福田康夫氏がいよいよ首相となります。
福田氏が日本の政府の頂点に立つことへの懸念は多々あります。
その一端は福田氏の北朝鮮や中国に対するこれまでの言動です。
この点について拉致被害者たちの心情を表明した言明が「救う会全国協議会ニュース」として私のところにも送られてきました。
2002年9月17日の小泉訪朝で金正日が過去の日本人拉致を初めて認め、多くの被害者の「死亡」を発表した直後、官房長官だった福田康夫氏がどんな言動をとったかの詳しい報告です。
以下にその抜粋を紹介します。
福田首相を判断する材料です。


★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2002.9.19)

       外務省の安否確認発表に重大な疑義
                                 救う会全国協議会事務局長 荒木和博
                                                        (平成14年9月19日)
(略)
 ご家族は17日午後、外務省のチャーターしたバスで麻布の飯倉公館に赴き、1時間程ホールのようなところで待たされた後に一家族ずつ呼び出されて別室に行き「宣告」を受けました。佐藤勝巳全国協議会会長と私は市川さんのご家族以外のすべてのご家族に同席しましたが、最初に呼ばれた横田さんのご家族(滋さん、早紀江さん、弟の拓也さんと哲也さん)には植竹副大臣が「残念ですが娘さんは亡くなっておられます」と断言しました。「信じられません」というご家族に、副大臣は「確認のためにこれまでお待たせしました」と、絶対間違いないという説明をしたのです。

 家族が集合していたホールには大きなテレビが設置され、その前に観客席のようにイスが並べられていました。私たちはてっきりそこに拉致された人が出てくるものだと思っていました。ところがスイッチを入れて出てきたのはNHKのニュースでした。

 最初に横田さんが呼ばれた時点から別室にいた私たちは分かりませんでしたが、ホールで待っていたご家族のところにはニュースを通して「何人生存、何人死亡」といったようなニュースが伝えられていました。

そして、亡くなったとされるご家族は個別に呼ばれ、生存していると言われたご家族は4家族一緒に集められて植竹副大臣ないし福田官房長官から「宣告」を受けたのです。

このときの説明は植竹副大臣は「亡くなりました」、福田官房長官は「亡くなったという情報があります」という言い方でしたが、どちらも語調は極めて断定的で「北朝鮮側がこういう情報を伝えています」といったようなものではありませんでした。

  また、生存されていたとされるご家族は4家族が一同に集められ、福田長官から「だれだれは研究所につとめており、だれだれは専業主婦で…」と伝えられました。

このとき、ご立派だと思ったのですが、皆さんはまったく喜びの表情をみせず、それどころか、他の方が亡くなったとの知らせに号泣しました。蓮池さんのお母さんが叱責すると福田官房長官は「黙りなさい」といって、両手を広げて「皆さんのお子さんは生きているんですよ」と強調しました。おそらく、自分たちの子供が生きていると知って喜んで感謝すると思ったのでしょう。そのあてが外れたので動揺したように見えました。

 (中略)

 ここからは私(荒木和博氏)の推定です。

 北朝鮮金正日政権と日本外務省の一部及び福田官房長官は何がなんでも国交正常化交渉を始めたかった。
しかし、拉致問題があるのでそれは世論が納得しない。しかし北朝鮮は国際的にも国内的にも窮地に追い込まれており、後戻りはできない。
そこで「8件11人」を出して拉致を認め、認めたということで国交正常化交渉に入る。
ご家族は共同宣言調印のときにはマスコミから遮断して反応を見せないようにし、飯倉公館でご家族に伝えるときには豪華な部屋に呼んで重々しい雰囲気であえて断定的に話してあきらめさせる。
生存しているとされたご家族は一同に集めて説明し、喜ばせて家族会を分断する。死んだと言った人は落胆して行動する気持ちをなくし、せいぜい遺骨の収集や安否確認という話になる。
安否の確認を日朝国交交渉の中でやるということになれば国交交渉を止めるものは誰もいなくなる。
(以下略)

MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM
    特定失踪者問題調査会ニュース
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