日本軍のための慰安婦と兵士の交流を描いた小説に「水の琴」という作品があります。作者は直木賞受賞作家の伊藤桂一氏です。伊藤氏自身、戦時中は日本軍人として中国各地に駐屯し、慰安婦や慰安所も実際に目撃し、体験しています。その経験に基づく作品「水の琴」はまさに恋愛小説です。兵士が慰安婦と交流し、恋愛をするという物語です。『オール読物』昭和37年4月号に掲載されました。

軍隊のための売春というのは、今日の倫理規範からすれば、もちろん糾弾され、排撃されるべき事象でしょう。あってはならなかった悲しい事象ともいえましょう。
しかし日本軍の慰安婦たちは、アメリカ議会の決議が表現するような「性的奴隷」だったのか。日本軍将兵は慰安婦の女性たちを奴隷のように扱っていたのか。
この小説「水の琴」ではまったく異なる実態が描かれます。

この作品には以下のような記述が出てきます。「私」というのは日本軍兵士、「あなた」というのは朝鮮出身の慰安婦の女性です。舞台は中国北部の揚子江ほとりの慰安所です。


「私たちはあのとき、水の豊かな国でめぐりあった。
そのときあなたは、ひとりの、まずしい朝鮮の遊女にすぎなかった」

「私には、だれよりもあなたが美しくみえたのだ。肉とともに、意志や情操をもひさぎつくしたあとの放心のなかに、あなたがよろめきながら生きていたのであったとしても、なお私にはそのあなたのなかに、掬むべき限りない馥郁(ふくいく)を発見できていたのだから」

「あなたとめぐりあったとき、だから私は、一本の藁をも掴むような想いで、あなたに縋って行きたかったのだろう。私は、生きては故山の土を踏めまいと覚悟していた。ただ、なんの彩りもない自分の青春を抱いて、異郷の片隅で死を迎えたくはなかった。少しでも深く、あなたの谷間に溺れ込んで行き、自身の寂しさをいたわってやりたかった。私はひとつの渦に巻き込まれたように、あなたとふたりで、ひとときの人生の薄明のなかを生きたのだ」

「私の手を引いて、その部屋へ案内してきたとき、あなたはひとりで夜の町に出て行って、露店で、一椀の家鴨(あひる)の肉を買ってきた。
 『食べなさい。おいしいのよ。食べなさい』
 何度もすすめ、その一ひらを箸でさしはさんでくれたものだった。その動作は無垢な心情に満ちていて、深い夜のムードのなかで、私を快く酔わしてきた。私は素直に家鴨の肉をわけ合って食べ、長い流離を経てきているくせに、意外と純真なあなたの人となりにおどろいた。どのような境遇に陥ちていても、それ以上は汚れることのない、無心に湛えられているものを、あなたが失わずにいるような気がしたのだ」

以上はほんの一部の引用です。
この「水の琴」では慰安婦の女性に恋してしまう兵士と、その兵士に優しさをみせる女性との悲しい交流がなおふんだんに描かれています。
その描写からは「性的奴隷」というイメージではなく、哀れでむごくはあるけれども、ふつうの男女の恋愛にさえ思える純粋な交情が浮かび上がってきます。

この作品はもちろんフィクションです。しかし往時の戦争という背景のなか、だれもが明日をも知れぬ日夜を過ごしていた特殊な環境の下での、男女のやりとりが現代の規範といかにかけ離れていたかは、よくわかるでしょう。
そうした点を考えると、私は現代の規範で当時の現象の一部だけを取り出して、断罪することに対し、犯罪に近いような独善性をどうしても感じてしまうのです。