憲法第9条はマッカーサー元帥、ホイットニー准将から降りてきた「黄色い紙」にその基本指針が書かれていた、というのです。
第9条はまるでマジックのように生み出されたようです。
古森 はい、もう少し後で質問するつもりです。それはひとまずおいて、憲法第九条の第二項ですが、ここでは“交戦権”とか“陸海空軍その他の戦力”について述べられています。これらはマッカーサー・ノートにもはっきり書かれていたのですか。あなたがホイットニー准将から受けとった黄色い紙のノートですが。
ケイディス そういう表現の言葉ですか・・・・・・
古森 はい。字句どおり読んでいるのですが。
ケイディス (マッカーサー・ノートとの関連では)ちょっとすぐには思い出せませんが・・・・・・
古森 “陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない”となっています。
ケイディス ああ、それは憲法そのものですね。
古森 そうです。この“その他の戦力はこれを保持しない”という部分ですが、これも黄色い紙のマッカーサー・ノートに書かれてあったのですか。
ケイディス いや、なかったと思います。その部分は私自身の発案で挿入したものだと思います。
古森 憲法第九条の第三番目の文章“国の交戦権はこれを認めない”という、この部分はどうでしょう。
ケイディス 黄色い紙に書かれてあったかどうか・・・・・・いますぐにはおもいだせませんが、しかしその黄色い紙(マッカーサー・ノート)はたしか「日本の政治再指導」(GHQ民政局の作った公式文書)の中に再録されているはずだから、それを見ればわかるのですが、いま私の手元にはないのでちょっとわかりません。“交戦権”という表現がその中にあったかどうか。
古森 しかし“陸海空軍”・・・・・・という記述については、おぼえていらっしゃるでしょう。
ケイディス それが黄色い紙に書かれてあったかどうか・・・・・・とにかく記録に残っているその紙の内容を、もう一度見るのが最善の方法ですね。
古森 ところで一九四六年二月はじめから三月まで、ちょうど憲法が起草された時期のアメリカ政府の秘書文書は、これだけ年数がたっても、なお解禁となっていない部分があるとも聞きます。とくにSWNCC文書など憲法づくりに関係ある文書がそうだそうですが。そういったことを聞いたことがありますか。
ケイディス いいえ。アメリカ政府は三十年たてば原則としてすべての秘密文書を公表するというルールがある、というふうに了解しています。だからその時期の文書ももうみな解禁となっているのではないでしょうか。それ以上に確実なことは、私にはわかりません。
古森 一九四六年一月の、マッカーサー元帥と幣原首相との会話についてですが、そこで幣原氏が“日本が戦力を持たない”、あるいは“日本が戦争を放棄する”と言ったとされているのは、実は“世界中が戦力を持たない”あるいは“全世界が戦争を放棄する”という理想論を述べたのであり、とくに日本だけに限定して戦争放棄を語っていたのではない、という指摘があります(週刊文春八一年三月二十六日号の幣原道太郎氏の手記、「日本国憲法制度の由来」に記載の“羽室メモ”を引用している)。この点についてなにか記憶していますか。
ケイディス さあ、そういうこともあったかも知れない。あなた方の真相解明の助けになれなくて申し訳ないが、その点は私は知りません。
しかし、それに関してもうひとつ、別の可能性もあります。幣原男爵は国際的な考えの持ち主でした。ベテラン外交官でもあり、一九二〇年代に米英日三国の海軍が軍縮交渉をした時、それにかかわった経験もある。その幣原氏や吉田氏(当時外相)がやがては日本を国連に加盟させることを望んでいたことは間違いない。その国連は国際紛争解決の手段としての戦争を放棄しているのです。だからここで私に考えられるのは、幣原氏が戦争の放棄を日本の憲法でうたえば、将来それによって日本の国連加盟、つまり世界各国への再度の仲間入りが容易になる、と考えたのではないかということです。国連の精神と同じことをはっきりと憲法でうたえば、国連に入るのがよりやさしくなると考えたのではないか。武力の行使ということも、同様に放棄するわけです。しかしもちろん国連は現実には力の行使や戦争をすべて放棄する、というふうにはなりませんでした。けれども一九四六年当時、国連は平和維持の手段として、いまの現実よりはずっと効果的な機構になるだろうと期待されていたのです。その国連に入れてもらうには、日本は国際紛争解決の手段としての武力の行使を放棄する、といわざるをえない。だから幣原氏が日本の国連入りを真剣に望んでいたのなら、戦争の放棄を打ち出すのは、ごく自然だったとも考えられるのではないでしょうか。もちろん私はここで単なる推測を述べているだけです。
しかし幣原氏の子息の言うことを信用するか、あるいは先見の明のある外交官が多分意図しただろうことを信じるか、さらにマッカーサー元帥が“日本占領は大成功である。日本はあれほどの軍国主義から完全に一転した。これなら国際紛争の解決手段としての武力の行使あるいは戦争を放棄するのが自然である”というふうに考えたのかも知れません。だから私には幣原、マッカーサーいずれの側にも、(“戦争放棄”を打ち出す)動機を見いだすことができるのです。また同じことが天皇にも同様の動機を与えたかも知れないのです。
古森 あなたが憲法起草を始める以前に、マッカーサー元帥が、“戦争放棄”について何か言っていたのを記憶していますか。
ケイディス その時点では私はまだマッカーサー元帥に、直接面会したことはなかったのです。そのころ私が元帥を見るのは彼が第一生命ビルを出入りする時だけでした。
古森 ああそうですか。それからあなた自身、前に述べたように例の黄色い紙、憲法第九条が生まれてくるマッカーサー・ノートの起源について、ホイットニー准将に尋ねてみるということはしなかったわけですね。
ケイディス 私は軍隊にいたのです。軍隊ではただ上官の命令を受けるだけで、あれこれ質問などしないのです。(笑い)そんなことを尋ねたらホイットニー将軍は機嫌を悪くしたかも知れない。大体、私はその当時まだ彼をよく知らなかったのです。ホイットニー将軍はその五、六週間ほど前に民政局に配属になったばかりでしたから。その前年、四五年の十二月のなかばに彼は民政局に来たのです。だから私がそんな質問をすれば、きっと気分を悪くして、“そんなことはお前の知ったことか”と考えたでしょう。私は命令を“イエス・サー”といって受けただけなのです。質問はなにもしませんでした。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (25)
その後の歴史を見れば、甘いとしか言いようがありませんね。 すでに米ソのにらみ合いは始まっていたというのに。
いやあ、本当に歴史の現実は皮肉ですね。
以前DVDで「マッカーサー」グレゴリー・ペッグ主演を観たのですが、
幣原首相が「戦争の放棄」をマッカーサー元帥に提案し、マッカーサーが驚
いて口ごもるシーンがありました。その時、私は「ヘー!」と声を出してし
まっ記憶があります。これは史実なのでしょうかネ?
李登輝氏の靖国参拝を巡る各局の報道が
Youtubeに上がっています。
http://www.youtube.com/watch?v=Ed0ri3jPEYA
李登輝さんの靖国参拝のテレビ録画送付、本当にありがとうございました。
いまぜんぶ見終わりました。胸に迫る部分がありますね。
これからアメリカ議会の「ダルフール虐殺と北京五輪」という公聴会を聞きに出かけます。
現代の日本において、どこを突けば日本人の琴線に触れ、同時に中国に煮え湯を飲ませる事が出来るか。
誰もが判っていながら、躊躇して出来ない事を、大向こうを意識しながら花道を踏んで見せる。その政治的意図を、誰もが見え透いていると思いながらも惹きつけられ、目を逸らす事が出来ないのは、それが細部まで計算し尽くされた、付け焼刃の行動ではないからこそ、でしょう。
訪日スケジュールが安倍首相のサミット訪問に合わせられていること。
靖国神社訪問の意向が来日してから初めて明言されたこと。
かねて念願の奥の細道行脚、松尾芭蕉、俳句、武士道解題等々、日本人の心をくすぐる周到な種蒔きぶり。
江沢民氏や現政権の首脳に、李登輝氏のせめて十分の一ほどでも良いから日本人の感性に訴える戦略と知恵があれば、いや、むしろ無い事をこそ喜ぶべきでしょうね。
自国の安全保障のための戦力まで否定(GHQの原案)となれば、当時の日本の指導者もいかに占領下にあり、抵抗ができない状態だとはいえ、これでは困るという深刻な懸念や反発はあったことを記録にも残っています。その反発の集約がケイディス・インタビューでもそのうちご紹介する「芦田条項」でしょう。戦争の放棄や交戦権の否定は対外的な紛争解決に限り、日本自身の自衛はこの範疇にあらず、とする「解釈」のための条項です。
日本の自衛隊が軍隊ではなく自衛隊と呼ばれ、軍隊としての機能を完全には果たしていないのは、そのためです。
ご質問への答えは「はい、屈辱的だったでしょう」ということになります。
映画の中の話だということだと思います。
幣原説は歴史的には裏付けられておらず、むしろ反対の現実を示す証拠が多々あるようです。
アメリカ側としての日本の軍事能力を永遠に奪ってしまうことを意図した(その後、この意図は朝鮮戦争や東西冷戦で変わるとはいえ)憲法を押しつけた際、その根本の発想が実は日本側から出ていたのだとすれば、都合のよいフィクションになると計算しても、ふしぎはないですね。
確かにしたたかですよね。
計算し尽くし、食えない老練政治家・・・
でも、こちらがいくら斜めに構えてみようとしても、結論としては、ふううんと、素直に納得し、感動までしてしまうのは(感動などという大げさな表現を使わないと、自分の心情を正確に描けないなんて思うのは、私の場合だけでしょうが)、やはり李登輝さんが日本や日本人を心から好きなのだ、という認識がこちらにあるからでしょう。
私のそのコメントに対するコメントは「だからどうしたの?」という一語に尽きます。
もう戦後74年経て、朝日新聞はまだ、戦争が終わっていない。
情けないですな。
貴方のお言葉(笑)李登輝氏への最高の世辞であり、かつ日本の政治家への叱咤と受け止めました。(笑)みごとです。!・・・ただ最後のお一言の「・・・・・・いや、ないことを喜ぶべきでしょうな。」の部分、どう受け止めたらよろしいでしょうか。?
最後の一文は、中国にもし李登輝氏のような政治家が居たら、日本はとっくに精神的に屈服させられていただろうな、と言う意味です。
台湾にとって李登輝氏と言うリーダーを得た事は、何事にも替え難い僥倖であった、とも言えるでしょう。
しかし李登輝氏も、その前任者である蒋経国氏と言う慧眼の持ち主が居なければ、表舞台に立つことは無かったでしょう。同様に、今も昔も、中国大陸には李登輝氏に匹敵するような政治化が世に出る前に潰されてしまう構造的な欠陥があるのだろうと、私は思っています。
私自身の李登輝氏に対する視点は、徳川家康です。どうも家康には策謀家のイメージがあって、好きにはなれないのですが、しかし徳川の泰平を築いたのは紛れも無く家康の貢献、力量であり、その残した実績にはケチのつけようがありません。しかし好きにはなれないと言いながらも、家康と言う人には惹きつけられるものを感じざるを得ません。
李登輝氏にも、同じ匂いを感じるのです。そりゃもう、掛け値なしに、凄い人だと思います。うーん、だけどもし友人関係と言うか同盟関係にあったとしたら、いつ寝首をかかれるか不安で堪らないんじゃないか(笑)、そんな感覚です。
そう言えば実写版の魁!男塾に李登輝氏は校長役で出てませんでしたっけ?
了解ですわ。(笑)貴方様のご意見・・・痛快、かつ真摯ですね。(笑)
魁!男塾の校長は、あの有名な江田島平八先生です。(笑)
『金も要らぬ、名も要らぬ、命も要らぬ、という人は、始末に負えぬ人である。だが、始末に負えぬ人でなければ、真に国を動かすことは出来ぬものなり。』とは、山岡鉄舟の言葉でしたかね。葉隠流に言えば、曲者ですか。(笑)
李登輝さんの純粋なご言動は、朝日新聞のマスゴミの方々からみれば、却って油断ならぬ曲者と映るでしょうな。
えー、何かの記事で見たような気がするので正確じゃないです。白状すると私、魁!と聞くとクロマティ高校と答えてしまう方なので…(笑)
完全にスレ違いですね、すんません。
>かねて念願の奥の細道行脚、松尾芭蕉、俳句、武士道解題等々、日本人の心をくすぐる周到な種蒔きぶり。
私が少年時代(笑
日本ってなんだろう?
って考えていた時に行きついた答えのようなものでした
Japanese force)も交戦者の権利を授与されない」とはっきり書かれていたわけですが)
ケ氏が芦田修正に関してどう言ったのか、興味を唆られます。
昨日、2003年の文庫本「吉田茂という逆説」(保坂正康:著)を読んでいたので、個人的に非常にタイムリーなエントリィでした。
歴史の連続性を痛感しております。
続編を楽しみにしています。
確かにいままでのところだけで判断すると、矛盾も多いでしょうね。
しかしケイディスの話はまだ続きがあり、そのなかできちんした説明の言辞があるかも知れません。
これから残りを紹介していきます。
初めまして。
ケイディス氏の会見記録は残りまだかなりの分量があります。
ご返答ありがとうございました!!!
>ケイディス氏の会見記録は残りまだかなりの分量があります。
本当は、まとめて解説付きで出版していただきたいぐらいの気持ちであります。
ホントに大変だと思いますが(戦後史は読むのもイロイロと大変なのでなおさらそう思います)、古森様にとってのbetter wayでゆっくりとお願い致します。
*私は得に特殊勢力を支持するものではありません。単純に日本の歴史を知りたいだけのものです。戦後〜昭和20年代の国民生活を感じたいだけであります。このエントリィはその資料として、非常に参考になる記述だと思いました。
以上、失礼致しました。私の祖母はサンケイ新聞を愛読しておりましたが、私の親の代で、毎日〜朝日と揺れております。さすがに昨年からの朝日さんの暴挙(?)で朝日さんはいくらなんでも…、となって来ました。。。。私としては、それぞれ、テキトーに中立しておけばいいのに…というぐらいでしたが、さらに激しくなってるようで、、、、。
ケイディス会見は1981年に私が故・江藤淳氏からの協力要請を受けて実施し、その結果は江藤氏が編集した憲法制定経緯を明かす単行本の冒頭に掲載されました。講談社刊の本です。詳細は次回の掲載の際に書きましょう。
もうその単行本自体が人目に触れることがなくなり、その一方、国民投票法の成立などで、憲法への関心がまた高まってきたため、憲法を実際に起草した人との長時間の質疑応答の再紹介は意味があると判断した次第です。
以上の背景はこのブログでのケイディス会見の第一回目で書いたのですが、そのエントリーを私の技術的なミスで消してしまいました。