朝日新聞の若宮啓文論説主幹の一連のコラムを批判した私の論文が文藝春秋刊の月刊雑誌『諸君!』3月号に掲載されました。いま発売中の最新号です。

若宮コラムの批判はこのブログでも数回にわたり展開してきましたが、その集大成がこの『諸君!』論文だともいえます。

論文のタイトルは以下のようです。

「若宮啓文朝日論説主幹の毀れた『風向計』」

このタイトルは私ではなく、『諸君!』編集部がつけたのですが、若宮氏のコラムの「風考計」という題をもじったのでしょう。私のこの論文は同誌では「言論人の品格を問う」という特集の一部になっています。

この論文の冒頭は以下のとおりです。

日本も小泉政権から安倍政権にかけてのこの数年、やっと戦後のハンディキャップ国家を脱却して、普通の民主主義国家へと着実に歩み始めた。「普通の国家」とは世界の他の諸国並みの国家という意味である。他の主権国家と同じ要件を満たすようになる、ということだ。とくに安全保障の面で国際社会での特異や異端の存在から他と同じ普通の存在になるということである。自国にとっての脅威があれば、それに備える安全保障上の措置をとる、とれなくても、少なくとも、とることに努める、ということでもある。そのための法律や制度を備えることが当然の前提となる。

北朝鮮が核兵器を開発し、爆発させ、ミサイルを乱射し、中国が大規模な軍拡を続け、日本領海に潜水艦を侵入させてくれば、日本という国の安全を保つために、なんらかの対応策を考える、というのが「普通の国」の安全保障政策の最少要件だといえる。国際的にみて、ごく普通で自然なことである。

しかし日本をそもそも潜在的、顕在的に敵視する中国のような存在の視点からは、日本の「普通の国」志向も「危険な軍国主義復活」となる。日本側の一部勢力も同様にみる。日本は普通の国になってはならず、いつまでも他者依存、しかも自国の存亡に関して幻のような「他国の善意」に頼るという例外的な存在に留まらねばならない、と主張する。

この一部勢力にかかると、「普通の民主主義国家」になる道の前進も、戦前の危険な軍国主義や侵略への復帰と断じられてしまう。日本を普通の国にしようと唱える人間さえも、危険なテロリスト扱いされてしまう。普通の国への前進を提案する言論も、他の言論への弾圧というレッテルを貼られてしまう。こんな非民主的な思想警察の役割を演じる勢力の代表が朝日新聞である。

この朝日新聞の詐術的なレトリックの虚構や虚偽をあばいてみよう。朝日新聞ではその言論を代表する若宮啓文論説主幹の種々の主張が検証の対象としてはもっともふさわしいだろう。その種の「虚」のレトリックの象徴例に満ちたコラム類を一貫して書いているからだ。

(中略)

論文の最後は以下のように結んでいます。

以上、朝日新聞の主張を若宮啓文論説主幹の言論を例にとって考察してきた。その特徴を「論敵の悪魔化」「現実の無視」「論理の欠落」「日本という概念の忌避」という四つにわけて、指摘してきた。

 これらの特徴のなかでもとくに第四の「日本という概念の忌避」は重要に思われる。なあんだ、朝日新聞はけっきょくは日本という概念が嫌いなのだとわかれば、あとの特徴はすべて簡単明快に説明がつくからである。