朝鮮半島の出来事は相変わらず、日本を揺さぶっているようです。アメリカもまた北朝鮮には振り回されています。
しかし北朝鮮に対しては強固かつ一貫性のある姿勢を保ってきたとみられたブッシュ政権が六カ国協議での核問題で
あっと思わされる妥協をみせました。
もっともその妥協も北朝鮮の新たな「態度硬化」で期待された成果を生み出しそうにありません。
ブッシュ政権は北朝鮮にどう対処していくのか。
ちょっと前に雑誌SAPIOに書いた私の記事を紹介します。


「なんだ、失敗に終わった一九九四年の米朝合意の再現ではないか――」

北朝鮮の核兵器開発を阻むための六カ国協議での「合意」をうたった共同文書の内容をさらりとみて、ついそう感じた。二月十三日、北京で開かれていた同協議の閉会にあたり採択された文書だった。

「九四年の米朝合意」といっても、記者たちの間で直接にその報道にあたった人間はもうきわめて少なくなった。なにしろ十三年近くも前のことなのだ。この「米朝合意」とはアメリカと北朝鮮との間で北朝鮮の核兵器開発を防ぐために結ばれた枠組み合意のことだった。

当時の合意の骨子は以下のようだった。

「北朝鮮は核兵器の開発を段階的にやめるために軍事転用可能なプルトニウムを抽出できる黒鉛原子炉を凍結し、アメリカ側はその見返りに日本と韓国の資金で軍事転用のできない軽水炉二基を十年ほどかけて建設し、さらに発電用の重油年間五十万トンを提供する」

北朝鮮はそもそも核拡散防止条約(NPT)に加わり、核兵器を開発しないことを誓約していた。その誓約を勝手に破り、核武装への道を進み始めたのに、ときのクリントン政権は違法の行動を単に止めるという北の約束だけに対して数々の報酬を与えることに合意した。北朝鮮が黒鉛炉を本当に凍結したことを検証する国際査察も後回しにされていた。だが現実には北朝鮮はすでに核爆弾数個を製造できる軍事用プルトニウムを確保していただけでなく、ウラン濃縮による核兵器製造にもひそかに着手していたのだった。

私は前回のワシントン駐在時代にこの米朝合意の報道にあたった。あまりに穴だらけの合意の不備をクリントン政権の高官らにただすと、「金正日政権は数年すればどうせ崩壊するから」という答えが返ってきたものだった。

今回の合意はこうした歴史を知る人間の多くには悪夢の再現のように映る部分が多々あるのである。そもそもいまのブッシュ政権の支持者たちはみなこのクリントン政権時代の北朝鮮との枠組み合意を手厳しく批判してきたのだ。

だから予想どおりブッシュ政権の中枢からも異例の不満表明があった。国家安全保障会議(NSC)を担当する大統領補佐官の一人、エリオット・エイブラムス氏が関係者に私的とはいえ電子メールで今回の合意の「北朝鮮をアメリカ側のテロ支援国家指定から解除するための米朝協議を開始する」という部分への強い反対を宣言したのだ。同氏は「北朝鮮はまずテロ支援を停止したことを証明せねばならず、米朝協議はその後に始めるべきだ」と述べていた。この点は北朝鮮が日本人拉致問題を解決せずにテロ支援国家指定から解除されてしまう危険を懸念する日本側としても大いに同調できる。

ブッシュ政権でつい数ヶ月前まで国連大使を務め、その以前には国務次官として北朝鮮の核問題にも直接かかわっていたジョン・ボルトン氏はもっと激しく今回の合意を非難した。

「この合意は北朝鮮のこれまでの背信行為を重油提供などで報いている。マカオの銀行の口座凍結による北朝鮮への金融制裁も明らかに効果があったのに、それを緩和すれば、アメリカ側のテコの一方的な放棄となり、北の違法行動への報償となる。こうした譲歩はいま核武装しようとしているイランなどにもきわめて悪いメッセージを送ることになる。こうした後退はブッシュ政権が発足当初から保持してきた堅固な原則の放棄ともなってしまう」

ボルトン氏が以上のような趣旨を米紙に語ったことは二月十四日のブッシュ大統領の記者会見でも話題となった。記者からボルトン氏の批判発言をどう思うかと質問された大統領は「その評価には反対する、強く反対だ」と答えたのだ。

しかしレーガン政権や先代ブッシュ政権の国防総省、国務省の高官として長年、北朝鮮問題を担当してきた専門家のチャック・ダウンズ氏もボルトン氏に同調する形で次のように述べた。

「マカオの銀行口座凍結による北朝鮮への金融制裁は金正日政権の中核に打撃を与え始めていた。金独裁体制を支えるエリート層への資金が枯渇し始めた兆候があったのだ。そんなときに北朝鮮の核『凍結』の空約束と引き換えにその制裁を緩和してしまうとは、北を屈服させる好機を逸したといえる」

ブッシュ政権の政策を支持することの多い大手紙ウォールストリート・ジャーナルも二月十四日付の社説で今回の合意を非難し、「この合意はアメリカ側が一方的に北朝鮮を信用してしまったことが基盤となっている」と論評した。

保守系の有力雑誌ナショナル・リビューも最新号で「今回の合意は基本的には九四年にクリントン政権がまとめた米朝合意と同じだ」と批判し、「金正日は一体いつから信頼できる人間になったのか」と皮肉った。

ブッシュ政権としてはイラク平定の軍事作戦やイランの核武装阻止の外交戦略に忙殺され、せめて北朝鮮の核問題を当面、形だけでも解決の方向へ押しやる必要性を重視したのだろう。また北朝鮮が今回の合意を再び、もてあそび、アメリカや国際社会をだましてしまう、という保証もない。九四年の合意と違い、今回は六カ国協議の末の合意でもあるのだ。だがそれでもなお、北朝鮮の過去の言動パターンから判断する限り、この種の国際合意を文言どおりにきちんと実行するという見通しは、きわめて低いのである。