日本国憲法の起草者チャールズ・ケイディス氏のインタビュー記録の紹介を続けます。

今回の部分ではケイディス氏は憲法第1条にある「天皇は日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」という重要部分も、「実はその起草の段階でふっと考えついて、つくり出したものなのです」などと、あっさり語っています。

日本の憲法は占領軍により、こんなふうに書かれたということなのです。



元GHQ民政局次長チャールズ・ケイディス大佐の会見記録の(3)です。


古森 では最終的に、民政局が(憲法起草を)やるという決定は、どのように下されたのですか。

ケイディス マッカーサー元帥が決めたのです。

古森 もとの質問にまたもどりますが、憲法の起草を実際に始めるに際して、米軍統合参謀本部の指令書などのほかに、その憲法づくりのガイドラインというか、基礎というか土台となるものはなにかあったのですか。ほかに一体なにを参考にしたのですか。

ケイディス 当時、私たちのところで働いていた二十一、二歳の若い女性で、ベアテ・シロタという人がいました。その後、彼女は民政局にいたゴードン中尉と結婚して、ゴードンという姓になりましたが、当時、日本に十五年ほど住んでいました。彼女はオーストリア系で、父親がピアニストだったのです。そのシロタという女性が日本語を熟知していて、なおかつ東京の地理に詳しかったので、東京都内の各大学の図書館に出かけて行って、各国の憲法の内容を集めたのです

古森 ほかの外国の憲法の条文ですか。

ケイディス そうです。諸外国の憲法を集めて民政局に持ってきてもらいました。起草にとりかかる各委員会はそれぞれそうした諸外国の憲法内容を読んで、自分たちの担当領域に役立つ部分があるかどうかを調べたのです。

古森 あなた自身はどうしたのですか。

ケイディス 私自身はそういう種類の参考資料はなにも持っていませんでした。外国の憲法集の書類も、私は実際には読みませんでした。シロタという女性がそれを集めて、持ってきていたことは、よく覚えているのです。

古森 憲法草案を実際に書き始めるという作業は、あなたがやったのですか。

ケイディス いいえ。憲法草案の各章ごとに委員会をひとつずつ任命して、その委員会がその章を受け持ったのです。たとえば、「国民の権利および義務」、これはたしか第三章だったと思いますが、それを担当する委員会があって、その委員会が国民の各種自由の権利や義務について、憲法の草案を書いたのです。

古森 いくつそういう委員会があったわけですか。

ケイディス 憲法にある章の数(十一章)と同じです。ただし、「戦争の放棄」に関する第二章は例外でした。

古森 憲法第九条、これがつまり第二章に相当するわけですね。

ケイディス そうです。原則として一章につき一委員会ということです。各章が最終的にどういう順番で並べられるのか、当時、私たちはまだわかりませんでした。

 私とラウエルとハッシーの三人が憲法前文をつくりました。それから戦争放棄についての章、これは後に第二章となるわけですが、これは「私がやる」ということを自分から宣言しました。それから財政についての章は、当時われわれの間では財政問題について最もくわしかったフランク・リゾーにまかせました

古森 実際の憲法起草が始まってからのプロセスでは、アメリカ本国の政府からどんな指示がありましたか。ワシントンはその過程でなにか命令をあたえたのでしょうか。

ケイディス いいえ、全然ありませんでした。

古森 まったくなんの指示もなかったのですか。

ケイディス そのとおりです。草案書きが進行している間、なんの指示もなかったのです。起草が終ってからも統合参謀本部からは新しい指令、訓令はなにもありませんでした。しかし極東委員会からは指令というか、提案というか、申し入れがありました。ただし憲法案が衆議院を通過してからだいぶ後です。たとえば内閣のメンバーはすべて文民でなければならないなどというのは、極東委員会の提案でした。これはGHQの草案にも、日本側の草案にも本来なかったのです。極東委員会がこうして提案した点が三つか四つありました。私が文民についての提案を覚えている理由は、“CIVILIAN”に相当する適当な言葉が日本語にはなく、高柳氏が“文民”という語をあらたにつくり出さねばならなかったいきさつがあったことによります。

古森 ところでベアテ・シロタという女性ですが、その後どうしたのでしょうか。

ケイディス いまニューヨークにいますよ。ベアテ・ゴードンという名で、ジャパン・ソサエティで働いています。日本に頻繁に行き、舞踊グループとかオーケストラなどをこちらに招いて、日米の文化交流を活発に進めています。

古森 さてまた本題にもどりますが、当時の統合参謀本部の一連の指令の中には、天皇制廃止とか、天皇の廃位を求めるような提案、指導はまったくなかったわけですね。

ケイディス 天皇の身柄あるいは天皇の在位に関する限り、そうした提案はまったくありませんでした。ただ天皇が国家や政府の大権を行使しないようにするという点は、明白にされていたと思います。

古森 ということは天皇をどう扱うかについては、統合参謀本部の指令が初めて天皇制に言及した時から、あなた方が憲法草案を実際に書き終えるまで、アメリカ側の方針には重要な変化はなにもなかった、といえるわけですか。

ケイディス さあ、その質問にはどう答えたらよいか・・・・・・というのはSWNCC228に書かれていた天皇についての方針は、極めて一般的なものだったため、それが実際、具体的になにを意味するのかは、私たちが推測しなければならなかったからです。たとえば天皇は政治的権限を行使することができないのなら、一体どんな存在となるのか。“国の象徴”とか“国民統合の象徴”といった表現は、実は私たちがその起草の段階でふっと考えついて、つくり出したものなのです。さらに私の記憶では、天皇はほかに種々の儀礼的な機能を果たすとか、外国からの賓客に面接するということになっていますが、これらも私たちがその段階で思いついて考え出したのです。憲法づくりの土台となるべき統合参謀本部(JCS)の指令書には、天皇がなにをするべきか、どんな機能を果たすべきか、ということは、一切、なにも書かれていませんでした。それから指令書は天皇がしてはいけないこと--政治上の権限は一切持たない、などということー-だけを定めてあったのです。だから起草グループの私たちが、天皇のすることを考え出さねばならなかったのです。


(つづく)