朝日新聞の若宮啓文論説主幹が11月27日の同紙のコラムで「北方領土」というタイトルで書いた一文は北方領土4島のうち国後、択捉の両島はもう放棄すべきだという主張を明確に打ち出しています。しかもこの一年という期限を切って残りの二島だけの返還を求めようというのです。

二島返還論というのも一つの主張ではあるでしょう。しかし若宮氏のこの一文はその主張を表明するプロセスで日本側では二島返還論がいかにも一貫して本流の正論であったかのような虚像を描いている点が詐術に近いトリックを感じさせます。

若宮氏といえば、竹島を韓国に渡してしまおうと提唱したことで広く知られる人物です。その人がこんどは方領土も二島を放棄しようというのです。この「一貫性」にはなにか薄気味悪い感じさえ覚えてしまいます。

若宮氏はこのコラムをモスクワでの「日本ロシア・フォーラム」に参加しての見聞を基に書いています。そのなかでは1855年の日露和親条約にも触れて、「この条約で国境が決まり、北方四島が日本領と決められた」と書き、四島が本来は日本領であることは認めているようです。

周知のように日本の固有領土の歯舞、色丹、国後、択捉の四島は日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏の意を表明した1945年8月15日の第二次大戦終結のあと、
ソ連が軍隊を侵攻させ、不当に占拠して、いまにいたっています。不当な占拠であることが最も明白な日本の領土です。日本の歴代政権はみなその返還を当然ながら四島一括で求めてきました。二島だけの返還を求めた政権はありません。

しかし若宮氏は以下のように書くのです。

「あのとき(1956年10月の日ソ共同宣言調印による国交の回復のとき)ソ連は、歯舞、色丹の二島返還でけりをつけようとした。フルシチョフ氏の決断だったのだが、日本が応じなかったのは、米国が『二島で妥協したら沖縄を還さない』と強く圧力をかけたためだ。米ソ冷戦のもと、日ソの接近を警戒していた。
 もうひとつ、日ソ交渉に『四島』の枠をはめたのは、保守合同から間もない自民党内だった。鳩山氏に政権を奪われた吉田茂氏に連なる旧自由党系の議員らが米国に呼応して二島返還に猛反対していた」

以上の部分だけでも若宮氏の記述には詐術のような虚構があります。箇条書きで指摘しましょう。なおこの部分に関しては私は当時の状況を詳しく調査し、研究した専門家二人の見解をも聞きました。

①日本政府が当時、二島返還に応じなかった理由は『米国の圧力』だけだったように若宮氏は書くが、当時の日本政府は四島返還を自明のように考え、二島だけに傾く兆しはツユほどもなかった。若宮氏の主張に従えば、もし『米国の圧力』がなければ、日本政府は二島返還に応じたことになるが、日本側での当時の交渉につながる長いプロセスでも二島返還論は出ていなかった。
②「二島で妥協したら沖縄を還さない」という米国の圧力は,
もし事実ならば、日本の外交史を大きく書き換えるほどの大事件なのに、具体的な証拠も論拠も若宮氏は示していない。北方領土問題を研究してきた専門家たちも「そのような具体的な米国の圧力についてはまったく聞いたことがない」と述べている。事実なら大ニュースとして朝日新聞は報道すべきだろう。
③「日ソ交渉に『四島』の枠をはめた」という若宮氏の表現も事実をゆがめている。北方領土は終始一貫して、四島であり、四島こそが本来の自然の姿であり、それはなんの「枠」でもない。むしろ二島の方が人為的、政治的な「枠」をはめた産物なのだ。

このように若宮氏は日本側の北方領土返還はいかにも「二島」が主流の要求であり、「四島」はそれをゆがめた「枠」とか「米国の圧力」に屈した結果であるかのように書いているのです。コラムの終わりの部分でも、日本側ではあくまでいまも四島返還が公式の主流の要求である事実を無視して、二島返還あるいは四島以下の返還こそが多数派の、正しい意見であるかのような、ゆがんだ構図を描いています。

しかも若宮氏はプーチン大統領の任期が切れるあと一年余りの間にこの北方領土問題を二島(あるいは二島プラス)返還で解決することを提唱しています。
外交交渉でなにかを求める側が自ら交渉に期限をつけることほど愚かなアプローチはないでしょう。
しかも日本固有の領土を切り売りして、目先の解決を達しようというのです。これではロシアの主張そのもののようです。領土というのは主権国家の尊厳にかかわる基本の案件です。軽く半分だけを削って、手打ちにしようという性格の事柄ではありません。
ロシアの国内政情も、国際情勢もなおどう変わるか、わかりません。年月をかけ、国内の団結を保って、四島返還を粘り強く求めていくことこそ、わが日本にとっての正しい道でしょう。