「家族会・救う会」代表としてワシントンを訪れた増元照明氏、斎藤文代氏、島田洋一氏の3人はアメリカ政府の国防総省の日本部、国家安全保障会議のアジア部などの代表と会談したり、議会の朝鮮問題関係者と意見交換をしたり、
活発な活動を続けています。

4月25日には3人はアメリカ議会下院の人権議員連盟が主催した北朝鮮の人権弾圧に関する報告会に出席しました。ここで3人は北朝鮮から脱出してきた人たちの体験談に耳を傾けました。いわゆる脱北者とその支援者の計4人が証言しましたが、聞いていて、最も迫力があったのは現在、日本在住の千葉優美子さんの報告でした。

黒いスーツを着て、きりりとした千葉さんは朝鮮語で証言しました。内容はすぐ英語に訳されました。証言は要点をうまくまとめ、秩序立てて述べられましたが、その内容は自分自身の辛酸をきわめた体験を語り、聞く人の胸をうちました。
千葉さんは在日の北朝鮮系の家族に生まれ、幼児に両親に連れられ、北朝鮮に渡り、そのままエリートに近い家庭環境でピョンヤンで育てられたとのことです。朝鮮名は高政美さん、で、国籍はいまは韓国となったそうです。

千葉さんは北朝鮮の体育大学の学生から教員となり、北朝鮮の規準では恵まれた生活を送っていたそうですが、1995年に北朝鮮北部から中部にきて死んだ餓死者多数の死体を埋葬する仕事に動員されてから、北朝鮮の独裁体制への疑問を感じるようになったそうです。
千葉さんの証言の要旨を以下に書きます。

▽95年には政府から動員され、35日間にわたり餓死者数百人の死体の処理をさせられた。この期間に北朝鮮の体制への疑問を感じるようになるとともに、死体処理の重労働が原因で体をこわし、入院した。
▽96年、北朝鮮の経済はさらに悪化し、多くの人が日本へ出稼ぎに行こうとした。そういう一人の知人の出国をひそかに助けていたら、当局にみつかり、懲罰として地方の農場に送られ、強制労働を課せられた。
▽北朝鮮の体制に怒りを感じ、日本に戻ろうと決意し、2000年12月には小さな舟で国外に脱出した。だが中国の山東省に漂着して、乗っていた100人ほどはみな中国当局に捕まり、北朝鮮へ強制送還された。
▽北朝鮮では中国から強制送還された他の100人ほどとともに刑務所に入れられ、連日、虐待され、拷問を受けた。足は殴打されたところが化膿し、ウミが垂れ流しとなり、顔面への拷問で舌が飛び出したまま、口内にもどらなくなった。肛門を大きく開いたままとなった。
▽同房の老女は韓国にいる自分の娘に会いたいと、一日百回以上も絶叫するようになった。するとまもなく房から連れ去られ、帰ってこなかった。同房の100人ほどのうち40人近くが数ヶ月で死ぬか、連行され、消えてしまった。
▽9歳の少年が房内で高熱を出し、その母親が看守たちに治療を請い願ったが、聞き入れられず、連れ去られた。少年も別個に連行されて、消えた。
▽その後、一年半ほどで解放されたが、北朝鮮で生きることには希望を失い、再度の出国を図って、成功した。韓国経由で日本にもどり、いまは大阪に住んでいる。
▽北朝鮮などにくらべれば、日本はすばらしい聖地だ。このすばらしい日本国内にいて北朝鮮の金正日への忠誠やその体制への支援を表明するグループがいることは許しがたい。北朝鮮政府を支持するなら、北朝鮮に行って、その支援活動を続けるべきだ。
▽私はこれから日本国内にいるそうした北朝鮮支援勢力を糾弾し、戦うことを自分の使命としていきたい。

こうした証言をする間、千葉さんは後半で涙を流し、その涙を静かにぬぐいながら、証言を続けました。

証言後に私が近づいて、日本語で話しかけると、千葉さんは丁重に応じてくれました。

この千葉さんらの証言がなされた議会の報告会について産経新聞の記事があるので、それを以下に紹介します。


日本の親北団体“告発” 大阪の脱北者、米下院で証言



4月25日16時1分配信 産経新聞

                                        
            
            
 【ワシントン=有元隆志】北朝鮮を脱出した脱北者で、大阪在住の千葉優美子さん(46)=韓国名・高政美=が24日、米下院人権議員連盟で証言し、餓死した人々を埋める作業を強制されたことなど、北朝鮮での悲惨な生活を涙ながらに訴えた。そのうえで、「日本で活動する親北朝鮮の団体を告発したい。彼らは北朝鮮の独裁体制を支援すべきではない」と強調した。
                        
                         千葉さんは3歳のときに両親とともに日本から北朝鮮に渡り、大学の教員をしていた。1995年に北朝鮮を襲った飢饉(ききん)の際、餓死者を人々に見つからないよう埋める作業を強制的にさせられた。千葉さんは「胸が張り裂ける思いがした」と話した。
                        
                         千葉さんは2000年に中国に逃れたものの、数年して再び北朝鮮に送還された。北朝鮮では収容所で拷問を受け続けたという。
                        
                         まわりには、同じように中国から北朝鮮に送り返されてきた人たちが収容されていた。「ある老婦人は、韓国にいる娘に会いたいと訴え続けていた。あるとき彼女は看守から番号で呼ばれて監房を出たまま、戻ってこなかった」と千葉さんは時折、言葉に詰まりながら、収容所の悲惨な状況を語った。
                        
                         収容所を出た後、再び中国に渡り、05年7月に日本に戻り、大阪で暮らしている。このほど韓国籍を取得したという。