日本国憲法を書いたアメリカの占領軍司令部GHQの民政局次長チャールズ・ケイディス大佐のインタビュー記録の紹介を続けます。

日本の降伏から半年後の1946年2月、GHQによる憲法起草が始まるに際して、マッカーサー元帥は日本側にまず書かせるべきだと考えていた、というのです。しかしその他の方面から異なる意見がいろいろ表明されてきた、とケイディス氏は語るのでした。

なおアメリカがその後、日本の憲法をどうみてきたのか、現在はどうみているのか、は別のコラムで報告をしているので、関連記事として紹介しておきます。以下のサイトです。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/49/


さて以下は日本憲法を起草したケイディス氏の発言です。

1981年4月9日、ニューヨークでの古森義久によるケイディス氏のインタビューでした。その記録の第二です。

 

古森 ケイディスさん、あなたが日本憲法の起草作業斑の実際上の長だった、と考えてよいわけですね。

ケイディス 厳密に言えばホイットニー将軍です。私はホイットニー将軍に次ぐ次席だったのです。彼が民政局長で、私がその次長というわけです。

古森 しかし現実にはホイットニー将軍自身は、憲法の草案づくりそのものにはたずさわらなかったわけでしょう。

ケイディス それはそのとおりです。彼は私にその仕事をゆだねました。私たちは憲法草案のうち、天皇に関する部分についてひとつの委員会、国会についての一委員会、司法について一委員会というふうに各テーマごとに委員会をつくりました。そしてそれらをまとめる調整組織としての「運営委員会」を設けました。この「運営委員会」を構成するメンバーが、マイロ・E・ラウエル陸軍中佐、アルフレッド・R・ハッシー海軍中佐、それに私だったのです。陸軍大佐の私が最上位の階級だったので、運営委員会の委員長となりました。

古森 この運営委員会にはルース・エラマンという女性も、秘書とか補佐官という形で加わっていたわけですね。彼女がなにか重要な役割をはたしたというようなことがあるのですか。

ケイディス 彼女はGHQの民間従業員でした。そう、もともとはハッシー中佐のアシスタントだったのです。運営委員会では彼女は秘書、書記官として働きました。

古森 憲法の草案づくりそのものに話をもどしますが、アメリカ政府として日本の憲法改正についてはじめて公式に述べた文書が、一九四五年十月十六日付の、バーンズ国務長官から、日本の米占領軍最高司令部のジョージ・アチソン政治顧問にあてに送られた書簡なわけですね。そしてその書簡にもとづいて、例の「SWNCC228号指令」というのが出てくるわけですね。

ケイディス バーンズ国務長官からのその書簡については私は知りません。私はそれを見たことがありません。しかしSWNCC228については、確かに知っています。国務省、陸軍省、海軍省の調整委員会であるSWNCCは、当時、“スウィンク”とか“スワンク”とわれわれは呼んだものです。私自身はスワンクと呼んでいましたが。

古森 私がSWNCC228の文書の翻訳をざっと読んだところでは、「天皇制は廃止されるよう奨励されるか、あるいは民主的なラインに変革されるべきだか・・・・・・」という趣旨が記述されています。この点は、後に実際に制定された憲法とは全然、違うわけですが、この辺の事情をよく記憶していますか。

ケイディス よくは覚えていませんが、SWNCCで「天皇制の廃止」と言っているのはあくまで天皇制のシステムであり、天皇という地位、存在をなくしてしまおうということでは決してなかった、と思います。当時、統合参謀本部(JCS)はマッカーサー元帥に対し、ワシントンからのあらたな命令が行くまでは、天皇に関して一切なにもしないように、という指令をすでに出していたのです。

古森 当時のアメリカの方針は天皇制をあくまで存続させる、保持する、ということだったわけですか。

ケイディス 天皇制の政治システムは保持しないが、天皇そのものは保持する、ということでした。しかし古森さん、いまあなたが読んだSWNCC文書の部分、私はその記述について記憶がないのですが、そこでいわれている“天皇制の廃止”の“天皇制”というのは、われわれが当時、“帝国主義的な制度”と呼んでいたものをさすのではないでしょうか。“民主主義的な制度”に対しての“帝国主義的な制度”という意味で、それは廃止されねばならない。しかし天皇そのものをどうこうするということではなかったのです。とくに天皇自身の身柄についてどうこうするという考えは、まったくなかった。天皇の地位でさえ、それが政府の権限を含まない限り、アメリカ側としては、廃止などということは現実には考えていなかったと思います。

古森 あなた自身に関する限り、憲法起草はゼロの状態から始めたといえるわけですね。憲法起草のグループ全体も、ほとんど無からスタートしたと考えてよいようですが、実際の草案づくりを進めるプロセスで、あなた方が参考とした主要指針、基盤はなんだったのでしょうか。

ケイディス その前にちょっと聞きたいのですが、あなたはSWNCC228の公式な日付けを知っていますか。

古森 はい。

ケイディス それはわれわれが憲法起草を始める前ですか、後ですか。

古森 前です。

ケイディス それなら私の記憶どおりで話が合う。というのは憲法草案を書いている最中に、私はSWNCCの骨子をたびたびチェックして私たちの草案がそれに合致しているかどうかを確かめた、と記憶しているのです。ところが日本の占領について本を書いたウィリアムス博士から、私がその時点でSWNCC228指令を入手していたはずはない、と言われたことがあるのです。ジャスティン・ウィリアムス博士です。同博士によれば私が参照していたのは同228そのものではなく、なにかほかの文書だろうというのです。そういわれれば確かにSWNCC228の最終公式文書ではなかったかも知れない。最終文書は当時、論議のマトとなり、もめていたから、まだできていなかったかも知れない。どうもこの点、さだかではありません。私がチェックしていたものがもし228の最終文書でなかったならば、それはきっと228の土台となった統合参謀本部の文書か、あるいは228の草案だったのでしょう。私自身、228の最終文書そのものの実物を見たことはないのです。最終文書だったら白い紙だったはずですが、私が憲法起草の過程でチェックしていた文書は緑色の紙だったのです。だから228文書の原案だったのでしょう。

古森 SWNCC228文書が四六年一月十一日ごろすでに、極東委員会の一部のメンバー国に配布されていた、という情報があります。さらにあなた自身が、そのころに幣原内閣の楢橋渡書記官長に“極東委員会のソ連その他、数カ国のメンバーが日本に共和制憲法を制定させることをマッカーサーあてに勧告する計画がある”とひそかに伝えた、とも一部で伝えられていますが、いかがでしょう。

ケイディス 私が楢橋氏にそんなことを言ったとつたえられているのですか。

古森 はい。そういう情報を楢橋氏に流したというのです。確認されているような話ではありませんが。

ケイディス そんなこと言った記憶はありません。しかしはっきり覚えているのは、四六年一月、極東委員会から憲法についてなにをやっているのか、あるいはやっていないのか、-と質問されて、私が答えたことです。私は憲法に関する作業はまだかなり先の目標であると解している、と答えたのです。私は極東委員会の細かな数多くの質問に対し、「われわれはまだ占領の初期にあり、ほかにやるべきことがたくさんある」と証言したのですが、とくに「憲法づくりはもしかするとあなた方、極東委員会のやるべき仕事であり、われわれGHQの任務ではない、と思う」とまで述べたのを、はっきりと記憶しています。

 私がこの極東委員会の聴聞会でこういう証言をした後、ホイットニー将軍から私が同委員会でどんな質問を受け、どのように答えたかと尋ねられました。私は質問と答えをすべて文書にして、同将軍に渡し、同将軍はそれをマッカーサー元帥に提出しました。元帥はそれに対し、われわれ占領軍司令部が日本の憲法の草案をつくる権限があるのかどうかを尋ねてきました。極東委員会がわれわれに対し、やるべき仕事をやっていないと批判していたからです。私は極東委員会に対し、いまは日本の選挙など緊急にやらねばならないことがたくさんあるから、憲法についてはもう少し待てないか、と言ったわけです。マッカーサー元帥がわれわれに憲法づくりの権限があるかどうかを質したのに対して、私はラウエルとハッシーの応援を得て、メモランダム(覚書)を作りました。

 覚書の草案を私が書いて、ホイットニー将軍の了承とサインを得て、マッカーサー元帥に提出したわけですが、その覚書の中で、私たちは日本の憲法づくりをわれわれがもしやろうと欲すれば、その権限はあるのだ、という結論を出したのです。

 しかしまだその時点までは、日本側が憲法起草をすべきだというのが、マッカーサー元帥の考えでした。それに対しわれわれGHQがやるべきだ、というのが明らかに極東委員会の考えだったのです。私はさらに、極東委員会こそそれをやるべきだ、と議論していたわけです。ところがそこで毎日新聞の例の記事が出た。その結果、松本氏がA案とB案をGHQに示したが、それにより日本側からは満足できるような憲法改正草案は得られないことを、われわれは思い知らされたのです。極東委員会か、GHQのいずれかがやらねばならないことを認識させられたのです。

 だが私はその時、GHQが憲法起草をやるにしても、それが民政局の仕事となるのか、それともジョージ・アチソンを長とする外交局がやることになるのか、あるいは特別の組織をつくってやるのか、わかりませんでした。   (つづく)