民主党代表の小沢一郎氏の言動や政策は、その実態をよく知れば知るほど、奇怪な諸点が増えていきます。
一体なにが真意なのか、ブラフなのか。大いなるパズルであり、クイズです。
福田・小沢の党首会談もその延長だといえましょう。外部からみたのでは、わけのわからぬ「大連立」騒ぎでした。
しかしこの会談は日本の政治がとっくに排したはずの密室政治の再現でした。国民のまったく知らない場所で、国民のまったく知らない形で、日本の国の進路が決められるという危険です。
この点に警鐘を鳴らした好論文が目につきました。
産経新聞11月7日朝刊に載った「正論」コラムの屋山太郎氏の論文です。
以下の見出しがついていました。
「密室政治の亡霊が甦った」
「2人だけで国策変更を試みた暴挙」

そうなのです。
福田康夫、小沢一郎という二人の政治家だけで、日本の政府のあり方から、国家安全保障のあり方まで、これまでと激変の路線が決められそうだったのです。
なかでもびっくりしたのは、小沢氏の国連中心主義に福田首相が同調しそうになったといされる点です。
この点に関連して屋山氏は以下のように書いています。

「小沢氏は相変わらず独断専行、子分は自分についてくるものと思い込んでいた。小沢自由党が民主党と合併した2004年、小沢氏は横路孝弘、鳩山由紀夫、米沢隆各氏と個別に「安保、国際協力の基本原則」という「確認書」を交わした。これが国連第一主義の根拠となる文書だが、それが党内で議論され、賛同された形跡はない」

つまりは小沢氏が民主党内の意思などにまったくお構いなく、勝手に決めてしまった「安保政策」なのです。
そのうちの一つ、小沢氏が横路氏らと交わした「基本原則」の内容はすでに、このブログで明らかにしました。10月9日のエントリーでした。

ここでもう一つ、小沢氏が鳩山由紀夫氏と米沢隆氏との間で交わした「基本原則」の内容を紹介しましょう。主題は同じ日本の安全保障です。

平成16年3月25日
           日本の安全保障、国際協力の基本原則
 
 冷戦の時代は終焉したとはいえ、世界各地においては紛争が頻発している。世界の安全保障と国際協力について確固たる基本原則を改めて定め、確認しておくことは時代の要請でもあり、また喫緊の課題でもある。
 私共は、我が国の安全保障及び国際協力について、この間慎重かつ精力的に検討を続けてきたが、ここに次の通りの基本原則で一致したので公表する。

                基本原則    
1      憲法9条の精神の遵守
自衛隊は憲法9条に基づき専守防衛に徹し、国権の発動による武力行使はし
ないことを日本の永遠の国是とする。一方においては、日本国憲法の理念に基づき国際紛争の予防をはじめ、紛争の解決、平和の回復・創造等国際協力に全力を挙げて取り組んでゆく。
2  国連中心主義
国際社会の平和と安全の維持は国連を中心に行う。
   それを実現するために、日本は国連のあらゆる活動に積極的に参加する。
     安保理常任理事国の拒否権行使等により安保理が機能しない場合は、国連
総会において決議を実現するために、日本が率先して国際社会の意思統一
に努力する。    
3、     国際平和協力部隊の創設
国連の平和活動への参加を円滑に実施するために、専守防衛の自衛隊とは別に、国際協力を専らとする常設の組織として「国連待機部隊(仮称)」を創設する。協力部隊の要員は自衛隊・警察・消防・医療機関等から確保する。又、特に必要がある時は自衛隊からの出向を求める。
4、  国連軍への参加            
         将来、国連が自ら指揮する「国連軍」を創設する時は、我が国は率先してその一部として国際平和協力部隊を提供し、紛争の解決や平和の回復のため全面的に協力する。
5、 多国籍軍への参加
   国連軍が創設される迄の間は、国連の安全保障理事会もしくは総会において決議が行われた場合には、国際社会の紛争の解決や平和と安全を維持、回復するために、国連憲章7章のもとで強制措置を伴う国連主導の多国籍軍に国際平和協力部隊をもって参加する。 
   ただし、参加の有無、形態、規模等については、国内及び国際の情勢を勘案して我が国が主体的に判断する。
    尚、国連の決議が行われた場合には、自衛隊をもって多国籍軍に参加することも
    憲法上は合憲である。しかし、自衛隊はこれまで専守防衛の組織として国民に周知されており、また、近隣諸国との良好な関係を維持するためにも、強制措置を伴う国際平和活動への参加は自衛隊とは別組織の国際平和協力部隊をもって参加することとする。 
   
    署名


「基本原則」は日本の安全保障についての基本政策を記したはずなのに、そこにあるのは国連への依存のみ、日米安保条約や、その条約に基づく日米同盟という言葉は一回も出てきません。
「日本の安全保障の基本原則」で日米同盟はまったく無視されているのです。
 
しかもこの文書は先の横路氏らと交わした文書とは全体として似ながらも、微妙かつ重要な点が異なっています。
小沢氏が同じ政党内の仲間との間の政策確認の文書でも、相手次第で内容を変えているのです。巧みな使い分けだといえましょう。
いかにも小沢氏らしい所業です。

日本という国の安全保障がこんな形で勝手にもてあそばれていく。
なんとも肌寒い実感を覚えさせられます。