ワシントンで数週間前に観て、考えさせられたアメリカ映画The Brave One(勇気ある者) がいま日本でも邦題『ブレイブ ワン』として公開されました。

私がこの映画で考えさせらたのは、犯罪事件の加害者と被害者と、それぞれの人権です。

この映画はジョディ・フォスターの主演です。
あらすじは、ニューヨークのラジオ・パーソナリティーの女性が婚約者とセントラルパークを散歩中に暴漢に襲われ、婚約者は殺され、自身も重傷を負います。悲嘆と憤慨にくれた彼女は苦慮の末、拳銃を手に入れて、みずからの復讐を誓います。その間、マンハッタンのあちこちで一般市民に暴力が振るわれる場に出会い、みずから制裁を下します。

それからの展開の紹介は差し控えますが、この映画の主題は「暴力犯罪の被害者の立場」です。
アメリカでも日本でも人権尊重が社会の前提ではありますが、この人権尊重の大原則が犯罪者の側にも適用され、被害者あるいはその家族の側の人権が軽視されがちとなります。加害者の人権が尊重されすぎるという傾向だといえましょうか。

アメリカ社会では、この課題は古くから論議の的となり、映画でも被害者側が自衛の延長でみずから加害者、あるいは暴力者の側を撃滅するというテーマが取り上げられてきました。代表的なのはチャールズ・ブロンソンによる「ビジランテ(自警団、その延長での復讐者)」の映画のシリーズです。日本では『狼よ さらば』(1974年)というのが有名になりました。

今回の『ブレイブ ワン』も被害者側の心理を鋭くえぐった映画です。
映画ですからもちろん誇張や過剰も多々あります。しかし底流となるテーマは日本社会でも十二分に現代性のある、重い課題だと感じました。

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さて、この映画をみて思い出したのは、最近、読んだ日本のミステリー小説でした。
『当確への布石』(高山聖史著)という作品です。2007年第5回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞作です。 
そのストーリーは次のように紹介されています。

(あらすじ)
 私立大学で教鞭をとり、犯罪被害者救済活動を続けてきた大原奈津子は、衆議院統一補欠選挙東京6区への出馬を決める。前議員の田所孝夫がセクハラ事件を起こし、その失職に伴う補選だった。そんな折、奈津子宛てに、元犯罪者の顔写真や所在等を記したビラを撒いて騒ぎを起こしていた「凶悪犯罪抑止連合会」という実体不明の団体から推薦状が届く。不審な団体からの支持は選挙を不利にするため、奈津子は、教え子の夫で元刑事の平澤栄治に相談する。栄治は抑止連の正体を突き止めるべく、捜査を開始した。
 選挙を知り尽くした策略家・森崎啓子や、抑止連との関係を書きたてる雑誌記者、井端純平のキナ臭い動きに翻弄されながらも、栄治の捜査によって補選のカラクリが見えてくる......。
選挙と、その周辺に渦巻く数々の策謀。さまざまな人物の思惑が交錯し、それぞれの企みが絡み合うなか、開票日が近づく。 

 衆議院補欠選挙をめぐる陰謀と暴露を描いた、サスペンスあふれる本格的な選挙
小説! 

さて以上なのですが、この小説でも「凶悪犯罪の被害者の立場」が主題となっています。
主人公の大原奈津子という女性は犯罪の被害にあった当事者やその家族が事件後も長年、悩まされ、苦しまされ、というケースが多いことをt痛感して、その被害者救済と、同時に凶悪犯罪の抑止を求めることを公約にして、選挙に立つというのです。
小説でもこうした設定が描かれることは、日本ではどうも被害者の人権を守ることより、加害者側が不当に優遇されているような状況が存在することを裏づけているようにも思えるのですが、私の誤解でしょうか。