慰安婦問題について書いてきた私の記事を読んで、ということで投書をいただきました。関東軍の軍人だったという方からです。産経新聞東京本社気付けで、ワシントンの私あてに転送されてきました。
書簡は便箋5枚にペンでの手書き、きちんと明確な記述でした。内容はご自分の満洲時代の体験と観察から述べる限り、日本軍が現地の女性を強制的にさらって、売春をさせることなど、まったくなかった、という趣旨です。
東京都下にお住まいの上野力さんという方です。
上野さんのお手紙の記述のいくつかの部分を以下に紹介します。上野さんにワシントンからお電話をして、お手紙の一部を公表することの許可をいただいたうえです。紹介部分は原文のままです。現在の規準では避けるべきという表現や用語もあるかも知れません。明らかに公開が不適切な言葉は伏字にしました。


「私は大正7年生まれ、昭和14年兵、乙幹の下士官、5年兵、東京外大卒行、関東軍軍人でした」

「日本軍人が無知な○○女性をだまして、慰安婦にしたのではない。帝国軍人が工場、学校へ行き、○○人女性を強制拉致したら、必ず大暴動になっただろう。(そんな強制徴用をしたら)聖戦完遂不可能になった」

「慰安所は牡丹江にありました。経営者○○人、客は下士官兵、ときに開拓団少年。私服憲兵の巡視あり。旧市街の満洲人××屋は下士官兵の立ち入り禁止」

「私の経験したこと。昭和18年某月某日に登楼。慰安婦ではない自称16歳女性、軍曹の私に対して、まじめな顔をして『兵隊さん、司令部へ行って、慰安婦の許可をもらってきて下さい。そうしたら、あなたはわたしの最初の処女客、タダでサービスするわよ』と言うので、私は『キミは女中であって、慰安婦でない。慰安所の女中だが、処女のまま結婚すべきだ』と言うと、『わたしはおカネがほしい、慰安婦になりたいです。16歳だから18歳だと言って、許可をもらってください』と言いました」
「私は『ぼくは軍曹だから司令部へ行き、頼んでもダメだ。処女のまま結婚するべきだ』といさめると、『処女であるより、慰安婦になって、おカネがほしい。お父さんに農地を買ってあげるための孝行です』と言う。『ダメだ。その考えはまちがっている。18になっても慰安婦になってはならない』と訓戒しました。そしたら『兵隊さん、わたしの気持ち知らない、もういいです』と言って、去ってしまった」

「昭和19年、満洲某地で登楼したとき、敵娼(あいかた)の慰安婦はこう言った。『兵隊さん、わたし○○人にだまされた。軍隊の工場で被服を作る仕事をすると言われて来たら、慰安所だった。客を取れと言うので、断ると、<お前には莫大な前渡金をお前の父に渡してある、それを返せばすぐ帰宅させる>と言う』 これが実情だ」

「韓国人、日本人、北朝鮮人、みんな悲しいことだった」

引用は以上です。
慰安婦や慰安所を実際に体験したことを率直に述べられたうえでの述懐のお手紙なので、私にとっては重みがありました。
いまの案件を考える一つの材料という意味です。