クリント・イーストウッド監督、渡辺謙主演の映画「硫黄島からの手紙」は残念ながら、アカデミー賞の作品賞、監督賞などを取れませんでした。香港映画からストーリーをそっくり借りた映画が一番、多くの賞を取ったというのも、なんとなくすっきりしませんでした。
しかし日本軍将兵、いや日本人全般をいかにも人間らしく描いたアメリカの戦争映画「硫黄島からの手紙」がアカデミー賞の最終候補にまで残ったことは、いろいろな面で意味があると思います。ハリウッドがみた日本人のイメージの重要な変化ということでもあります。ハリウッドの目は往々にしてアメリカ社会全体の目を映し出すことも多いといえます(そうでない場合も多々ありますが)
この点に関して、おもしろい評論が出て、それを伝えた2月27日付産経新聞の私の記事を以下に紹介します。
おりからアメリカ議会での「慰安婦」非難の決議案審議などとはコントラストを描く傾向だといえます。
米国社会の対日観 「人間性」配慮育つ
【ワシントン=古森義久】米国で知名度の高い政治評論家のジョージ・ウィル氏は25日付のワシントン・ポストなどへの寄稿論文でクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」が日本軍将兵を人間らしく描いたことは米国映画の歴史でも珍しく、米国社会で戦争での敵だった日本側への人間レベルでの配慮が育ってきた証拠だとして歓迎した。この論調は「慰安婦」問題で現在の日本を一方的に糾弾する米国議会の一部の動きとは対照的だといえる。
「硫黄島からの手紙」米政治評論家が歓迎」
「硫黄島の共感の教訓」と題されたウィル氏の同論文はアカデミー賞候補ともなった「硫黄島からの手紙」を題材に日本との戦争の歴史に対する米側一般の思考や認識の変化を論じている。
同論文は、第二次大戦では米国は東京大空襲で一気に日本側の民間人8万3000人を殺し、広島への原爆投下では一瞬にして8万人を殺したように、日本人一般への人道上の配慮はまったくなく、米側では日本民族全体の絶滅さえ提案されていた、と述べている。同論文によると、米欧で制作された英語使用の映画では第二次大戦に関する作品は合計600以上を数えるが、そのうち「日本軍将兵の人間性」を少しでも認めたのは「戦場にかける橋」(1957年)など4本に過ぎないという。
同論文はしかし、「硫黄島からの手紙」が今回、アカデミー賞の作品賞などの最終候補作に選ばれたことは米側で社会一般に「社会の文明や道義的な憤慨の成果として敵(日本側)の将兵の苦境にも共感を示すようになった」ことの表れだ、と述べている。
そのうえで同論文は映画の主人公の栗林忠道中将が山本五十六元帥と並んで日本軍有数の知米派だったことや硫黄島で発見された日本軍将兵の手紙の数々はみな死を覚悟し、「その哀感は彼らの人間性を示していた」と書き、「日本軍は確かに野蛮な行為を働いたが、野蛮な司令官の下での一般兵士の有罪性を測ることは難しい」と日本側兵士への同情を示した。
ウィル氏のこのコラム論文は冒頭で19世紀の米西戦争でスペインの軍艦を沈めた米艦の艦長が部下に「哀れな敵が死につつあるのを喜ぶな」と述べた言葉を紹介し、末尾でいまの米国社会がこの艦長の「繊細さ」に近づきつつある、と称賛した。
戦争での残虐行為などを相互の行動ととらえて、ともに人間性を認識しあおうというウィル氏の議論は、いま米国議会の下院に提出されている「慰安婦」非難決議案に示される日本への一方的糾弾とは対照的に異なるといえる。
コメント
コメント一覧 (15)
「南京」や恐るべし。
米国人が先の戦争関連の対日感情は向上しており、それは良い傾向だなと思っております。
硫黄島でも、まだまだだとは思いますけど
以前の人種差別的なまなざしから比べると格段に良いと思います。
それと、ハリウッド映画自体が行き詰ってきている。
逆に日本映画が非常に元気で
ハリウッドでも日本を、中でもラストサムライや硫黄島のような武士道を取り上げてくれてるのは非常に良い傾向だと思っております。
(ラストサムライは個人的には、相当な日本不勉強で、ある意味トンデモ映画でしたが、過渡期ということだったのでしょう)
マンガもオタクも含めて、日本文化の進出は喜ばしいことです。
日本にディズニーランドが盛況なように
アメリカでも、サンリオランド?、ジブリパーク?、サムライ館?
なんでも良いですが、そんなところが成功したら嬉しいです。
映画の影響は確かに大きいですが、逆に映画の内容に表れる土台の日本への認識、志向も重要だと思います。
南京の映画は確かに気になりますが、ドキュメンタリーで、おそらくアメリカの一般の映画館では上映されない見通しが救いかもしれません。
アメリカ映画の内容が日本に好意的になることの原因は、日本市場の魅力にもあるのでしょうね。商業的にも日本人に人気のある映画を作れば、全体としてもうかる、ということになれば、それは大きなインセンティブでしょう。現にこんどの「硫黄島からの手紙」もアメリカでの興行成績はそれほどではなく、日本での大ヒットで大成功という形のようです。
「硫黄島からの手紙」は細かい点での考証に難はあるものの(栗林中将が参謀肩章を吊っていたり、戦場なのに勲章をつけている)、総じて良い映画だと思いました。
ハリウッドの対日観の変遷については、良くも悪くもその時々の日本の米国における存在感にも影響されるのではないでしょうか?
昔の戦争映画でも「トラ・トラ・トラ」は、まあ客観的だったと思いますし、「戦場にかける橋」も日本軍人に対するハリウッド的脚色はあるものの、出てくる日本人の顔は見えています。この頃は戦勝国としての余裕があったのかも知れません。
むしろ、80年代~90年代はじめ頃の米国において日本経済が脅威に映っていた頃の方がハリウッドの対日観も厳しかったのでは?(具体的作品が思い当たるわけではありませんが)。
換言すれば、現在ハリウッド対日観が優しく見えるのは、(中国に比して)現在の日本が、米国において脅威とされるほどの存在感がないせいもあるように思います。
少しさびしい気がしなくもありませんが、日本映画も復活の兆しがありますし、量より質で日本映画がハリウッドにも影響を与えられるようになればいいなと思います。
>日本経済が脅威に映っていた頃の方がハリウッドの対日観も厳しかったのでは?---------ライジング・サン、ダイ・ハード、ブラック・レインあたりですね。後者は日本に寄り添おうとしていたものの、高倉健が「アメリカはもう音楽と映画だけだ」と言うと、マイケル・ダグラスが怒りながら、「本当に創造性のある人間が特をしているか?」と返すシーンがありました。それを見つつ、「アメリカだってドイツから大分盗んだじゃないか」と思った記憶があります。エイリアンでも、悪の手先のような「会社」から派遣されてきた兵隊は、全員、東洋人の顔をしていました。最近は良くなってきましたけど、渡辺謙ががんばっているとは言え、ハリウッドの人種差別、特にアジア人男性への差別はひどいものです。
確かに1980年代の経済面での「日本脅威論」盛んなころは、アメリカ一般の対日観も厳しかったですね。
やはり国と国とのそのときの関係の状態が国民レベルの相互の認識をもかなり規定してしまうようです。
「ライジング・サン」、「ブラック・レイン」両方の映画とも私もみて、よく覚えています。両方とも日本の社会や日本人が陰湿、よこしまに描かれていると感じたものです。まさに当時のアメリカ全体の対日観の悪いところを集約したあらわれだったのではないでしょうか。
なるほど。「戦場に架ける橋」はイギリス映画だったとは不勉強でした。そういえば、英軍大佐を演じた英国人俳優の訃報を何年か前に見たような気がします。
余談ですが、「戦場~」の原作となった小説はインドシナで日本軍の捕虜となったピエール・ブールというフランス人が書いたもので、小説は映画よりもう少し複雑な設定になっています。フランス人が見ているせいか日本人も英国人もどちらもエキセントリックに描かれてますし、早川雪洲演じる日本軍人は英語が堪能な国際派であるが故に米英に対し屈折した考えをもった人物になっており、何より最後の橋が爆破されるシーンでは、結局橋は壊滅的打撃は受けず、爆弾をしかけにいった特殊部隊は皆返り討ちにあい、作戦は無意味に終わるというニヒルなストーリーだったように思います。映画では有る意味分かり易いストーリーだったのでてっきりハリウッドものかと思いました。
アジア人の描かれ方という意味では、最近話題の「ロスト」に出てくる韓国人夫婦も、当初いかにもステレオタイプな男尊女卑のアジア人夫婦が、徐々に変わっていくという形で描かれています。もっとも私としては、こうした米国ドラマに韓国人キャラが顔を持った形で出てくること自体、米国社会で韓国人コミュニティが一定の厚みをもって存在感を持っていることの表れではないかと、(ある種の懸念もありますが)注目しています。
「戦場にかける橋」の主役はデービッド・ニーブンという俳優でしたね。
これも英語の戦争映画で日本人を人間として描いた作品わずか4本のうちの1本というわけのようです。ジョージ・ウィル氏のコラム記事によると。
以前NHKの番組で、ある俳優さんがアメリカで『日本人の俳優が活動する余地があるか』と質問したときに面と向かって『だれも黄色い顔なんて見たくないよ』と言われたと話してました。こういう直接的な言動は、普段表面に出てこないだけで、本心はそんなものかもねと妙に納得しました。
アメリカは自国内のその人種差別をなくそうとして、激しい内戦(奴隷制廃止をめぐる南北戦争)を繰り広げ、死者62万と、第二次大戦の戦死者の2倍の犠牲者を出した国であることも、認めたいような気がします。
人種差別には制度的なものと、目にみえないものとがありますが、少なくとも前者をなくしてきた公民権運動などの実績も無視はできません。
映画など芸能の世界で、アジア系や黒人が「人種差別」のために排されるということもあるでしょうが、その反面、デンゼル・ワシントン、モーガン・フリーマン、エディ・マーフィーなど黒人スターが全米的人気を博していることも現実です。プロ野球で、イチローや松井が出てきたときにアメリカ人一般(もちろん白人を含め)の熱狂的な喝采には「だれも黄色い顔なんて見たくない」という反応はうかがわれません。
しかしそれでもご指摘のようにアメリカに人種差別が存在することも事実です。それが日本や中国はフランスとくらべて、どうなのか。そんなことも私はよく考えます。
NHKの違う番組ですが、タッチという漫画で主人公が『好き』という言葉を『もう死ぬまで言わないから、よく聞いて…』という場面の理解について、スペインかイタリアの人が日本人にとって好きとか愛してるとかっていう言葉は英語の愛してるという言葉より重い意味を持ってるんだと熱く解説してくれていて、ちょっと感激しました。
こんな風にちょっとしたことでガッカリしたり感激したりするのは精神衛生上悪いのかもしれません。だから『そんなものかもね』と思っとくことにします。
NHKの番組をみる分量を減らすと、精神衛生がよりよくなるのではないでしょうか。これは他の方に申し上げるコメントとしては、半分以上、冗談ですが、私自身に関してはまったくの事実なのです。NHKの「平和は大切ですねえ」調の語りかけ(男女ともあの独特のネコ撫で声での)を聞くと、本当に気持ち悪くなってしまうのです。
見たいと思う番組が無くて、ついNHKにしてしまうんですが、テレビを減らした方が良さそうです。