12月8日、「ワシントン・(米国)南東地域・日本セミナー秋季会合」で、でした。場所はワシントン市内のジョージタウン大学です。
厳密には私の立場は脇役で、主役はワシントンの日本大使館の北野充公使でした。
北野氏が「日本のナショナリズム」について30分ほど講演したのに対し、私が論評を加えるという趣旨でしたが、私の持ち時間も20分以上ということで、主催者側から自分自身の見解も表明してほしいとのことでしたので、日ごろからの意見も多々、述べました。
そのあと30分以上、参加者全員と北野公使、私との質疑応答と討論がなかなか活発に展開されました。
その私の冒頭の意見発表の英文をここで紹介します。
その内容の主要点を以下に日本語で記します。ごく大ざっぱなまとめです。
▽ナショナリズムという言葉にはいろいろな意味があり、自分の国や民族への帰属意識や愛着という、ごく普通の中立の意味もあるが、他方、閉鎖的、排他的、優越意識などをにおわすネガティブな民族主義という意味もある。
▽日本ではそのナショナリズムのポジティブ、ネガティブ両方において、その種の意識が全世界でも最も希薄だろう。ただし米国などで、「日本のナショナリズム」という場合はいつもネガティブな文脈やニュアンスとなる。
▽日本では国旗、国歌への反発、国家意識の欠如などが顕著であり、アメリカ、イギリス、中国など他の諸国にくらべれば、ナショナリズム的傾向は極端に少ない。日本は全世界でも最もナショナリズム的ではない国だといえる。
▽他の諸国では国家への忠誠、愛国心の奨励、その国民や民族であることへの誇りなどが、ごく普通のこととして表明されるが、日本では「右翼」とは「反動」として非難される。その意味では日本ではナショナリズムよりも反ナショナリズムが盛んだといえる。
▽ナショナリズムと似た意味の言葉として愛国主義、愛国心という言葉があり、米国などではポジティブな意味の用語として使われる。政治指導者もpatriotと呼ばれることを好む。他方、日本では愛国心という用語は教育基本法でも排された。
▽日本で反ナショナリズムの空気や制度を批判し、正常な国家をつくろうとする動きは
日本の一部勢力からも、米国側からも「危険なナショナリズムの動き」とか「戦前の軍国主義の復活」として非難されることが多い。この非難は現実をみていない。きわめて政治的な非難だろう。米国でのその種の非難は日本を見下す態度だといえる。
FALL MEETING
December 8, 2007
Comments of Yoshihisa Komori
Nationalism can be many things, as Mr. Kitano has illustrated convincingly in a somewhat anatomical way.
The word “nationalism” itself is in some ways ambiguous. Using the word without considering its definition is likely one source of misunderstanding and feelings of derision among people of the country to which the term is often directed. Interestingly, another word that has a similar meaning is “patriotism” except that we never see the phrase “Japanese Patriotism” used as a title for American academic studies of
Nationalism, on an individual level, is the sense of identifying oneself with his nation, fellow citizens, culture or traditions. It’s most common official meaning according to Merriam-Webster’s Unabridged Dictionary of the English Language, is simply “loyalty and devotion to a nation” by people of the country. On a more collective or institutional level, “nationalism” includes sense of unity, duty, devotion, and sacrifice for the nation. These attributes are considered self-evident, normal and positive in most, if not all, countries in the world, including the
To be fair, the dictionary definition of “nationalism” also goes on to include lesser meanings, the last of which reads, “an exaltation of one nation above all others, and an emphasis on loyalty to and the promotion of the culture and interests of one nation as opposed to other nations and supranational groups.” It is conceivable that this latter option is the one preferred by scribes wishing to evoke a recollection of the Western assessment of pre-war
“Patriotism” is defined in the same Webster’s dictionary as “love for or devotion to country.” This word is highly charged in a positive way in the American usage so politicians of all political persuasions as well as other Americans strive to have themselves identified with the qualities evoked by this word. Yet, it is extremely rare to find the word “patriotism” used when referring to
Overall, it seems curious that while the defined components of both words are decidedly positive, the word “nationalism” when used in reference to
Searching for negative applications of nationalism to explain the imbalance, it is possible to say that phenomena such as a sense of exclusiveness or superiority sometimes referred to as “ethnic nationalism” fits this definition. Also, the concept of “nationalism” is sometimes utilized politically to inflate public sentiment in the strategy of projecting power or expanding influence of the country externally. It has been used to divert popular attention from domestic troubles. It can be manufactured to promote internal unity and allegiance to a political regime. You might call these applications “political nationalism” or “politically condensed nationalism.” Mr. Kitano shed light on these types of the somewhat negative function of “nationalism” as well.
Yet, overall, most of the factors that constitute modern nationalism are generally accepted and positively regarded worldwide. Take, for example, the expression of love for your own country and pride in being a citizen of it. In most nations of the world, such expressions are widely accepted and even encouraged. But, not in
(to be continued)
コメント
コメント一覧 (95)
ネガティブな日本のナショナリズムはマッカーサーの置きみやげでしょうが「アメリカの日本研究学者の集まり」ではその辺はご存知なのでしょうかね。
日本のナショナリズムに対する偏見は、実はアメリカではなく日本発なのではないかという気もしますが・・・。ならいっそ日本においてパトリオティズムという言葉を流行らせてしまうのも手かもしれません。
「私はナショナリストではない。しかし、パトリオットではある」と。もちろん英語としては意味不明ですが。
古森様
ナショナリズムですか・・戦後わが国、国民の 国旗、国歌への反発、国家意識の欠如の原因の一つに訳のわからん人権団体などの主張によって伝統、文化のある「日本の言葉」が差別用語として「差別」され文字、言葉の表現より削除された事がわが国の伝統、文化を大きく後退させたような気がします。伝統文化の後退により愛国心も後退して行ったのではないかと思っています。いわゆる「差別用語」「放送禁止用語」です。表現の自由の元で表現すると偏向マスコミはいっせいに攻撃をする。そしてその偏向マスコミは自由と平等と言う、本当に不思議な国家です。乞食は乞食、何がホームレスじゃ!何でもかんでも横文字にしやがって!と毎日のようにぼやいています。
小生は祝祭日は必ず会社で大きな国旗を掲揚していました。近所では「危ない会社」と言われて居たそうです(笑)。今でも祝祭日は必ずマンションのベランダに国旗を揚げますが140余の居住者の中、小生の部屋だけです。高齢者が多いのに誰一人国旗を掲揚する家庭は有りません、それよりも「あんた感心やな~」と半ば奇異な眼で見られているようです。いつの世になれば国旗国家が普通に成るのでしょうか?参議院で多数を占める政党が国会放棄して媚を売りに中国まで行っているようじゃ、そしてその有様を国民が何も声を上げないでは当分無理ですね。朝から愚痴ばかりで申し訳有りません(苦笑)
現在の日本には純粋な愛国心の持ち主も多いのでしょうが、過去に愛国心を唱えるフィクサーや政治家、高級官僚の中に権力を背景に売国的、傾国的行為を働いた者があまりに多かった事実が、国民に今一信用されないことの背景にあるのだと思います。
>正常な国家をつくろうとする動きは日本の一部勢力からも、米国側からも「危険なナショナリズムの動き」
激しく同意致します。
国内の左翼はGHQのWGIPこそ正義とばかり、いまでも国益を毀損する行動に明け暮れています。自国の国旗、国歌を強要されたと提訴する教師がどこの国にいるのでしょう。
健全でポジティブなナショナリズムが国民の大多数の意識に早くなってほしい。古森さんの現状認識と意見はきわめて妥当、というか素晴らしいと考えます。
ですから日本のナショナリズムが批判を受けるのは、そういった流れに逆行しているからに他ならない。
しかし、ここで気をつけなければならないのは、戦後の日本は、米国のおかげで、急激な民主主義の変更が余儀なくされ、おそらく、世界の中でも最も左に位置する国となってしまいました。これは、共産主義とは異なる左傾化だと私は、思っています。体験した戦争の悲惨さが、日本人をそうしてしまいました。たとえば、非武装中立論は民主主義の理想であると言えなくもない。
私は、日本の民主主義はまだまだ未熟だと思っていますが、それでも世界の中で、最も左に位置しているとするならば、日本以外の国を参考にしても、民主主義先進国日本が抱える問題解決に至るはずはない。
日本独自の民主主義的愛国心を探し出さなければならないでしょう。
ちなみに、国旗、国歌をないがしろにする民主主義者、反政府的民主主義者がいてもやむを得ませんが、そのような人が公務員になれる制度には注意が必要です。
あるいは、個人的思想信条を尊重するとしても、学校が定めた公式行事においては、私心を捨て、形式を保つことは、法治国家の民主主義者としては当然でしょうね。しかし、それすらも耐えられないと言うのであれば、式典を欠席すれよいでしょう。
古森様の意見は、全く正論だと思います。 不遜ながら僕も、全く同じ意見です。 この正論に異論を述べる人は、深層心理に何か独断と偏見が刷り込まれていると思います。 もっと過激な日本ナショナリズムがあっても良いと思います。 幕末の、物凄い日本を愛する、日本の国体を守ろうとする、しかし短絡的に武力を行使するというのではない愛国主義があっても良いと思うが・・・。
私の主張は参加者にはよく通じたと思います。
質問は時間切れになってしまうほど、多数ありましたが、私の主張への反対はありませんでした。かといって、みな賛成というわけでもないでしょうが。
日本の国家意識の弾圧が米軍占領、つまりマッカーサーにさかのぼる(それがすべての原因ではないにせよ)こと、参加者はわかっている、と思います。なにしろ日本を研究している人たちですから。
上記のコメントでも書いたとおり、参加したアメリカ側の人が私の述べたことを理解はしたと思います。従来のアメリカの日本研究のパラダイムからすれば、私の見解はかなり挑戦的ですから、話し始めてすぐ、聴衆がぐっと体を固くするという反応を感じました。よく聴こうという印象でした。
<<日本のナショナリズムに対する偏見は、実はアメリカではなく日本発なのではないか>>
上記はまさにそのとおり、日本側から長年にわたり、そういうプロパガンダ的な発信がずっとあったのです。
<<「私はナショナリストではない。しかし、パトリオットではある」と。>>
以上の言は日本をかなりわかっているアメリカ人には、痛烈な反語として、通じると思いますよ。
ご懸念の点、私の報告が不十分だった点もあります。
この講演と論評と質疑応答のセッション全体のタイトルは正確には以下のようでした。
Japan's Nationalism: Myth and Reality
つまり日本のナショナリズムという主題であっても、そこに注釈として「神話か、現実か」という副題がついていました。
だから主催者側も一方的な断定は決してしていない、といえます。
日本のナショナリズムが危険視されるのは、捕鯨や慰安婦問題や沖縄教科書問題もさうですが、独善的なヒューマニズムのせいではないでせうか。誤解されてきたともいへなくはないですが、事実を主張しても、理解しようとせん勢力が他国のみではなく、国内に根を張ってをりますもんですから厄介です。
ご質問の肝心な点にお答えするのを忘れました。
北野公使のプレゼンテーションですが、日本のナショナリズムが危険だなどということは誤解だという主張も入れて、民主主義の土台の重要性を強調し、全体としてバランスのとれた内容だと思いました。
定義のないままナショナリズムと愛国心を対置させるようなことは、まともな研究者であればやらないことだと思うのですが、学術的なセミナーだったにもかかわらず、誰も「ナショナリズム」を定義しなかったわけですか?
もしかして古森さんは根本的に勘違いしているのかもしれないという気がしてならないのですが…
なお、(これが学術的な場での発表でなければ)内容にはおおむね賛成なのですが、一点だけ事実認識の怪しい箇所があります。
「日本ではそのナショナリズムのポジティブ、ネガティブ両方において、その種の意識が全世界でも最も希薄だろう」
青年の国際比較研究などを通じて、日本人の「ナショナリズム」は他国に比べて同等かむしろ高い値を示すことが知られています。ただ、他国に比して著しく低い値を示す指標があることも事実で、そのごく一部の指標が、「希薄だ」というイメージを喚起しているのですね。
そのごく一部の指標をナショナリズムだと定義されるのであれば、それはそれでかまいませんが、定義のないままそういうことをやると、やっぱり学術的な議論としては失格です。
僕自身この分野での研究者ですので、アメリカの研究者やメディアに、古森さんの主張と似た話をする機会がよくあります。発言の趣旨に反対するものではありません。
ただ、学会や学術的なセミナーに、アカデミア以外からどなたか発言者を呼ぶときというのは、対等な立場で議論をする相手というよりも、議論の題材であることが多いのですね。
つまり、「日本人のナショナリストが語る内容、語り方をよく観察しよう」ということだったのかもしれません。「語る内容はありふれたものだし、学術的な価値もないが、それを熱心に語る精神構造をよく理解したい」という参加者も少なくなかったのではないかと危惧するわけです。
どの国の国民にとっても自然で当然の国に対する前向きな態度の表明が日本では「悪しきナショナリズム」とかいっちゃって、蔑視され、危険視される。
もういいかげんにしてほしいですね。
140世帯のマンションでの唯一の国旗掲揚というのも、考えさせられます。
私は今回の発表では映画『IAM 日本人』を材料に使いました。
このブログでも以前に紹介しました。森田健作さんの作った映画です。
発表の後、あるアメリカの有力大学教授が私のところにきて、「この映画はアマゾンでDVDが買えますね。私のクラスの教材にしたいと思います」と述べていました。
確かに自国への愛着や誇りを説く人間個人の日ごろの行状の質が問われるというのは、納得のできる指摘です。
しかし<<戦後日本社会で愛国心を声高に叫ぶ団体や政治家>>というのは、街宣車の人たちを除き、日本社会の主流、官界政界財界の主舞台ではないにせよ、普通の舞台で活動する人のなかに存在するのでしょうか。
おはようございます。
自国の伝統や文化や価値観を蔑む言辞を吐く人が進歩的文化人だなんて、みなされ、もてはやされた時代は確かに日本で長く続いてきました。
しかし近年はだいぶ、変わってきたのではないでしょうか。
日本のナショナリズムを危険視するのは、その危険視する側の独善的なヒューマニズムのせいではないか――ということですね。
そういう要因はたぶんにあると思います。
それと日本や日本国民を国家意識、国民意識を弱いままにしておくことが、自分たちにとって都合がよいという独善的な政治思考もあるかも知れませんね。
限られた時間内でのコメントのようだとはいえ、キメ細かく考えをめぐらせた感じが伝わってきます。だからこちらもきちんと熟読しました。
アカデミアの人たちが外部の人間の思考をどうみるか、とくにジャーナリズムの人間をどうみるか、よくわかっているつもりです。
しかし今回の研究会では主催者側が第一に話を聞いたのは、かなりアカデミックな経歴もある外交官の北野公使でしたし、私を招くにいたった経緯もある程度、知っています。だから最初から、先方が愚かな日本人の極端な意見をひとまず聞いて、自分たちが正しいという研究の確認材料にしよう、という意識があったとは、思えません(相手の深層心理までは読めないのは当然ですが)。
それから言葉の定義の問題ですが、私はまずまっさきにその点に触れています。
「一定の言葉をその意味をよく考えずに使うことは、誤解と、その言葉を適用された側に愚弄されたような気持ちを引き起こすことがおくある」という意味を冒頭で強調しました。そしてナショナリズムの定義に具体的に踏み込んでいます。
英文を読んでいただいたうえでのコメントなのでしょうか。
英文はブログの物理的な制限で全文は掲載できませんでした。続けて後半を紹介するつもりです。
でもとてもおもしろく、貴重なご注意のコメントをありがとうございました。
全くその通りだと思います。
特に、正常な国家をつくろうとする動きは日本の一部勢力からも、米国側からも「危険なナショナリズムの動き」とか「戦前の軍国主義の復活」として非難されることが多い、と言っておられますが、当にその通りだと思います。例えば、慰安婦問題も最初に火をつけたのは日本の方からだったと思います。(民主党の女性議員は韓国に行ってまで応援していますが)
最近日本でもオリンピックやサッカー等で、観客が日の丸の旗を振ったり、選手が日の丸を身につけてウイニングランをしたり、特に若い人に国旗、国歌への反発が少なくなったのは喜ばしい事だと思います。
自分の国の国歌、国旗に敬意を払わない人は他国の国歌、国旗にも敬意を払えません。
私は神社でお参りをする時(頭を下げる時)は必ずコートを脱ぎまが、脱がない人も多いようです。また国歌は起立して聞くものですが、このような事は小学生の時から教えるべきだと思います。
(まず形から入る事も大切だと思います)
貴重な内容、ありがとうございました。わたしはごく普通の愛国心パトリオティズムを持っていると自負していますが、次のような記事にその気持ちが現れますので紹介します。読売新聞(11.9日付朝刊)で、産経にもizaにもありませんでした。
(引用開始)
見出し:国産ステルス機11年度飛行 防衛省来年度から開発総額466億円
記事:敵のレーダーに映りにくいステルス性能など、最先端戦闘機技術の検証を目的とした、防衛省の「先進技術実証機」の開発計画が8日、明らかになった。来年度から計画に着手し、早ければ2011年度中に実証機の初飛行を行う。計画が順調に進めば、国産戦闘機開発につなげたい考えだ。
実証機は全長14メートル、全幅9メートル。「心神(しんしん)」と名付けられ、ステルス性とともに、高運動性を備え、国産エンジンを使う。機体の形に沿って配置するレーダー「スマート・スキン」など先進技術も取り入れる。実証機であるため、武器は搭載しない。
心神の開発は来年度から6年間で行う計画だ。来年度予算では157億円を要求、総額466億円を見込んでいる。エンジンや電子機器などなどの試作は09年度までにほぼ終えて、10年度から実証機製造に着手。早ければ11年度中に初飛行を行う。機体やエンジンはすでに個別開発を進めており、ステルス性に関しては、05年のフランスでの模型実験で「高い性能を確認済み」(防衛省幹部)という。
実証機開発には、日米で共同開発したF2支援戦闘機の生産があと数年で終了することから、国内技術維持の意味合いがある。また、航空自衛隊が次期主力戦闘機(FX)の有力候補としながら、米国が輸出に応じようとしていない「F22ラプター」をめぐる交渉を有利に運べるとの期待感もある。米国が輸出に慎重なのは、「機密保全だけでなく、日本がステルス技術を独自開発できないとの前提で、将来、高く売ろうという思惑があるため」(政府筋)との見方からだ。 (続く)
防衛省内には「17,18年ごろには国産戦闘機が実用化できる」(幹部)との見通しもあり、F15戦闘機の後継機となる可能性もある。ただ、日本の国産戦闘機開発には、有力な輸出先を失うことになる米国内で懸念が出てきている。
(引用終り)
わたしのパトリオティズムを刺激する記事ですが、アメリカではどのように受け取られていますか。危険な遊び? お得意先が減る?
スレ違いのコメント、すみません。
端的に現在の日本を表す論文で、全面的に賛同です。
別に難しい理屈なんか必要ないんですよね。
いまの日本は愛国心という単語すら正常に使えない国だという事実を知ってもらえるだけで十分だと思います。
敗戦から現在までの日本の状況を踏まえて、従軍慰安婦問題は終戦直後は何にも問題にならず、日本人が関わって問題を複雑にした経緯を丁寧に説明すれば、日本を全面的に肯定する事はなくても理解してもらえると思っています。
左翼が政治や言論や教育といった分野に深く介入している国が日本なんだと、ただそれだけをあらゆる外国の人達に理解してもらい、そんな国ができる国際貢献などおのずと限界があるといえば、また違った反応がありそうですね。
いやあ、また煽られちゃう感じですね。
あなたのコメントから学ぶところ大だと思ってますけど、<<古森さん、また、やっちゃいましたね。(笑)>>といわれると、とくに「また、やっちゃったね」というのは、子供のころにオシッコもらしたときに叱られる前段なんか、思い出してしまいます。
日本の反ナショナリズム、ナショナリズムつぶし、私にはまだかなり強いうねりがあるように思われます。勢いが前より弱くなったことは確実だけれども、勝負はまだまだついていないという印象です。
私がネットの世界をあなたのようによく知らないので、日本の世間全体の体温測定ができていない、ということでしょうか。
<<慰安婦問題も最初に火をつけたのは日本の方からだったと思います。(民主党の女性議員は韓国に行ってまで応援していますが)>>
上記は日本国内の反ナショナリズムの実例ですね。この場合の動機はインデオロギーなのでしょうか。
<<若い人に国旗、国歌への反発が少なくなったのは喜ばしい事だと思います。>>
上記は私も事実だと認識し、喜んでおります。
やはり教育が大切ですね。
もっとも日本人の若者たちも外国でしばらく暮らせば、自分が日本国民であることをいやでも認識させられるようですが。
日本がステルス性の戦闘機の国産を目指すという趣旨の読売新聞の報道を知らせてくださり、ありがとうございました。
報道の信憑性はわかりませんが、方向や試みとしては、実におもしろい動きですね。
アメリカがステルスの世界最強の戦闘機F22を日本には売らないということのようなので、この日本側の動きが事実ならば、アメリカにとっても、大きなインパクトを受けることだと思います。
日米同盟がいくら堅持されても、最近のアメリカ側のブレや、アジアの軍事情勢をみると、日本でも自分の世話は自分でするという方向への流れが出てくることは不自然ではないでしょう。
このことと日本のナショナリズムとどう関係するのか。
もし日本が独自にステルス性戦闘機を開発するといえば、「そんな危険な軍事的冒険は許されてはならない」という声が必ず日本内部で起きるでしょうね。これが反ナショナリズムの潮流の一部なのかどうか。
ふつうに考えれば、イエスでしょうね。
貴重な内容、ありがとうございました。わたしはごく普通の愛国心パトリオティズムを持っていると自負していますが、次のような記事にその気持ちが現れますので紹介します。読売新聞(11.9日付朝刊)で、産経にもizaにもありませんでした。
失礼しました。
上記のあなたあての私のコメントの末尾にミスがありました。
下記が私が本来、書き込みたかったコメントです。
日本がステルス性の戦闘機の国産を目指すという趣旨の読売新聞の報道を知らせてくださり、ありがとうございました。
報道の信憑性はわかりませんが、方向や試みとしては、実におもしろい動きですね。
アメリカがステルスの世界最強の戦闘機F22を日本には売らないということのようなので、この日本側の動きが事実ならば、アメリカにとっても、大きなインパクトを受けることだと思います。
日米同盟がいくら堅持されても、最近のアメリカ側のブレや、アジアの軍事情勢をみると、日本でも自分の世話は自分でするという方向への流れが出てくることは不自然ではないでしょう。
このことと日本のナショナリズムとどう関係するのか。
もし日本が独自にステルス性戦闘機を開発するといえば、「そんな危険な軍事的冒険は許されてはならない」という声が必ず日本内部で起きるでしょうね。これが反ナショナリズムの潮流の一部なのかどうか。
ふつうに考えれば、イエスでしょうね。
信じますよ。(すべてではないにせよ)
2チャンネルはまったく見ないので、わからないのですが、「ニュース速報」という場所に私の今回のブログのエントリーが載ったというわけですか。知りませんでした。
道理でいつもより朝からアクセスの数が多いと思ってました。
しゅんさんのコメント、信じなくちゃだめですね。
でも2チャンネルの研究をされてるんですね。
私は自分の名前を出さない、出せない人たちが他人の悪口を書いて、ウップンを晴らしているネット舞台かなと思ってましたけど、大きな影響力があるということなんですね。
これまた知りませんでした。
でも私が2チャンネルに参加するというのは、そこまでは無理のようです。
私の本来の仕事は紙に記事を書くことであり、それで生計を立てているわけですから、それをないがしろにしてまで、ネットの世界に浸ることはできません。
でもときどき、しゅんさんにネットの世界の動向をこういう形で教えてもらえば、肝に銘じておきます。
古森さんが私の言う事を信じてくれないので
このコメントは過激かもしれませんが.....
私は、多くの戦時歌謡を知っていて、依然務めていた会社でよく歌いました。その結果、右翼にされたのです。日の丸の小旗を机に飾っていたこともあるのでしょうか、私は、街宣カーに改造されたおもちゃの模型に自分の顔写真を入れられ、晒し者にされたのでした。
さて何が言えるか、日の丸や軍歌のイメージは街宣カーに乗って連中によって、辱めているいると思います。私は、何事も強制するのは嫌いです。なぜなら何事も自主性が大切だと信じているからです。だから、日の丸や国歌斉唱を強制することには反対です。自主性を損なわせる原因になると思います。私はこれらの根本原因は、日の丸のイメージを悪化させる行為に規制を行なっていない事に問題があると思います。
企業は、自分のブランドが傷つかないように手を打ちます。しかし、日本政府は強制するばかりで、日本のイメージを守ることを怠っております。これでは、日の丸を揚げることで、街宣カーに乗っている連中と同様のレッテルを貼られ、白い目で見られるのは避けられないと思います。はっきりいって街宣カーの行為が、日の丸の品位を著しく低下させていると思います。また外国勢力が日の丸を焼く行為、或いは武道館での日の丸を消去する品位を傷つける行為に対して、政府は何もしていないのではないでしょうか?これは政府の責任です。
私は、日の丸を強制するのでなく、イメージを高めるために、逆に使用を制限すべきだと思っています。街宣カーに使う事を禁止するだけでなく、反日活動を行なう連中や法令違反(脱税、貿易管理令、独占禁止法、賄賂、etc)に使わせない方がいいと思います。当然、某団体が支配する学校などは、無理に強制すべきではないと思います。反日が支配しているというレッテルが貼れますから、問題があるとPTAが認識すれば、その団体に所属する教師を追放する運動を起こすでしょう。
まとめて国旗に対する反発は、街宣カーの活動が原因になっていると思います。憲法を改正してでも規制すべきだと私は思います。同じく街宣カーが使う、菊のご紋に対しても規制すべきでしょう。あまりにも不敬です。
軍歌に関して、これは日本人が歩んだ歴史、文化遺産です。闇に葬り去るでは無く、後世に伝えてゆくべき物だと思っています。
こんにちは。
今回の意見表明では、日本で国を愛するという気持ちの表明でさえ、不当に過激派扱いされてきたという現実については少なくとも、詳しく報告したつもりです。
軍国主義的なナショナリズムの横行なんて、いまの日本にはとんでもない、という点を強調しました。
国旗を掲げることに引け目を感じるというのは、残念なことですね。
それほど周囲が反日の丸の空気に満ちている、ということでしょうか。
ということであれば、日本ではまだまだナショナリズムどころか、反ナショナリズム、反国民意識が強いというわけですね。
でもそれも変わりつつあるし、変えたいですね。
私自身は日本に戻った際は祝日には国旗を掲げています。
周囲にもぽつぽつ日の丸は目につきます。
ずいぶんと意地悪な人が多い環境にいらっしゃったんですね。
しかし日の丸に反感を覚える人のうち果たしてどの程度の比率の人たちが街宣車を原因として、そういう反感を持つようになったのか、私には想像がつきません。
特定の日本人に国旗を掲げたり、振ったりすることを禁じるというのは、難しいでしょうね。それよりもごく普通の人たちが国旗への親しみを持つことを増やすようにする、という案はどうでしょうか。
>はっきりいって街宣カーの行為が、日の丸の品位を著しく低下させていると思います。<
先の参議院選挙で東京から出馬した東條由布子さんは、宣伝カーに日の丸を掲げ、毎日靖国神社に参拝してから街頭に出ていたそうですが、良く警官に止められたそうです。
右翼と間違われたそうで、警察官は「日の丸あれど右翼にあらず」と無線で本部と連絡を取っていたと憤慨してました。
大体、でっかい「菊の御紋章に韓日友好」だなんて、どう考えても在日ですよね…(^^;。
↑勉強の妨げになりますので、適切な対処をお願いしたいと思います(笑
威力業務妨害ですな、シーサーくん
あなたはご自身の意見と対立するものには、理屈ではなく、感情で罵倒なさるだけなんですね。貴方達左翼思想の持ち主にとって、集団自決問題で貴方達と違う考え方をする方々を貴方達は認められないのでしょうね。日本の多くの人々は今回の捏造劇を苦々しく見ているのですよ。ただ、何も言わないだけ。そして真実はあなたがたの考えとはかけ離れたものであることを認識しているのです。沖縄の方が祖父母から話を聞いているように、日本人全員が祖父母から真実を言い伝えられているのです。良識ある日本人は口にこそ出さないだけで、あなたがたの行動を蔑んでいるのです。ましてや数を頼んでの暴挙をひきおこすとは、信用できるわけがないでしょ。
現在の日本のナショナリズムとは国民の多くの声を集約し、健全な思想を育てることのようですね。ここを読むとそう感じます。心から賛同し批判する気はありません。国民はそれが意味することを考えるべきでしょうね。
即ち、そうした人間は将来、特アに面と向かって自分の意見を主張をできる、きちんとした出典やデータを持った人間からの問いかけに答えられる。
これは以下の左翼捏造履歴で確認できます。
○http://zeimusmaki.iza.ne.jp/blog/entry/245616/
この一連の議論で外国人左翼活動家は実際にはなんの知識ももたないで、慰安婦問題をその政治的主張に利用していたことが窺われます。
またネット以外の実際の社会でも同じ事をおきたのを私は最近経験しました。
○http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/383429
ここのコメント欄には、最近の「集団自決」問題で、いわゆる左翼団体が、ひどい汚い言葉でただの嫌がらせしかしていない事が、触れられています。
こうしたいわゆるネット左翼と呼ばれる人がどんな存在であるかは、既に研究の対象になっていますね。ここにまとめがあります。
○http://zeimusmaki.iza.ne.jp/blog/entry/184345/
こうした事について反論や意見があればそれぞれのブログで意見を述べればいいと思いますね。
全く同感です
議論または意見交換とは、知識が劣ろうと常識をわきまえ、客観的な観点
から物事を見ることができる者が行う、人間の中でも知性と理性が必要と
される行為であることをまずは君に教えよう
君のような人間はまずは知性と理性を身につけ、我々の社会活動に参加する
能力が必要である
大凡の日本人は基礎教養も高く、特別な修練や勉学をしなくとも、
こういったブログ、掲示板には参加しても十分ついて行けるのだが
残念なことに君にはそのような素養がない
まずは日本社会に参加する知性と理性を身につけ、日本の文化、風習、
そして、まずは嘘をつかない(これは特ア以外は当然のことだが)ことを
覚え、欺瞞、捏造、デマゴギー等を使ってでも自らの目的を達せようとする
行為を恥じる精神構造を構築したまえ
古森様
国旗、国家は強制されるものではない。日の丸、軍歌は街宣右翼の悪影響で受け入れられなくなったのではないか等のコメントがあるようですが一概にはそう決め付けられないと思います。大きな音声で、大型の車両で市街を街宣する行動には素直に賛同は出来ませんが、では左翼の陰湿なヘルメットにサングラス、大きなマスク姿のデモ行動が良いとも思われません。戦後左翼、共産党と戦ってきたのもいわゆる右翼団体です。賛同する市井の皆様の浄財で無茶苦茶なストライキを繰り返す左翼と戦ってきたのは国家でも警察でも有りません。電車、汽車、バスを平然と止めて一般市民に多大な迷惑をかけ、安保反対、成田闘争などでは爆弾まで用い尊い生命まで平然と奪った左翼と命懸けて戦ったと言う自負も彼ら右翼団体には有ります。ただ近年思想、信念も何も無い連中が右翼と称してシノギのため賛同金を集めているのも事実です。その連中と国のため、民族の為に信念を持って活動している団体と一緒にされるのもちょっとおかしいかなと、判別は一目では分りませんが。冒頭の国旗国歌の強制は小生も反対ですが、強制反対自由意志に任せろと言う人たちには日本人と言う自覚を持ってもらうことです。自由を履き違えたらいけないと思います。
意見とは前述したように、知性と理性をもって行うものである
君の書き込みは議論、意見ではなく、扇動である
従って、削除、書き込み禁止になることは必然であり、当然そのように
なるべきである
たとえ意見を表明している場合であっても、それが管理者の意思で消されるとわかっていながら繰り返している場合には、身分を明かしている古森さんが何らかの害悪が及ぶのではないかと恐怖感をもつのが普通でしょうし、あなたも嫌がらせや恐怖感を与えようと考えているでしょうから、脅迫罪の要件をみたしうるといえますよ。
人間は平穏に生活する権利を持っていて、それはブログを平穏に管理するという事にも当てはまります。
そんな事をやっていてよく社会生活ができますね。
あなたの病的な書き込み行為を見ていると、あなたはネットという仮想の世界から離れる必要があるんじゃないでしょうか。
>emptyさん、私(眠れぬシーサー)がもし何か悪いことを書いたと言うなら是非教えてくれませんか?
それは捜査権限を持った捜査官が証明すべきで、私人が証明する問題じゃないですよ。
難しいことはわかりませんが、
私自身、最近まで国を愛するだとか誇りに思う気持ちなどまったく
持てなかったものの一人です。正直そういう概念は頭の片隅にも
ありませんでした。先日10才年下の友人とこのような話をする機会が
あったのですが、彼女も「そんなこと考えたことすらなかったね」と
言ってました。世代によっても違うでしょうが、ナショナリズムどころか
自分の国に対して無関心という方が正しいかもしれません。
おそらく日教組が力をふるっていた時代に育った人のほとんどが
そうではないかと思います。
恥ずかしながら今、ネットでこれまで教えられてこなかった日本の真実に
触れて、全体像が見えはじめ、ようやく自分の脳ミソがかなり左に
傾いていたことに気付いたところです。
私のような人が増え、またそれを他の人にも伝えようとする動きが
他国からは「危険なナショナリズムの動き」のように映るのでしょうか。
どの国も自国民の愛国心は求めるけれど、日本人のそれはとても
嫌がるようですね。。。
過激なコメントを書いて困らせたかも知れません。申し訳ありません。
>しかし日の丸に反感を覚える人のうち果たしてどの程度の比率の人たちが街宣車を原因として、そういう反感を持つようになったのか、私には想像がつきません。
確か一年半前に見た事です。街宣車が代議士の事務所の前で大きな音量で、恫喝していました。その街宣車の傍には、迷彩服を着た男が立っています。事務所の人は恐怖を感じたでしょう。周辺住民も同じだと思います。このような行為は国旗を汚しますよね。噂にもなるでしょうし、この影響は大きいのではないでしょうか。
>特定の日本人に国旗を掲げたり、振ったりすることを禁じるというのは、難しいでしょうね。それよりもごく普通の人たちが国旗への親しみを持つことを増やすようにする、という案はどうでしょうか。
そうですね。仰る通りですね。アメリカのように、国旗を飾る場所を増やすのもいいかもしれませんね。どうも非現実的な意見を書き込み、申し訳ありませんでした。
戦後の日本社会への影響力でみれば、街宣車グループは左翼過激派の足下にも及ばないですね。
アメリカの日本研究者は左翼の暴力や殺戮、そして左翼のナショナリズムをあまり話題にしません。
みんな仲良く世界の子供!!!
なんていう、NHKふうの歌唱がありましたよね。
歌ではなく、なにかの標語でしたか。
とにかく、世界には人種も民族の差もなく、みな同じ地球人、というのも、
言葉としては歓迎すべきでしょうが、現実ではありません。
日本列島を出ると、そんなことはウソだと、すぐわかります。
世界は独立国家で構成され、そうした主権国家は個人の国民から成り立っている。どの個人も、国連事務総長でも、特定の主権国家に所属している。
そして個人は自分の帰属する国家や民族に自然な愛着の気持ちを持っている。
こんな真実を否定しようというのが、日本の一部の政治勢力、マスコミ、
市民組織だということでしょうか。
中国は日本のナショナリズは危険だ、と以前から、宣伝していますね。
日本が普通の国家らしくなってほしくない、ということのようです。
いつも、いつも、興味深いエントリーをありがとうございます。
本当におっしゃるとおりだと思います。素朴な愛国心をそのまま認めることもできない偏狭な心の持ち主が日本にはいっぱいいます。また、それは日本でなく、たとえばアメリカでも、安倍さんをナショナリストなんて形容してる外電を読んで、本当に違和感を感じていました。
しゅんさんが書いていた2ちゃんねるのことはほとんど間違いない事実だと思います。でも、いま、日本人が愛国心を語れる場所がネットの中にしかないのなら、何と情けないことなんでしょう。ネットで本音を言えるから、みんな愛国心を持っているんだと私も気づいて嬉しかったのが2002年のワールドカップの時でした。
その辺をうまく分析して論じたのが西村幸祐さんでした。確か「反日の構造」という本に入ってる「2ちゃんねるを敵視し始めた朝日、岩波の焦燥」という前衛的で画期的な2ちゃんねる論は「正論」に掲載されたんだと記憶しています。
その西村幸祐さんが編集したムック、「反日マスコミの真実2」が近々発売されます。古森さんもこのシリーズの慰安婦問題で原稿をお書きになったと思います。こんなムックが受け入れられるのはネットがあるからだと思います。ですから、ネットが日本人の愛国心の生命線なのかも。
ムックを告知してる西村氏のブログです。
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/72073209.html
>先の参議院選挙で東京から出馬した東條由布子さんは、宣伝カーに日の丸を掲げ、毎日靖国神社に参拝してから街頭に出ていたそうですが、良く警官に止められたそうです。
>
>右翼と間違われたそうで、警察官は「日の丸あれど右翼にあらず」と無線で本部と連絡を取っていたと憤慨してました。
このような事が、起こらなくなってほしいものですね。
ご健在で、何よりです。皆で案じておりました。
(左翼による拉致説も・・・嘘)
日の丸への拒否感は左翼の政治宣伝だけが原因ではない、という点には、私も同意する面があります。
日の丸といえば、海外でみると、私は自然にうれしくなります。
うれしい実例ではないのですが、ベトナム戦争が終わった日、つまりサイゴン陥落の日、市内にどっと入ってくる北ベトナム軍大部隊に逆に近づいていくときには、自分の車に日の丸の旗を掲げたことを覚えています。日本が参戦国ではなかったことを利用しての自己防衛手段でした。
こういう場面でもどこの「国」の人間かということは事態を左右するわけです。
お久しぶりですね。
アメリカの秘密工作員にさらわれ、アメリカが好きになる薬でも飲まされたのか、なんて心配してました。
でもさっそうたる再登場のスタイルは、旱魃に悩む村に雨をもたらす雨の神みたいでしたね。
おやっと、注視してしまう挑戦的なハンドルネームですね。
ご指摘のように愛国心がネットの中でしか生きられないとすれば、日本も悲しい国だと思います。
そうならないよう、がんばりたいですね。
先輩諸氏の方々のお考えを理解しようと日々精進しております
ご配慮ありがとうございます
みなさまがこの日本、国民はどうすべきなのか、なにを目指して、どう
行動すべきなのか、何を支持すべきだと言われているのかを改めて
学んでいるつもりです
>アメリカが好きになる薬でも飲まされたのか
なんてことを言うんですか、メジャーリーガーを目指した私が嫌米なわけ
ないじゃあないですか(笑
カービー・パケットやドワイト・グッデンやトニー・グウィンは
私のライバルでした(猛爆
北朝鮮が日本人拉致問題などで一定の条件を満たさない限り、テロ支援国指定を解除
してはならないとする決議案を提出した。(*某紙より)
-----------------------
嬉しいニュースです。これも先の与野党の垣根を越えた「侍議員」の訪米が
影響していると信じたいものです。
その薬のビンに、ひょっとして「Kentucky」とか「Tennessee」とか「Jack Daniels」とか書いてありませんでしたか? 私にも飲ませてほしいもんです。(w
>「Kentucky」とか「Tennessee」とか「Jack Daniels」
ん?酒ですね?これは
だははははは、私は下戸なんですよ、大マジで(爆
下戸の肴荒らしは得意技です(笑
飲む、打つ、買うは一切やらない、おもしろくない奴です(笑
春と秋に数回、山に芝刈りに行くのと、衛星でのMLB観戦が夫婦共通の
ささやかな趣味です
お久しぶりです。
>日本では国旗、国歌への反発、国家意識の欠如などが顕著であり、アメリカ、イギリス、中国など他の諸国にくらべれば、ナショナリズム的傾向は極端に少ない。日本は全世界でも最もナショナリズム的ではない国だといえる。<
私も同感です。やはり、自虐史観を捨て、日本人としての誇りを取り戻していかないと、日本国が国家としての存在も消されてしまうように思えます。
staroさん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
いつも我々のあるべき姿を提示されておられますこと、勇気づけられて
います
古より受け継がれし我々の伝統に敬意を持ちたいと思っています
>意見とは前述したように、知性と理性をもって行うものである
>君の書き込みは議論、意見ではなく、扇動である
お帰りなさい(^^)。
最近、なんかいつもと違う、と感じてたのですが、staroさんと眠れぬシーサーさんとのやりとりがなかったんだ(^^:。
日の丸といえば、旗日の銀座中央通りを歩いたことがありますか?。
世界の超一流ブランドショップや伝統的な高級呉服店が同居する銀座ですが、おしゃれな街路灯に小さな「日の丸」が見事に勢揃いする光景は圧巻です。
やっぱり「ここは日本なんだ」と実感できて大好きな街です。
読んでいると、所々ワープしているようですね。
自分も、自分のブログでのコメントを削除することがあるのに、
此処で削除されたら、文句を言っている人でなしでもいたのでしょうか?(笑)
最近は、此処で嫌がらせが出来ないため、ユーザーブログまで押しかけて、
一般の個人ブログで、言いがかりを付けていますね。
「反日主義という妖怪」のようにiza!中を彷徨っているみたいですよ。
モッチーのように、仲間内で傷をなめあっていればいいのに・・・。
はい、上院でも決議案が出ました。
いま内容を詳しくみていたところでした。
家族会、救う会、拉致議連の訪米が大きな触媒となった結果だといえるでしょう。
久しぶりですね。
この日章旗についてさんざんに論じたワシントンでのこの週末でした。
自虐史観というか、反日認識というか、日本国内に存在する政治的加工品をまず排したいですね。
銀座の街路灯の小さな日の丸、みたような、みなかったような、こんど年始にでも出かけたら、ぜひ確認したいと思っています。
恒常的に掲げられているのですか。特別なセール期間だけではなく。
「反日主義の妖怪」がネットを彷徨う。
でもその一方で日本のナショナリズムはネットでしか表明されていない、という指摘も他の方からありました。
どちらも事実なんでしょう。
このIzaのブログはいろいろな意味で日本のネット論壇、ネット言論の先端を行くテストケースなのではないか、と思うようになりました。その寛容度、自由度、開放度がまずその一端です。
この認識は間違っていますか。
自らの言論の自由を否定する暴力側にもその自由な言論の場を提供する。
この皮肉な側面はフランスの学者フランソワ・ルベルが指摘した「民主主義の固有の脆弱性」と似ているみたいです。民主主義というのは、民主主義を否定する勢力の活動をも、その枠内に認める自己矛盾、自己破壊の要素を持っている、とかいう趣旨でした。
>恒常的に掲げられているのですか。特別なセール期間だけではなく。
いえ、セールとは関係なく国民の祝日(旗日)に日の丸が揚げられます。全国の商店街でもぜひ実施してほしいですね。
おはようございます
お久しぶりです
>日の丸といえば、旗日の銀座中央通りを歩いたことがありますか?。
はい、昔、系列会社の再建処理をする為に東京勤務になった折、道に迷って
銀座を徘徊してしまったことがあります
あの日は忘れられない日で、どう処理しようか途方に暮れていた日でした
気がついたら銀座で、三井ガーデンからどうして銀座界隈を徘徊していた
のか覚えてなくて、その日は言われる「祭日」でした
松坂屋(6丁目あたり)の裏筋を迷い込んだのだったと思います
鮮やかな日の丸が並んでいて、大変驚いたのをよく覚えています
自分の国に対する誇り、私も渡米して当たり前のことに気がつきました。
staro様
お帰りになられて、ほっとしました。
>このIzaのブログはいろいろな意味で日本のネット論壇、ネット言論の先端を行くテストケースなのではないか、と思うようになりました。その寛容度、自由度、開放度がまずその一端です。
>この認識は間違っていますか。
*テストケースであろう事は、異論ございません。しかしながら、寛容度、自由度、開放度に関して、個々の条件に於いては、同程度のところは、他にもあります。それよりも大きな特徴は、記事を書いている記者が、記事以上のことを書き、それに対して、読者がコミュニケートできる点でしょう。一般人が、マスコミの言論構成に参加できるシステムとしては、例えばyahooの「みんなの政治」などより、指針となるテーマについて、コントローラーとも言うべきブログ主がいる分、良い方向に行きやすく思います。
>自らの言論の自由を否定する暴力側にもその自由な言論の場を提供する。
>この皮肉な側面はフランスの学者フランソワ・ルベルが指摘した「民主主義の固有の脆弱性」と似ているみたいです。民主主義というのは、民主主義を否定する勢力の活動をも、その枠内に認める自己矛盾、自己破壊の要素を持っている、とかいう趣旨でした。
*私個人は、今の戦後型民主主義を全肯定しているわけではありませんが、仰る通りだと思います。ただ、先ほども書きましたが、ブログである以上、ブログ主がコントロールして、その人の作品に仕上げていくことが必要であると考えます。此処が「掲示板」との大きな違いです。ブログが民主的でなければいけないと、誰が決めたのでしょうか?これは、あなたと、私たちとの、共同制作による作品のはずです。作品の価値が下がると、作者側(ブログ主及び他の読者)が判断すれば、投稿コメントやTBの削除は、積極的にしても良いと考えます。その為に、ブログ主には、その権限を与えられているのですから。「掲示板」は、違反コメント以外は、すべて掲載され、流れに任されます。故に、滅多に、例えば、そのまま活字にして出版できるようなことにはなりえません。しかし、此処は、いくつかのテーマのエントリを纏めて、そのまま出版されても、良いのではないか、と言うより、それを望む読者が多いのではないかと、日頃から考えております。
長文失礼いたしました。
私もbruinさんのコメントに関心を抱き、お返事をして、さらに質問をしたのですが、いまのところ反応なし、です。残念ですね。
bruinさんは、とてもおもしろいことを書かれていたので。
外国で短期間でも暮らすと、いやでも自分が日本人であることを意識させられますね。まず日本国発行の旅券を保持しているわけですから。
それでも、自分にとって日本国など意味はないという日本国民もいるのでしょうか。
ブログと掲示板との相違の説明、ありがとうございました。
ブログの開放度、自由度などについて重ねての質問で失礼しますが、
イザのように、まず一方が身元明らか、他方は匿名、という方式でも、イザよりもっと自由なブログがあるということでしょうか。
その場合、そのブログの運営や管理が完全に個人ではなく、マスコミ関連の企業などでも、そういう自由なブログを開設している例をご存知でしょうか。
mimisamさん
どうもです。
お気遣いありがとうございます。
おはようさん。お久しぶりでござんす。
あっしも、飲む・吸う・打つ・買う、をやらないツマランと思われてゐるモンですわ。
かのmocchiiさんの長文攻撃?や、伊勢heさんのコメ攻撃?にあてられて寝込んでしまったのかと...(そんな柔なお方ではないと思ひつつ)。
また、含蓄ある、オモロイ、鋭いコメを期待してゐますわ。
>ブログである以上、ブログ主がコントロールして、その人の作品に仕上げていくことが必要であると考えます。此処が「掲示板」との大きな違いです。ブログが民主的でなければいけないと、誰が決めたのでしょうか?これは、あなたと、私たちとの、共同制作による作品のはずです。
民主主義国家の国民であれば、さまざまな意見を持つことは完全に保障されるべきであるということは、憲法学者であれば、同意できるはずです。
しかし、そういった中でも、社会的コンセンサスを得たルールに従うというのも民主主義者の良識です。
今、あなたのご意見を拝見するときに、私には、意外な感じがします。つまり、あなたのご意見は、あなたの良識において尊敬に値しますが、そのご意見が社会的コンセンサスを得たものであるかと考えるとき、大いなる疑問を抱かざるを得ない。
私は無礼な不心得者ですが、あなたや、あなた系の、善良な日本人に説教されるとき、あなた方はよい人ではあるが、民主主義の基本を勘違いしているのではないかと思っています。
ルールとして確立されていないものは、たとえそれが人間として正しい考えであったとしても、それによって不心得ものを拘束することはできません。
独善によって、他人を拘束しようとするものは、結局、異なる意見、異なる立場を認めず、否定するものです。
私は左翼的かも知れませんが、右翼や右翼的考えを否定したことはありません。同意しないだけです。
独善の押し売りが、ネットウヨクがいまひとつ伸び悩む理由だと私は思っています。
親米であることが大切だとしても、親中を否定する根拠にはならない。
二者択一の議論、相対比較でしか語れないところが、ネットウヨクの弱点ですね。
truth-of-truth さんは、
>親米であることが大切だとしても、親中を否定する根拠にはならない。
二者択一の議論、相対比較でしか語れないところが、ネットウヨクの弱点ですね。
とおっしゃいます。
私は、親米であるがために嫌中である訳ではありません。先ず、別の多くの理由から私は嫌中です。日本の長い先を私なりに見通したとき、親中は、決して日本および日本人のためにならないと考えているものです。一方で私は、アメリカによる年次改革要望書や従軍慰安婦決議やその他多くの事項でも、ギリギリと歯ぎしりをしている人間です。無条件の親米ではありません。しかし、日本の長期的な将来の安全保障を考えたときには、やはりアメリカとの連携を一番重視する必要があると考えています。小沢代表のいわゆる国連至上主義とも言われる民主党の外交安保原則を言い換えるならば、中国の意志には決して逆らいませんと予め宣言しているのに等しく、その原則を今から公言すると言うことは中国の冒険主義に対する抑止力を初めから放棄しているのに等しいものです。いざというときに堂々と傍観者になるための理由付けとしての国連至上主義です。そりゃ、中国は大いに歓迎するでしょう。私は将来、イラン・イラク・アフガンと言った遠くの国でなく日本のもっと近くで、二者択一を迫られることが無いとも限らないと考えています。日本は、そのときの身の処し方を予め考えておく必要があると考えるものです。
あなたのご意見拝聴しました。
私は小沢さんの言う国連中心主義は、賛否は別として、一つの理念、あるべき国家像を説いていると思っています。現在国連の機能が不十分であることは否めませんが、将来、国連を民主的期間に改革し、そこに秩序の中心をおくというのは、立派な民主主義的思考回路です。
あなたは中国が行動するときに、日本が二者択一を迫られるときがあるかもしれないと思っているようですが、米中関係を見る限り、中国が動くときは米国の了解済みだと考えるのがまともな外交感覚ではないでしょうか?
それともあなたは、場合によっては米中が、直接軍事衝突する可能性があるとお考えですか?
米ソ冷戦構造のときでも、米ソが直接戦争をしたことはありませんでした。すべて代理戦争です。
その理由は簡単です。大国は負ける戦争はしないということです。
国運をかけて戦争する国は純粋な国ですが、それ自体が小国を意味しています。大国の行う戦争は常に国益の範疇です。勝てば国益は増大するが、負けても国益はさほど損なわれないときにのみ参戦が成立します。
将来、台湾有事があっても、米国は動かないでしょう。そうでなければ中国は動きません。そのときに日本は何を二者択一するのですか?
>私は無礼な不心得者ですが、あなたや、あなた系の、善良な日本人に説教されるとき、あなた方はよい人ではあるが、民主主義の基本を勘違いしているのではないかと思っています。
*勘違いしているのは、君でしょう。
izaのブログを開く機会や、読む機会は、民主的にされることが必要だろうが、個々のブログの内容に関してまで民主主義を強制することは、「民主主義」という名のファッショです。読者は、自分でブログを開けると言うことは、そこで反論できるわけで、あえて、古森ブログなり、阿比留ブログに反論を書き込まずとも、言論の自由を封殺されることにはならないのが、理解できませんか?そのことより、ブログ主の表現の自由の方が、優先されるのです。
>ルールとして確立されていないものは、たとえそれが人間として正しい考えであったとしても、それによって不心得ものを拘束することはできません。
*ルールは、確立されつつあります。君が、気づいていないだけでしょう。
>独善によって、他人を拘束しようとするものは、結局、異なる意見、異なる立場を認めず、否定するものです。
>
>私は左翼的かも知れませんが、右翼や右翼的考えを否定したことはありません。同意しないだけです。
>
>独善の押し売りが、ネットウヨクがいまひとつ伸び悩む理由だと私は思っています。
*論を引きずり回して、私を「ネットウヨク」に指定したいのですか?
>親米であることが大切だとしても、親中を否定する根拠にはならない。
*他の方は存じませんが、私は、君が思っているほど親米ではないのは、拙ブログを読めば理解できるはずなのですがねぇ。
>二者択一の議論、相対比較でしか語れないところが、ネットウヨクの弱点ですね。
*このような結論を捏造するところが「民主党主義」者の問題点ですね。
>izaのブログを開く機会や、読む機会は、民主的にされることが必要だろうが、個々のブログの内容に関してまで民主主義を強制することは、「民主主義」という名のファッショです。読者は、自分でブログを開けると言うことは、そこで反論できるわけで、あえて、古森ブログなり、阿比留ブログに反論を書き込まずとも、言論の自由を封殺されることにはならないのが、理解できませんか?そのことより、ブログ主の表現の自由の方が、優先されるのです。
これも立派なご意見ですが、他人を拘束するだけの説得力はありません。あなたが、そうあるべきだと思うという程度です。
>*ルールは、確立されつつあります。君が、気づいていないだけでしょう。
揚げ足を取るようで恐縮ですが、されつつあるという表現は、厳密には、されてはいないということです。
>*論を引きずり回して、私を「ネットウヨク」に指定したいのですか?
あれは世間話です。あなたが何者であっても、そんなの関係ねえ。
>*他の方は存じませんが、私は、君が思っているほど親米ではないのは、拙ブログを読めば理解できるはずなのですがねぇ。
これもついでに書いただけです。あなたとは直接的には関係はありません。
>>二者択一の議論、相対比較でしか語れないところが、ネットウヨクの弱点ですね。
>*このような結論を捏造するところが「民主党主義」者の問題点ですね。
これは捏造ではなく、偏見です。(笑)
こんにちは。
>古より受け継がれし我々の伝統に敬意を持ちたいと思っています<
そもそも、あの戦争は当時の国民世論の要望、期待に答えたのが開戦であると私は考えています。ハルノートの条件を受け入れて戦わずして屈服した場合、東条以下が失脚しても次の内閣も同じことでいずれ保身のために国民の期待に答える首相が選ばれるだけのことだった思います。国民世論を無視できないのは戦前の日本も今と同じだと思います。戦後、国民世論は敗戦の引責で死刑になってしまった東条以下のA級戦犯に気の毒と思って靖国神社に合祀しました。それは今の年寄り連中が決めたことではない。大正、昭和初期を経験した当事者世代の国民が決めたことを考えれば理解できる話だと思います。
先祖の悪いところばかりをあげつらって何になるのかと考えます。各国の歴史観は先祖の良いところばかり言って主観的なのが標準ですね。
戦前、戦中の日本人は世界に対して人種差別撤廃を主張するなど良いこともたくさんしていますね。そう言うものも含めてもっと日本人が歴史の事実として日本人の良い所も認識する必要があるのではないかと思います。愚痴ぽくなってすみません。
>私は小沢さんの言う国連中心主義は、賛否は別として、一つの理念、あるべき国家像を説いていると思っています。現在国連の機能が不十分であることは否めませんが、将来、国連を民主的期間に改革し、そこに秩序の中心をおくというのは、立派な民主主義的思考回路です。
「民主主義的思考回路」なるものの定義がよくわかりません。また、上の理想論は、現実の世に住んでいる我々にとっては、非常に危なっかしい、と私は考えます。理想論も大切なことは認めますが、我々は、現実の世界に住んでいます。
>将来、台湾有事があっても、米国は動かないでしょう。そうでなければ中国は動きません。そのときに日本は何を二者択一するのですか?
一方的な推測による一つの論理ですね。安全保障では、あらゆる可能性について考えておくものです。また、何より、抑止という概念がありませんね。
こんにちは。
>この日章旗についてさんざんに論じたワシントンでのこの週末でした。<
本当にお疲れ様でした。
>日本国内に存在する政治的加工品をまず排したいですね。<
同感です。 古森さんのブログで日々新しい情報を仕入れて勉強させてもらっています。
<<将来、台湾有事があっても、米国は動かないでしょう。そうでなければ中国は動きません。そのときに日本は何を二者択一するのですか>>
台湾有事というのは、台湾あるいは台湾海峡で武力衝突が起きる、または武力衝突が起きそうな危機が生じる、ということですね。そういう状態を起こすのは中国が物理的な力を動員して動く時です。つまり台湾有事は中国が動くことによって起きる以外の可能性はまず考えられません。台湾が独立を宣言しても、それだけでは、軍事力の動員などはともなわず、「有事」とはなりません。しかし中国は台湾の独立宣言には武力で対応し、弾圧すると宣言しています。
だから<<米国が動かなければ、中国は動かない>>というのは意味不明となります。中国が動いて、台湾有事となった場合に米国が動くか否か――が焦点というわけです。
こうした国際情勢を考える際に、左翼とか右翼というレッテルは無意味だと思いませんか。
こんにちは。
日の丸をここに掲げていただくお礼に、エントリーを頻繁に更新して、新しい情報をもっと提供しないといけませんね。そういう自覚に襲われています。
>だから<<米国が動かなければ、中国は動かない>>というのは意味不明となります。中国が動いて、台湾有事となった場合に米国が動くか否か――が焦点というわけです。
誤解を招いて恐縮です。
私の文章は、【将来、台湾有事があっても、米国は動かないでしょう。そうでなければ中国は動きません。】
正確には、米国が動かないということが担保されなければ、中国は台湾へは侵攻しないという意味です。
別の言い方をすれば、将来、台湾独立の可能性は極めて少ない。ということです。
かりに、台湾が独立を宣言しても、すぐには、中国は動かないでしょう。必ず米国の真意を探るでしょう。そして、米国が反撃するとわかっていれば、中国は自重するでしょう。何故ならば、自国を戦場にするときに、国益を見出すことは難しいでしょうから。真珠湾攻撃も本土決戦を想定していなかったのかもしれませんね。落ち着いて考えれば、台湾が独立を宣言することが重要なのではなく、国際社会が台湾独立を認めるか否かが重要ですね。
>こうした国際情勢を考える際に、左翼とか右翼というレッテルは無意味だと思いませんか。
レッテルは無意味ですが、ナショナリズムのために、有事を煽っているとすれば、問題ですね。
本当に台湾有事の可能性は高いのでしょうか?私にはわかりません。
>日の丸をここに掲げていただくお礼に、エントリーを頻繁に更新して、新しい情報をもっと提供しないといけませんね。そういう自覚に襲われています。<
いえいえ、とんでもありません。これ以上、エントリーを頻繁に更新しされますと、私のほうが着いていけなくなります。(笑)なにせ、今でも振りおとされないように、しがみ着いている状態です。
>一方的な推測による一つの論理ですね。安全保障では、あらゆる可能性について考えておくものです。また、何より、抑止という概念がありませんね。
では、もっともらしいあなたにお尋ねしますが、米国が日本を裏切る可能性も想定していますか?親米派には、タブーですか?
>To hotakaさん
>>一方的な推測による一つの論理ですね。安全保障では、あらゆる可能性について考えておくものです。また、何より、抑止という概念がありませんね。
>
>では、もっともらしいあなたにお尋ねしますが、米国が日本を裏切る可能性も想定していますか?親米派には、タブーですか?
裏切る可能性も多分に考えられます。当たり前のことです。
一つお訪ねしたいのですが、あなたの言われる「民主主義」とは、どのようなものであるのか、お教え願えませんでしょうか?
>To truth-of-truthさん
>
>一つお訪ねしたいのですが、あなたの言われる「民主主義」とは、どのようなものであるのか、お教え願えませんでしょうか?
絶対、教えません。あなたには、(笑)
>日の丸への拒否感は左翼の政治宣伝だけが原因ではない、という点には、私も同意する面があります。
街宣カーは、どの勢力によって動いているのか分からない。単に恐喝のためか、それとも、坂の上の雲に出てくる明石元二郎のようなスパイが暗躍して、この勢力や反日団体を支援して、このような騒動を引き起こしているのではないかとも思えます。
今の日本は、外国勢力によって明らかに侵略を受けていると思います。或いはもう支配されているのかも知れない。というのも事実を報道しないマスコミが多くなりましたから。
ネットの世界では、デマも含め色々な情報が飛び交いますが、日本に対する外国の攻撃に対して、守っていこうとする見られます。また理不尽な国の政策(外国人参政権)に対して抵抗していこうともしています。日本人の正義感が目覚めつつある現在、ナショナリズムは必然的に高まっていくでしょう。ただし、既存勢力から右翼のレッテルを張られ、攻撃されるでしょうが....
>日の丸といえば、海外でみると、私は自然にうれしくなります。
>うれしい実例ではないのですが、ベトナム戦争が終わった日、つまりサイゴン陥落の日、市内にどっと入ってくる北ベトナム軍大部隊に逆に近づいていくときには、自分の車に日の丸の旗を掲げたことを覚えています。日本が参戦国ではなかったことを利用しての自己防衛手段でした。
>こういう場面でもどこの「国」の人間かということは事態を左右するわけです。
日の丸は、よど号事件が解決して、日本に戻ってきた飛行機の操縦席から出された小旗が、印象に残っています。
しかし、本当に好きな旗は日章旗より旭日旗ですけどね。
ところで古森様、日章旗や君が代の起源ご存知ですよね。