日本国憲法を起草したチャールズ・ケイディス氏のインタビュー記録の紹介を続けます。
第9条を書いたケイディス氏は最初の草案のままでは、日本は自国の防衛さえもできなくなってしまうと懸念し、「芦田修正」を挿入することを認めた、というのです。
「芦田修正」とは、第9条の1項の後、2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文句を入れたことを指します。
この結果、日本はかろうじて、自国を守るための自衛の武力行使だけはできるようになった、とされています。
こんな点がまでが一大佐の一存にゆだねられていたというのです。
同時にケイディス氏は当時、「交戦権」という言葉が実際になにを意味するのか、知らなかった、と告白しています。

そうです。日本の憲法はこんな荒っぽい方法で作られたのです。


ケイディス会見(6)

 

古森 一九二八年にパリで調印された国際条約に、パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)というのがあります。ご存知のように世界各国が戦争放棄の原則を申し合わせたもので、日本も署名国となっています。このパリ不戦条約の内容が、あなたが日本憲法を起草するプロセスでなんらかの役割を果たしたでしょうか。とくに戦争放棄をうたった第九条を書く上で、影響を与えたでしょうか。

 

ケイディス はい。ある意味では影響があったといえます。なぜならケロッグ・ブリアン条約は、私自身に極めて強い印象を残していたからです。私が戦争放棄の第九条起草について“この条項は私がやりましょう”とかって出た理由のひとつは、パリ不戦条約の中にうたわれていることを思い出してそれを生かせるだろうと考えたからなのです。パリ条約

ができた時、私は法律学校にいましたが、これは世界の歴史の一大転換点になるだろうと感じたものです。そして条約の内容をすっかり暗記までしたのです。もちろんそれは一九二八年のことで、日本にいたころよりずっと昔のことです。だから憲法起草当時、パリ条約の内容を細かにはもう覚えていなかったかも知れない。でもそれを思い出してみようとは考えていました。だからその意味でパリ不戦条約が日本憲法第九条起草になんらかの役割を果たしていた、とはいえるわけです。

 

古森 そのパリ不戦条約に、自衛権に関してアメリカが留保条件をつけたことは、覚えていらっしゃいますか。その留保とは、“この条約はいかなる形においても自衛権を制限し、または毀損するなにものをも含まない。この権利はすべての主権国家に固有であり、すべての国際条約に暗黙に含まれている”-――という内容です。これをアメリカが後から留保としてつけたのですが。

 

ケイディス それは非常におもしろいですね。なぜならアメリカのそういう留保条件について私が聞くのはこれが初めてだと思うからです。しかし私が“自国の安全を保つための手段としての戦争も放棄する”という部分を削除する時、もしかするとこのアメリカの留保条件に起源を発して、私の頭に影響を与えていたのかも知れません。古森さん、あなたはそのアメリカの留保条件というのを原文どおり引用しているのですか。

 

古森 はい。

 

ケイディス すでに述べたようにすべての国は固有の諸権利を持っています。日本にも当然この固有の自衛権はあると考え、その旨をホイットニー将軍に伝えたわけです。しかしアメリカが同じ趣旨の留保条件をパリ不戦条約につけていたということは、ひょっとすると私自身、ずっと以前にそれを聞いていて、一九四六年にも無意識に頭の片隅にあって、それが表面に出てきたのかも知れません。

 

古森 それが表面に出てきたというわけですか。しかしケロッグ・ブリアン条約は日本の憲法九条にある“交戦権”とか、“陸海空軍はこれを保持しない”といった部分に関連するような規定は、なにも含んでいませんね。

 

ケイディス そうですね。

 

古森 私の資料では、マッカーサー・ノートは“日本が陸海空軍を維持する機能は将来許可されることはなく、日本軍に交戦権が与えられることもない”と記してあったことになっています。

 

ケイディス ああそうですか。“その他の戦力”というのは、私が挿入したのです。それから最後の“交戦権”ですが、これは実のところ日本側がその削除を提案するよう、私はずっと望んでいたのです。なぜなら“交戦権”というのが一体、何を意味するのか私にはわからなかったからです。いまもってよくわかりません。(笑い)

 

古森 それならなぜそんなものを書きいれたのですか。

 

ケイディス 黄色い紙(マッカーサー・ノート)に書かれていたから、そのまま憲法草案に書きこんだのでしょう。交戦者あるいは交戦国が持つ権利が“交戦権”なのでしょうが、私は国際法学者ではないので、これが実際になにを意味するのか、いまもってはっきりとはわかりません。だから当時でも、もし日本政府がこの部分を削除するように求めてきたら、私は“その削除には反対しません”と言ってすぐに修正を認めたでしょう。ちょうど芦田修正を受け入れたのと同様に対応したのです。

 

古森 ああそうですか。

 

ケイディス 憲法草案の、たとえば“交戦権”否定のような部分を削除したり、修正するのに、私はホイットニー将軍や、マッカーサー元帥におうかがいをいちいちたてる必要は、まったくなかったのです。私は元帥から、日本側の修正提案が憲法草案の基礎的、基本的な原則に違反しない限りは、私が日本側に、“(その修正には)反対はありません”と言ってよい、という指令を受けていたのです。私の段階で修正や削除を認めてもよいという一貫した命令を受け、そういう権限を与えられていました。後に芦田氏が修正案を示した時も、私は彼に“上官の承認を得なくてもよいのか”と尋ねたものです。私はその修正案を読んで、了解したので、“反対はありません”と即座に答えました。

 

古森 憲法第九条の、“戦力と武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する”という第一項の後、第二項の冒頭に“前項の目的を達するため”という一節を挿入した、あの芦田修正ですね(その結果、第二項は、「国際紛争を解決する手段としての戦力を放棄するという目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という意味になり、“固有の自衛権”にもとづく自衛隊保持の根拠が生まれてきた、とされている)。

 

ケイディス そうです。芦田氏に私は、“この修正に反対はありません”と告げたら、彼はホイットニー、あるいはマッカーサーという私の上官にまず協議しなくてよいのか、と尋ねました。私は、“その必要はありません。憲法の基本的な原則に違反しない修正や削除なら、すべて受け入れて構わない、という許可の命令を私は受けているのです”と答えました。芦田氏はその修正案によって二つのことを果たそうと意図していたようです。第一には、日本がもし国連に加盟したあかつきには国連の平和維持軍に日本も参加、貢献できることを可能にしておこう、と考えていた。第二には、芦田氏がその修正で、日本はなお自国防衛の権利は有しているのだということを明確にしておこうとした、と私は思いました。とくにこの自衛権については、私もそう言われなくても日本に固有の自衛権があることは当然と考えていました。だからすぐにその修正には反対はない、と答えたのです。芦田氏は私が上官に相談しないでOKを出すことに、とても驚いていました。

 しかし事後に私はホイットニー将軍にその旨の話をしました。と、将軍は“芦田氏は一体、なにをしようとしているのか?”とただしました。私はそれにいまあなたに説明したことをもって答えたのです。この修正が基本的な原則を破るとは、そうみても考えられない、と説明しました。ホイットニー将軍はそれに同意して、事態は落着したのです。

  (つづく)