元大本営参謀で戦後は明治薬科大学の理事長などを務めた高橋正二氏の報告を続けます。高橋氏は終戦直後に米軍と直接、接触する「有末機関」の一員だった貴重な体験を経ています。
その有末機関時代に米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。
軍隊とセックスというのは、なにも日本軍だけが例外だったわけではないことの証明といえましょう。

以下は高橋氏の報告からの引用です

「米軍も女性の強制徴用を求めていた」

「日本が降伏して間もなく、マニラにいた連合軍最高司令官らから命令があった。『進駐軍の着陸を神奈川県厚木飛行場と定め、その進駐受け入れのため、政府、陸・海軍部を代表する将官を差し出すべし』という命令でした。大本営はこの将官に有末精三中将を指名した。私(高橋正二)もこの有末中将を首班とするいわゆる有末機関の一員として厚木に行くことになったわけです。

ちなみに最初から有末機関員として行動した大本営参謀は現在(平成8年9月)、浦茂氏(陸士40期元航空幕僚長)と私、高橋正二(陸士48期)の二人のみとなり、生き証人として寂しい限りです。

昭和20年8月24日、厚木飛行場に参りましたが、それはひどい有様でした。

先遣隊(隊長テンチ大佐)約150名は28日、マッカーサー司令官は30日、到着し、ただちに横浜へ、私どもは神奈川県庁の一部に陣取り、9月20日、ミズーリ艦上降伏文書調印式における代表団一行の出迎えなどに忙殺されていました。

これら期間を通じて、頭を悩まし続けたのが、進駐軍兵士により暴行、強姦などが毎日毎日、被害の訴えがあることでした。

『進駐軍兵士により治安騒乱のうち、最もてこずったのは日本婦人に対する暴行、強姦などの風紀上の問題であった。最初の訴えに対し、第八軍司令官アイケルバーガー中将は「若い学生がジャングルから飛び出して、広々として校庭に出たようなもの、しばらく我慢してくれ、我々の方でも十分、気をつけるから」との話であったが、来る日も、来る日も、この種の訴えは一向に減る様子もなく、そのたびごとに報告者の悲憤慷慨は想像に絶する激越なものであった』(有末精三著『有末機関長の手記』)

当時、進駐軍軍人、ことに黒人の児を宿して生まれた混血児は3000人ともいわれ、澤田廉三元大使、および美喜夫人の経営するエリザベスサンダーホーム(大磯における孤児院)をはじめ、各種の施設や社会事業などのこれら悲劇の対策は講ぜられたものの、わが国、社会に残した傷跡はまことに残念なことでありました」

  

  進駐軍の初仕事とはなんであったのか

 「一、厚木飛行場に先遣隊が進駐してきた日の翌日の8月29日、米軍連絡将校が東京の警視庁に現れ、『娼家の施設をみせろ』と言ってきた(売春施設問題が初仕事ではないか)

  二、同年9月28日、東京都衛生局が初めて受けた命令は『女』の問題。都衛生課員の与謝野光博士がGHQ(連合軍総司令部)公衆衛生局長サムス大佐のもとで交渉を開始、都内に残っていた花柳街五箇所および特飲街十七箇所(うち一箇所『千住』のみ日本人用)を接取された。

  三、売春施設だけでは満足しない米兵は街の一般婦女子にも手を出し、パンパンガールとして自ら乗り出した日本婦人も現れた。

  四、昭和28年2月27日、第十五回国会参議院本会議で、社会党の藤原道子議員の質問演説にも左のとおり触れている(当時の女性議員協議の結果)。

  『アメリカ当局には軍紀の励行を望みたい。どうしてもそれができないならば、日本の女性をこれ以上、蹂躙することなく、この際、本国から対象となるべき必要数の女性を呼び寄せて、自国の女性によって性の解決をされるように要望したいのであります。(拍手)』