では原因部分の靖国参拝にかかわる状況は従来と基本的には変わっていないことになります。
となると、結果部分も変わらず、日本はなお孤立していることになります。
ところが首脳会談だけは開かれました。朝日新聞が「孤立」の現象面での最大唯一の特徴としていた「首脳会談非開催」の要因はなくなったのです。そうなると、日本の「孤立」はもう消えたのだという理屈も成り立ちます。
さあ、上記のようなわかったような、わからないような現状を踏まえての質問です。
日本はいまアジアで孤立しているのですか。
日本はいま北東アジアで孤立しているのですか。
朝日新聞さん、教えてくれますか。
(私自身の解答は「日本は最初から孤立していなかった」となりますが)
私は「日本は孤立などしていない」と折にふれ、述べてきました。そして中国政府がそういう「印象」を人工的につくることに必死になっているだけだ、と説明してきました。
すると朝日新聞側は「日本は首相の靖国参拝のために北東アジアで孤立している」と述べるようになりました。北東アジアとは日本を除けば、中国と朝鮮半島、モンゴルなどを含む地域です。
でも私は「日本は北東アジアでも孤立などしていない」と反論しました。日本は中国と韓国の両方と経済のきずなを深めているし、文化の交流も人的交流も拡大している事実を指摘しました。そして「日本は中韓両国との首脳会談をしていないだけで、首脳会談を靖国と政治、外交面で結びつけたのは中韓両国の作戦にすぎない」とも解説しました。
さて安倍首相は中国、韓国両方との首脳会談に出席しました。でも日本とアジアの関係は一年前、半年前にくらべて、他にはなにも変わっていません。日本側では首相は靖国参拝について止めるとは一言も述べていません。靖国参拝の中止を事前に言明することを求めていた中国も、そんな要求はいまはすっかり口をぬぐって、知らんぷりです。
だから「首相の靖国参拝のために日本は孤立」という朝日新聞流の「因果関係」では原因部分の靖国参拝にかかわる状況は従来と基本的には変わっていないことになります。
となると、結果部分も変わらず、日本はなお孤立していることになります。
ところが首脳会談だけは開かれました。朝日新聞が「孤立」の現象面での最大唯一の特徴としていた「首脳会談非開催」の要因はなくなったのです。そうなると、日本の「孤立」はもう消えたのだという理屈も成り立ちます。
さあ、上記のようなわかったような、わからないような現状を踏まえての質問です。
日本はいまアジアで孤立しているのですか。
日本はいま北東アジアで孤立しているのですか。
朝日新聞さん、教えてくれますか。
(私自身の解答は「日本は最初から孤立していなかった」となりますが)
コメント
コメント一覧 (29)
いつも話題をいろいろとありがとうございます。
特に、国際教養大学副学長のグレゴリー・クラークの逝かれ振りを白日の下に晒していただいて...日本国内での動きがどうなるか楽しみです。尤も、未だに、クラークは、日経などで論評?を書いているようですが...
とうことで、朝日なんていい加減なド左翼メディアの代表であることは周知なので、端から相手にしていないので、実はあまり関心はないのですが、近くの書店で週刊誌を立ち読みしてたら....(週刊誌がソースとしてどうかはさて置き)
朝日新聞は広告が集まらなくて青息吐息らしいですね...で、それをお助けしてくれたのはなんと、創価学会に公明党...
広告の掲載はもとより、聖教新聞と公明新聞の印刷の請負のようですね...まぁ、これはよく指摘のあることですが...それで、創価や公明の批判はできない...
マスコミが魂を売り渡したらもう終わりでしょうね...死んだな朝日。
そういう意味では、創価に相手にされていない産経紙は立派ということになるのかな....ご判断は皆さんに。
お嫌いのようですねぇ、「朝日新聞」さん。
まあ、あの新聞はあの新聞でそれなりの「存在意義」はあると思うのですが…
中国政府にしろ韓国政府にしろ「自国のNationalismを高揚させるのに都合のよいように」方針をとったためにああなったんでしょうけどね。おかげで中国にしろ韓国にしろ「後に引けなくなってタイミングを計っていた」ってところなんでしょう。
それを、朝日新聞さんは「自説を流布するのに都合のよい環境が整った」として利用しただけなんでしょうが…今になると「ブレが目立つ」事になり、結果としては信頼度が下がっただけかも知れませんね。
わたしは外交的にはこれ以上ないというほど孤立した国・台湾に住み仕事をしています。日本のあるテレビ番組で台湾を五星紅旗と「中国・台湾省」と表記しているのに腰を抜かしたことがありますが、それが示すように大部分の国家から国としての実態すら認められていません。おまけに、150キロ離れた隣国からミサイルを800発以上向けられているという日本人が考える以上に「孤立」しきった「国」ですが、実際には日々の経済活動その他日本となんら変わらぬ市民生活が営まれています。だから、「孤立」と聞いただけで神経過敏になる人に対しては、必要以上に恐れることはないって言いたいですね。
朝日は、以前、日本は世界で孤立する、とも書いていたような気がするのですが・・・・
しかし、現住国含めて、これまで仕事で50カ国に滞在しましたが、庶民層の反感が日本くらい少ない国も世界では珍しいのではないでしょうか?
中韓両国へは行った事がありませんので、判りませんが、それ以外のアジアでしたら、行っていない国の方が少ないのですが、あからさまに嫌みを言われた事があるのはフィリピンだけです。それもビザの問題でした。
逆にクラーク氏のような、高い教育を受けた、庶民とは言えない、先進国の人の中には、理由無き反感を持つ人も居るようですが・・・・
アフリカなどのように、直接的関係が少ない地域ならまだしも、日本軍が進駐した地域や、南米のように日本人移民が多く在住する地域ですら、否、かのロシアですら、日本、日本人に反感を持っているとは思えませんでした。これまでの経験から言えば、米国南部辺りが一番日本人への反感が強く思えてしまうくらいです。(ダラス・フォートワース空港で、税関吏に"hey, jap"と言われたことがあります。)
朝日の記者さんは、私などの目から見ると、どうも国外で生活した事が無いんじゃなかろうか?と思えてしまいます。もし、一度でも中長期に亘って国外生活をした事があるのなら、朝日の記者さんは嘘を書いている事になるのではなかろうかと思います。
新聞記者といえど、思想信条はあるわけですから、それが記事に現れるのは致し方ないとは思いますが、天下の公器としての新聞で「嘘」は問題だと思います。
批判するにたる言論機関なのですか。
私は孤立する朝日新聞というふうに見えています。
業界の外にいる私には、すでに朝日新聞は批判するにたるレベルではなく、朝日新聞に代わって日本のまっとうな論調をサンプリングできるメディアを誕生させる時期が来ているのではないでしょうか。
もちろん、こつこつと間違いを指摘していく作業は必要ですが、もうひとつ、揺ぎ無い事実、現実を提示する場所の構築を目指して欲しいものです。
香港(だったはず)駐在の朝日記者は、すっかり現地になじんで、海賊版DVDを見るのが趣味と自らWEBで告白してましたよw
朝日のサイトで見た記憶があります。もう訂正しちゃったと思いますけどね。
「日本は孤立してない」は当然の話だと思います。
仕事がら韓国や中国との取引を多少していますが、日本の孤立は結局アジアの孤立を意味する程、日本は必要とされています。
願望として「孤立して欲しい」と思って観るから「孤立している」と言うのだと思います。
正しい分析力を失うと、第二次世界大戦の「ナチス・ドイツは強い、乗り遅れるな」と国民をあおった失敗を繰り返す恐れがあります。
気をつけよう大本営発表と朝日新聞。
コメント諸氏も亡国新聞の減部にご協力願います。
ご指摘の週刊誌とは週刊新潮のことと思われますが、同誌の記事はいつも強烈なスピンこそかかっていても、基礎となる事実関係はきわめて正確な場合が多い(他の週刊誌にくらべて)というのが、私の長年の感想です。
だから「情報源」としても、週刊誌だからちょっと、という反応は私の場合は起きません。
朝日新聞というのは私の場合、好きとか嫌いという対象ではなく、一種の比喩なのです。日本の戦後のエセ平和主義、エセ社会主義、エセ人道主義などのエッセンスをしぼりこんでいくと、あの新聞のイメージになってくる、という感じです。
具体的な批判は『朝日新聞の大研究』(稲垣武氏、井沢元彦氏との共著)などでたっぷりと提示させてもらっています。
「孤立はいいですか、悪いですか」と問えば、普通の人は「悪いです」と答えるというご指摘、本当に詐術ですよね。
「戦争」という言葉も同様のようです。「戦争」を「防衛」に置き換えると、感じががらりと変わります。「平和」はよいに決まっています。でも外国に占領されたり、オウム真理教のような無法集団に支配されても「平和」は「防衛」よりもよいのですか、と問いたくなります。
台湾には私も特別の思いがあります。日本人であること自体がなにか楽しく思えてくるほぼ唯一の「国」ですね。もっともベトナムでも「親日」はかなり体験しましたが。
だから日本人の若者にはことあるごとに「日本について知りたかったら台湾に行け」と奨めています。先日も知り合いの宝塚歌劇団の現役の若い女性たちが初めて台湾を訪れるというので、同僚の産経新聞の長谷川周人支局長に一言かけると、台湾の若者たちと宝塚女性の懇談の機会を作ってくれました。その結果、宝塚女性たちは文字どおり感動して日本にもどりました。日本にこれほど温かいまなざしを向けている外国と外国人たちが存在することは夢にも知らなかった、というのです。
余分なことを書きすぎたかも知れません。でも台湾と聞くと、つい熱がこもるのです。
日本を敵視&靖国参拝に反対しているのは、世界でも中・朝・韓の3ヶ国だけということをアピールするためにも
「特定アジア」というネット発の言葉を世間に広めたい(笑
台湾への熱い思いをうかがい、同じ台湾を愛する一日本人としてとてもうれしく思います。台湾に住んで多くの台湾人と付き合ってきましたが、確かに「ちょっと過大評価じゃないの?」と心配したくなるほど日本に対して好意的です。朝日をはじめとする一部自称進歩派メディアはまるで日本が「孤立」したアジアの鬼っ子のようなイメージを喧伝していますが、台湾の人と触れ合えばそれがいかに愚かなウソかということがわかります。
しかし、産経を除く多くのメディアでは、経済とエンターテイメントの以外の分野で台湾というのはまるで存在しないかのような扱いを受けています。おかげで、日本人の多くは台湾の本当の姿をほとんど知らされていません。今の日本で台湾の現在のトップである陳水扁氏の名前を答えられる人がどれだけいるのか疑問です。その原因は中国への遠慮ということでしょうが、これは明らかにメディアの怠慢であり、最も近しい隣人に対してあまりにつれない態度ではないかとついつい義憤に駆られてしまいます。
古森様、今は北朝鮮の問題で台湾のことなど忘れられていますが、そう遠くない将来、日本は台湾問題に対してどう向き合うのかその判断を迫られると思います。その時、日本人が朝日などの撒き散らす「孤立」「戦争」というおどろおどろしいフレーズに翻弄され誤った判断を下さぬよう、産経や古森様には台湾報道の充実を願ってやみません。わたしも台湾のこととなるとつい熱くなるので、長々とした文章失礼いたしました。
「庶民層での日本への反感が少ない国」は世界に多数あるというご指摘は、私は初めて東南アジアに出た30年前に体験して、「なんだ日本で言われていることと違うじゃないか」と感じたものでした。具体的にはベトナム、カンボジア、タイなどでした。
東南アジアはいまはもっと日本を身近に感じていますよね。
それからインドの日本への尊敬というのは否定できません。
この点は最近、日本で話題になった『中村屋のボース』という本でおおいに啓発されました。おもしろいですよ。
北京ではチャンドラ・ボースと東条英機を描いた日本映画『プライド』のビデオについてインドの外交官に話したら、貸してくれと頼まれ、貸したら、「感激したので、同僚に貸したい」と次々に言われ、ついに返ってこなかったという経験もありました。
elebras様の同様の実践的な体験を重ねられているようですね。この種の体験から得た考察はなかなか揺らがないものです。
アメリカでは日本研究学者らの間で朝日信仰はまだ強いようです。一般では日本の他のメディアも含めて、認知は低いですが。産経も最近は米側の日本とかかわる人たちの間では急速に知名度をあげていると思います。
読売が日本一、世界一の部数なのに、意外と認知度、引用され度が低いようです。もっとがんばってもらいたいですね。
朝日の記者には海外経験が豊富な人は多数います。
論調が特殊なのは個々人の資質の適否というよりは、構造的な要因でしょう。
だから個人として話すと、私でも朝日の記者の方々に違和感を感じる場合は少ないのです。
しかし朝日新聞はいまのまま、変わってほしくないです。
その理由はこれから申し上げる機会もあるでしょう。
実は私は朝日新聞にいまの論調、スタンスを変えないでください、変えないでください、とひそかに祈っているくらいなのです。
「日本の孤立は結局、アジアの孤立を意味する」とは、かなりの至言ですね。朝日の社説の対極に位置する、現実をみすえての結論のようです。
朝日新聞は主張は変えないよう、ある意味で支援していますが、一般の人の購読が減ることは別に悲しみません。朝日の描く日本や世界と現実の日本や世界の間の断層に気づくには、海外で生活した場合が多いようです。
私は、赤旗の日曜版を購読する親のもと、朝日新聞を読んで大人になり、このところの10年は日経新聞を読んできて、この秋、体脂肪ボールをもらって産経新聞に乗り換えたものです。
私の論調は、私のイザのブログを読んでいただいても分かるのですが、いま、私が産経新聞に素直に感じるのは「戦略としての正論」です。
私は、竹村健一氏をずっと尊敬していたのですが、報道2001で「マスコミがずっと左よりだったので、私は右よりの発言をして頑張ってきた」と自らを評していたのを聞き、がっかりしました。
世の中が左に偏向しているから、右。もちろん、右という選択肢が正しければ問題はないのだけれど、そういう精神というものの卑屈さを感じずにはいられないのです。
☆
知人の時事通信社の湯川鶴章氏は、「これからのジャーナリズムに必要なのは、対話とアクティビズム」であると述べられています。私は、右左ではなく、そういう視点で新聞が峻別されていく時代が来ると思っています。ですから、朝日新聞への批判は無価値ではないかとのコメントをしました。(それは古森さんのアメリカの話で価値があると理解しました。)
勿論、湯川氏の言葉が価値をもたないというなら、仕方のないことですが、「記事構成が対話を欲しているか?」「記事の内容がアクティビズムを欲しているか?」とそのような尺度で検証したときに、なかなか合格点を産経新聞をさしあげることができぬ。
僭越ながら、そのように感じております。
実は、そのような現状を打開するのが古森さんであり、そういう期待をして、このブログに書き込んでいます。
今後とも、期待しております。また、私も微力ではありますが、協力していきたいと思っています。
「記事構成が対話を欲しているか」「記事の内容がアクティビズムを欲しているか」という尺度を具体例でどういうことか、考えるのは率直に言って、難しいですね。
もうちょっと考えさせていただきます。
具体的に書いてしまうと、批判になってしまうので具体的には書きませんが、読者、読者発信者、記者、メディア経営者、それぞれがそれぞれの立場で誠実に発言していく。コミュニケーションを逃げない。相互理解を促す。そういうことが理想だと思っています。
しかし、現実はなかなか難しい。それは、私のイザのブログで交わされた記者さんのコメントから理解できると思います。結果、私はイザで書かぬようになった。
☆
ブログというものが世の中に向けた窓だとしても、そこから吹き込んでくる風がその組織を脅かすようならば、窓を占めざるを得ない。そんな道理を感じ、私の方からコミュニケーションをやめたのです。もちろん、それは企業体の行動としては当然のことなんでしょうけども、そういう機構を少しづつでも改善していくことはできぬものかなぁ…。と、考えています。
アクティビズムとは、「批判のための批判になっていないか」。もうひとつはネットとマスコミに関わる問題。
「自説の援用のために読者の意見だけを紹介していないか」もしくは、「自説に反する意見を捨象していないか」ということです。
世の中は意見が多様であるところに健全性がある。もちろん、ひとつの論調がなければ主張はできぬ。そういうジレンマはあるのかもしれませんが、もっと自由におおらかに「正論」を主張してもいいのかなぁ…。
なんて、産経新聞を購読しはじめて感じているのです。
☆
私は、戦後の日本のすべての問題は平等という妄想に振り回されていることだと思います。平等という概念のもとに言論が暴走しないこと。それが求められるべきだと考えます。
その意味では、私のここでの発言も「分」をわきまえたものであるべきであり、私の発言が、分を越えるものであるならば、陳謝するとともに反省せざるをえないと思っております。
見当違い、ご立腹の段、ありましたらお詫びもうしあげます。
たとえばイザンヌ・オーディションをやっていますが、候補者たちを見ると芸能人の卵たちのオーディションでしかないことが分かります。ブロガーはルックスじゃなくて、書き込みの内容で選ぶべきだなどという野暮なことを言うつもりはありませんが、そういう誰でも感じる指摘をひとつぐらい紹介しておかないと、自由な言論の場がイザ(水曜日の紙面も含めて)で成立しているとは思えないのです。
いまブロガーに求められるものは、炎上に耐えうるような内容が充実した個ではないでしょうか…。
☆
歴史と伝統ある組織がネットの時代において、一朝一夕に変わることはできぬ。それは仕方のないことだと思うのですが、そういう自らを嘆くことはできるのではないか。
そのように思っております。
門外漢の長舌。失礼しました。
ネットの発達のおかげで、国内外各紙を読むことができるようになり、個別の新聞メディアが、個々人の思想空間に占める相対的な比重は縮小したと思います。
それと、各紙を比較することにより、日本の新聞各社がいかに配信記事に頼っているかがわかりました。
産経新聞は、「三大(?)」紙に比較して英文での情報発信力が弱いように思います。英語版の充実を望みます。
海外の日本通、Japanologistが目を通す情報ソースは、非常に偏っておりますから、日本のオピニオンのプレゼンテーションをバランスのとれたものにするために貴紙には是非とも頑張っていただきたいと思います。
余談ですが、日本の伝統的左翼あるいは進歩的学者がしてきたことは、海外の言説の受け売りですので、外国語能力にたけたヒトが多々おります。保守的な学者・論客はどうしても内向きな発言が多く、外国語メディアでの発言力が弱いところがあるように思います。
きわめてまじめなご意見はまじめに受け止めたいと思います。
でもこの記者ブログでも個人の自由は大幅に認められており
、というよりこれまで一度も会社の意向は意識させられたこと、ありません。
イザンヌ・オーディションというのも、いま初めて知りましたが、ご指摘のような点があるならば、私も同じように批判を感じると思います。その批判を自分の意見として述べることも、このブログでは自由です。
また読者と記者の相互の意思疎通というのも、物理的に限度がある場合があります。でも私はいまこの瞬間、sponta様の
コメントを真剣に読み、その意味を真剣につかもうと努めていることは事実です。
産経が英語での発信が少ないという点、保守とされる学者たちも英語での発信が少ないという点、まさにそのとおりだと思います。
これから変えていきたいと思っています。
外国の日本研究者が英語に頼ると、偏った情報だけを得てしまうという危険も私自身、考察しています。
たびたびの言及ありがとうございました。お互いの考えは極めて近いのだと思います。
アクティビズムについてひとつの例を以下に…。
昨日のTBSのNEWS23では、「自殺」「幼児ポルノ」「援助交際」関連のインターネットを排除することを声高に論じていました。その番組をみていたら、誰もが納得するでしょう。
しかし、ネットから排除された劣情たちはどこにいくのでしょうか。
自殺や少年愛は人間の性向のひとつとして紛れもない存在であり、それをいかに正常なものへと矯正していくか。そこにこそ、社会全体の安逸への道がある。
いままでは自殺志願者や少年愛者はどこにいるか分からなかったのですが、すくなくともインターネットに行けばそういう人たちに出会える。ならば、そこに積極的に関わることによって、自殺を思いとどまらせたり、少年愛者たちを犯罪を犯させたりしないことが、社会の良心ある人たちは可能である。
だが、社会の良心ある人たちのインターネットリテラシーは低いから、そういうことは行われない。そこが問題であり、そこに改善の余地がある。もし、それらのサイトを規制するだけの対策しかとられないならば、対応はいまよりもって複雑になると思うのです。
インターネットの悪の部分は社会の悪の部分の反映である。自分の写真に手を加えても、自分を変えることはできない。それは当然のことです。
だが、そんなインターネットに敵意を持ったTBS・NEWS23の一面的な現状解釈によって、インターネットの素晴らしさが失われつつある…。
そのような構造を見逃しながら、産科不足を嘆いている市民は愚かだし、そのようなものを招いたマスコミ者たちは過去の過ちを軌道修正すべきである。というのが私の意見。
アクティビズムを視野に入れないマスコミ報道が社会悪になっている。それが明確になったのが、2006年秋だと思うのです。
単純な否定・批判はアクティビズムではないとのことで、紹介しましたが、すべては対話を継続するという心がけがあれば、排除するという行動にはならぬのだと思います。
若干、横レス気味ですが、アクティビズムと対話の継続との主旨で、したためました。
失礼いたしました。そして、ありがとうございました。
ごく率直に申して、書かれていることの真意が、こちらが鈍いのか、まだ明確な具体性をもって、頭に入ってこないので、もう少し時間があるときに、再読、再々読させていただき、対応したいと思います。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2006/10/post_798f.html
で起きていること。や、
http://www.2nn.jp/
で指摘されつづけているさまざまなこと。
そういう文脈でマスコミが世の中から見られていること。そのことに気づくべきだろうということです。
前述のサイトでは、奈良県の医療機関の崩壊をプロモートするマスコミに圧力をかけるために、スポンサー(広告提供能力)の製薬会社の薬の不買運動をしようというムーブメントがあるそうです。また、マスコミ関係者の受診をやんわりと拒否することも実際に行われているそうです(マスコミたらいまわし)。
私は医療関係者がそのような道にすすまざるを得ない合理を感じますが、言論者のひとりとして、その不効率を嘆いています。
そして、そのような状況にあることをマスコミ者たちが気づくべきであるというのが、主だった論旨です。
では、どうすればいいのかと言われれば明確な答えを出すことができぬ。
ただ、ひとついえることは、ここでの古森さんの振る舞いのように、対話を続けることも一つの重要な方法である。と。
勿論、古森さんが古森さんのまわりの社会の歪みに目配りをして指摘するのは当然のことです。しかし、もうひとつ別の視点でマスコミと世の中を見つめる視点があったら嬉しいな…。と思うのです。
たびたび、の言及ありがとうございました。
エントリーの内容からすこしずれてきてしまったようですので、私も反省する次第です。失礼もうしあげました。