アメリカ下院が予測どおりに7月30日に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を可決しました。
下院本会議での可決とはいえ、出席していた議員は435人のうち10人たらず、しかも公表の予定の午後6時半という、もっと議員の多い時間の採決をあわてたように、午後3時すぎに早めての発声による採決でした。

この決議案をもう下院で7年ほども一貫してプッシュしてきたマイク・ホンダ議員がその採決の直後に記者会見をしました。
その会見でホンダ氏は驚くべき発言(あまりにも率直という意味で)をしたのです。

ホンダ氏は会見の冒頭で、在米の中国系反日団体の「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)に感謝をし、カリフォルニア州議員時代からこの団体の指導と支援を得て、この日本非難の慰安婦決議案を推進してきたのだ、と宣言したのです。主導は韓国系団体でもなく、アメリカ議会自体でもなかった、ということです。
みな中国系団体に踊らされている、ということなのです

この事実を日本のマスコミの多くは報道していません。
アメリカでの慰安婦問題とはなんなのか。その本質を明らかにするホンダ議員の言明であり、告白でした。

その点を私は8月3日付の産経新聞で報じたので、以下にその記事を紹介します。


 ホンダ議員 慰安婦決議採択直後の明言 中国系団体が主導

[ワシントン=古森義久]

米国下院は慰安婦問題で日本を糾弾する決議を採択したが、この決議を主導したマイク・ホンダ議員(民主党・カリフォルニア州選出)は採択直後の記者会見で最初に在米の中国系反日団体への感謝を述べ、同団体が長年にわたり慰安婦問題に関する日本非難の同議員の活動の最大推進力となってきたことを明言した。

 ホンダ議員は7月30日の同会見で冒頭、「感謝」の対象として真っ先に在米中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(以下、抗日連合会と略)の名をあげ、次のように語った。

 「1999年、この団体がアジアで起きたことの映像展示会を開き、その一つが慰安婦問題だった。そして同団体の指導と主唱が私たち議員事務所、私個人にとっての最初の(同問題への)かかわりとなった。同団体の主唱こそが私に情報と推進力を与え、カリフォルニア州議会で共同決議を採択させた」

 同州議会での決議は慰安婦問題などで日本政府に謝罪や賠償を求める内容で、賠償を除いては今回の連邦議会下院での決議と同趣旨だった。州議会での決議案は抗日連合会の幹部連がホンダ議員と「ともに書き、共闘で成立させた」と明言していた。同幹部連は以後もホンダ氏が連邦議会下院選に出る際に政治献金などで全面支援し、2001年から今回まで合計4回の慰安婦決議案提出でも背後の推進力となったことを同様に地元マスコミなどに明かしてきた。

 連邦議会での同決議案推進のロビー工作には韓国系の「ワシントン慰安婦連合」などという団体が表面に出ていたが、ホンダ議員は決議案採択後の会見では同団体に言及もせず、真の推進役が中国系の抗日連合会であることを期せずして明示した。また決議案の審理中もホンダ議員は中国系とのかかわりを語ることはなかった。

 ホンダ議員は同会見で「中国政府から指令されてはいない」と強調した。

しかし抗日連合会は1994年にカリフォルニア州で結成され、幹部はみな中国系の米人や永住権保持者だとはいえ、2005年春には中国政府の意向を受ける形で日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名を4200万人分も集めたと発表したほか、02年には中国当局の協力を得て上海で第二次大戦の賠償に関する国際法会議を開くなど、中国との密接なきずなを明示してきた。

 ホンダ議員の選挙区に本部をおく抗日連合会はさらに1997年には南京事件に関する欠陥書の「レイプ・オブ・南京」

(アイリス・チャン著)の宣伝や販売に総力を投入したほか、昨年には「クリント・イーストウッド監督が南京大虐殺の映画を作る」というデマの発信源ともなった。こうした動きに加えて同連合会は「日本は戦時中の残虐行為について謝罪も賠償をしていない」という大前提から対日講和条約を否定してまで日本を糾弾する「宣言」をしている点で完全な反日団体とみなされる。

 同連合会は慰安婦問題以外でも南京事件や米人捕虜、731部隊などでなお日本を追及することを公約する一方、ホンダ議員もこんご米国議会を舞台に米人捕虜での日本非難を続けることを言明している。

 他方、今回の慰安婦決議では日本側の最近の動向に対応して米国議会が自主的に批判の動きをとり、韓国系団体が同調したという構図が提示されてきた。だがホンダ議員が中国系の抗日連合会こそ日本糾弾の真の推進役であることを初めて明らかにし、しかもその団体が中国当局の意向を反映し、日本側の動向にかかわらず、恒常的に歴史問題での日本非難の構えを取ってきた実態と合わせて、いわゆる慰安婦問題での真実の構図は従来の表面での印象とはまったく異なることが証されたといえる。