日本の憲法を起草したチャールズ・ケイディス大佐のインタビュー記録の紹介を続けます。
今回の部分ではケイディス氏はまた一段とショッキングな告白をしています。
一つは憲法第9条の究極部分ともされる「交戦権」について、それが現実になにを意味するのか、知らなかった、というのです。交戦権とは単に戦争をする権利ではなく、戦争に付随して、関連諸国がとれる行動全般の権利をも意味していただろうが、正確にはわからないまま、それを記した、というのです。
第二には、そんなよくわからないまま書いた「交戦権」の禁止については、もし日本側から削除を求められたら、削除していた、という告白でした。
日本国憲法の誕生はこんなふうだったのです。

では以下はケイディス会見の続きです。

古森 それでは“その他の戦力はこれを保持しない”という部分は、どうでしょう。ここをもし日本側が削除して欲しいと言ってきたとしたら、どうしましたか。

 

ケイディス さあ・・・・・・私が反対はしなかっただろうといったのは、“交戦権”の部分なのです。“交戦権”というのが一体、なにを意味するのか、私はよくわからなかったからです。しかし、“戦力”については、いま思うにやはりその削除には反対したでしょうね。“陸海空軍その他の戦力”という場合の“戦力”というのは防衛用ではなく攻撃用の兵器、兵力を多分意味したからです。もし“戦力”というのをとってしまうと、日本は防衛、攻撃両方の兵力を持てる、ということを意味してしまったでしょう。となると私は非常に懸念したでしょうね。日本側とその削除について話し合いはしたかも知れないが、私としては同意できなかったと思います。ホイットニー、あるいはマッカーサーという上官にその決定をゆだねたでしょうね。とくに“陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない”という部分を全部けずってしまったら、日本は攻撃用の軍隊を持てることになるから、私はそんな事態を極めて恐れました。

 

古森 しかし“その他の戦力”という部分だけを削っても、“陸海空軍はこれを保持しない”という箇所だけははっきり生きていれば、やはり効果は同じだったのではないでしょうか。

 

ケイディス うーん、まあそう言えるのかも知れませんね。“戦力”という箇所だけに限っての削除なら、考えたかも知れない。しかし全体の文章の削除は問題外です。

 

古森 もう一度、繰り返しますが、“国の交戦権はこれを認めない”という部分は、もし日本側から削除の求めがあったなら、あなたはまったく反対しなかった、というわけですね。それは“交戦権”というのはさほど意味がない、重要ではない、と考えたからですか。

 

ケイディス 反対はしなかった、というのはそのとおりです。私は交戦権ということが理解できなかった。交戦状態にある時のさまざまな権利、というのがなんなのか、知らなかった。正直なところいまでもわからないのです。(笑い)交戦権というものがあることは知っています。が、それが一体なにを指すのかがわからないのです。だから当時、“ここでわれわれが取りあげているのは一体なんなのか、交戦権とはなんなのか”ということを問いつめるべきでした。いまだったらきっとブレイクモア氏かだれかによく聞いてみるでしょう。

 

古森 ブレイクモア氏?

 

ケイディス BLAKEMOREです。彼は日本在住の代表的なアメリカ人弁護士で、日本の弁護士会のメンバーでもあるはずです。私は彼のような人物に頼んで、交戦権について、もしそれに関する規定を憲法から削ったら、どんな権利がなくなることになるのか、法律解釈の覚書を作ってもらうのがよかったと思います。しかし実際には私は、それ(交戦権を認めない)がホイットニー将軍がくれたノートに書かれてあったので、ただそのまま憲法草案に挿入したのです。

 

古森 ここで基礎的なことをはっきりさせておきたいのですが、THE RIGHT OF BELLIGERENCYというのは、さきに日本の法律用語で“交戦権”というようなものが存在して、その概念を取り入れるために、アメリカがそれを英語に翻訳した、というようなことでは、あくまでもないのですね。

 

ケイディス はい。英語のTHE RIGHT OF BELLIGERENCYというのがさきに存在したのです。そのことは前から知っていた。ただそれが具体的になにを意味するのか、私は確かではなかったのです。しかし日本側にはこの交戦権ということについて研究した法律家たちがたくさんいるはずです。その後、憲法制定についての(日米の)会議が何回かあって私は金森国務相と長谷川氏(翻訳官)と話し合ったけれども、交戦権とはなにを意味するのかについては、だれも質問を提起しませんでした。だから私は自分自身、それがなにを意味するのか知らなかったのだけれど、日本側の人たちはきっと知っているに違いないと推察したのです。

 

古森 交戦権とは単に、主権国家が自国防衛のため、あるいは他国への攻撃のために、戦争を宣言する、戦闘状態に入るという権利を意味するのではないでしょうか。

 

ケイディス よくわかりませんが、私はもっとそれ以上のことを意味するのだと思います。たとえば相手国さらに第三国の港を封鎖する権利なども含むかも知れない。とにかく当時だれもこの点を質問しなかったのです。

 

古森 少し言い方を変えて質問したいのですが、では、あなたの解釈では、他のどの国も交戦権というのは持っているわけですか。

 

ケイディス もしその国が交戦状態に入れば交戦権を持つことになるでしょう。私が思うに、当時、意図されたのはもし日本が戦闘状態に入ることがあっても、それは自国の純粋な防衛のためにのみ戦闘をしているのだから、交戦権は必要ではない、ということかも知れません。その交戦権がなにを意味するにしても、です。

 

古森 江藤淳教授、現行憲法の成立事情についての研究者としていま日本でも有数の学者であり、ケイディスさんも会われたことがあると思いますが、その江藤教授は、もしある国が交戦権を持たないということであれば、それはその国の主権そのものの制限である、と説いています。これは、すべての主権国家は交戦権を持っている、という前提に立っているわけですが。

 

ケイディス はあ・・・・・・

 

古森 江藤教授の考えでは、だから日本は完全な意味での主権国家ではない、ということになります。

 

ケイディス なるほど。もしその考えが正しいとすれば、日本は主権国家としての基本権利のひとつを、みずから進んで放棄した、ということになりますね。攻撃性を持つ軍備をそなえることも、同様に主権国家としての権利のひとつだと思いますね。(その点でも、日本は主権国家としての権利をみずから放棄していることになるのではないか、という意味である)

 

古森 ああそうですか。しかしいずれにせよ、当時のあなた自身の判断では、この交戦権に関する部分は、さほど重要ではなかった、ということですね。

ケイディス そうです。

 

古森 新憲法の基本的な構成要素では、まったくなかったという考えですね。

 

ケイディス そのとおりです。もしその“交戦権を認めない”という箇所を削除しても、日本はなお、国際紛争の解決手段として戦争を放棄している。自衛以外のためには軍隊を持たないということになっている。だから私は当時、交戦権の規定はあなたの言うように、“さほど重要”とは思わなかったのです。

 

古森 ああ、そうですか。

 

ケイディス しかしいずれにしても、当時、この点をだれも問いただすということがなかったのです。

(つづく)