日本の憲法の起草者チャールズ・ケイディス氏(元米軍大佐)のインタビュー記録の紹介を続けます。この回が通算で11回目、最終回となります。

この記録でいやというほど証されたのは、いまの日本の憲法がアメリカ占領当局によって最初から最後まで仕切られ、作られた、という単純な事実だといえましょう。

この基本は戦後62年目のいま憲法問題を考える際にきわめて重要な要因であることは言を待たないといえます。

以下がインタビュー記録の最終部分です。



ケイディス 国民投票にかけるという発言ですか。

古森 国民投票とそれから原子力エネルギーに関する発言です。

ケイディス ああ、あの原子力という言葉ね・・・・・・ホイットニー将軍は核攻撃をかけるという脅しをかけていたのではないのです。それよりも日本の指導者は憲法草案が国民投票にかけられるのを恐れていた、と私は思います。

古森 国民がGHQ案に賛成しただろうからですか。

ケイディス 国民は賛成したでしょう。GHQの草案は全体に、最終的に採用された日本憲法よりもやや過激でした。国民投票となれば、アメリカ製の文書がすべてそっくりそのまま、採用されることとなったのです。

 憲法起草に関してもうひとつ、おもしろく思い出すのは、白洲氏の、人をおどろかすやり方です。憲法草案を英語から日本語に翻訳する作業のため、日本側と徹夜で交渉を続けていた時、ミス・シロタが“こういう日本語では格式ばりすぎて、天皇がラジオを通じて話すのと同じような調子の皇室用語風なので、一般国民の大多数は理解できないでしょう”と発言しました。日本在住の長い他の通訳二人もこれに同意しました。私は日本語が全然わからないのだけれど、とにかく、“一般国民にもっとわかり易い日本語に訳すことはできないか”とみんなに提案しました。そこでまた最初にもどってすごく時間がかかる作業が始まりました。オックスフォード大学に留学した日本人の弁護士が集まって、言葉のひとつひとつについて訳を決めていくのです。ずっとそれが続き午前四時ごろになってもちっともメドがつかないので、私は責任者として“これではいつまでたっても終わらないから、なんとか早く仕上げる方法はないか”と問いただしました。

 そうしたら白洲氏がおもむろにポケットに手を入れて紙をとり出し“ケイディス大佐、あなたが作りあげたいというのはこれではないでしょうか”というのです。みると彼はGHQの憲法草案を一般国民にわかりやすい日本語に全訳したものを、持っているのです。会議のはじめから彼はそれを持っていながら、翻訳の過程でなにか日本側に有利な訳がでてこないかどうかなどを期待したため、黙っていたのでしょう。私たちはそのために何時間も浪費したのです。

古森 白洲氏が自分で訳したわけではないでしょう。

ケイディス 外務省の公式の翻訳です。一般国民にわかりやすい日本語になっていました。日本側はこれと、もうひとつ難解な日本語の訳と両方を準備していたのです。白洲氏はとても抜け目のない人物で、どうしてもそれを提出せざるえないという瞬間まで、黙っていたのです。

古森 白洲氏に関してはいろいろなエピソードがあるようですね。

ケイディス 彼にはちょっと信用をおけないところもありました。当時、彼は私のオフィスに毎朝やってきたものです。白洲氏はタバコをよく吸っていたので、私はPXの十セントほどのタバコをよくプレゼントしました。PXから支給されても私はタバコは吸わなかったからです。彼は朝、私のところへ来て“牛乳配達が牛乳ビンを回収に来ました”などといってその日の新しい情報を私から得ようとしたものです。私も秘密ではない情報をよく彼に知らせました。彼はそれを終戦連絡事務局とか首相とかに流していたのでしょう。

 その後、白洲氏は大きなパーティーを開く計画を立て、民生局のメンバーの全員を招待しました。芸者ハウスでの大パーティーで、民生局の百人近い全員が招かれました。しかし私は局次長として、将校がみんなで芸者パーティーに行けば、アメリカの新聞記者にきっとそれを書かれ、本国で批判をあびるだろうと考えて、そのパーティーに行くなという命令を将校全員に出したのです。その後、白洲氏は私の前に全然、顔を見せなくなりました。パーティーのことで気分を悪くし、きっと日本側に対しても面子を失う結果となったからでしょう。彼は民生局とのつながりを日本側に誇って語っていた形跡があり、きっと私のとった措置に憤慨したのでしょう。でも私としては禁止令を出さざるをえなかった。将校がもし多数、芸者ハウスに行って写真でも撮られたら、それこそ乱交パーティーのような感じに受けとられかねなかったのです。(笑い)

古森 それではどうも長い時間、貴重なお話をありがとうございました。

ケイディス いいえ、どれほどお役に立てたか・・・・・・。

(全記録終わり)