民主党代表の小沢一郎氏の中国訪問が話題を呼んでいます。

民主・小沢代表が胡錦涛主席と会談 
民主・小沢代表が胡錦涛主席と会談 
中国を訪問し胡錦濤・国家主席(右)と握手する民主党の小沢代表=7日午後、北京の人民大会堂(代表撮影・共同)
2007/12/07 20:45 



日本側でのさまざまな反応のなかでも圧巻は週刊新潮の特集記事「卑屈な小沢一郎」でしょうか。副題には「『胡錦濤皇帝』に拝謁を賜った」とあります。

国会の審議の最中に、民主党議員45人がぞろぞろ北京詣でという異常も、もっぱら小沢氏の主導です。週刊新潮の記事は小沢氏が胡主席に会ったときの様子を、明らかに目撃者の報告を基に以下のように報じていました。

「ちょこんと椅子に座った小沢氏は媚びたような笑いを浮かべ、『ただいま主席閣下自らですね、今回の参加者の団員のものと写真を撮っていただきましてーーーそしてまた、みんなと握手までしていただきましてーーー先例のないサービスをしていただいて、本当に感謝しております」

週刊新潮のこの記事は次のようなコメントをも載せていました。

「中国というのは、家来のような態度をとる者を優遇します。小沢氏はそれに嵌った。(中略) 小沢というのは、弱いものに対しては威張りますが、強いものにはダメ」(政治評論家の屋山太郎氏)

「小沢氏の訪中は銀座のホステスがお客さんの気を引くために皆で出張したのと何も変わりません」(在日中国人ジャーナリストの石平氏)

ここまで酷評されても仕方ないでしょう。
小沢氏は日本の政治指導者として中国へ出かけ、国家元首に会いながら、日中間で懸案の東シナ海のガス田紛争も、尖閣諸島の問題も、抗日記念施設などの反日教育や歴史の問題も、チベットやウイグルにからむ少数民族弾圧、人権抑圧の問題も、
まったく触れなかったそうだからです。
日本国民の懸念案件をまったく無視する日本の政治家というのは、なにやら不気味でさえあります。

しかも小沢氏の率いる民主党はこのブログでも取り上げたウイグル民族の人権活動家ラビア・カーディルさんを招いての研究会を突然、キャンセルしています。小沢訪中にからんで日本の中国大使館からの圧力に小沢・民主党があっさり屈した結果でした。

こうした状況をみれば、小沢一郎氏がいまや「媚中派」の頭領と評されても、仕方ないように思われてきます。むしろ客観的にも正確な表現かもしれません。

しかし小沢一郎氏はかつては中国に対してはこんな卑屈で、媚びた態度はとっていませんでした。いったいなにが彼を変身させたのか。

私が産経新聞の中国総局長として北京に在勤していた1999年の2月末、当時、自由党の党首だった小沢一郎氏が訪中してきて、中国共産党中央政治局常務委員の尉健行氏と会談しました。
このときの小沢氏の発言を実際にその場にいた人たちから聞きました。その内容は私の著書『「日中友好」のまぼろし』などで詳述しました。
ここでもう一度、その概略を紹介しますが、要するに小沢氏はそのときは、それまでの日本の政治家たちよりも強固かつ明確に日本側としての自己の主張を中国当局にぶつけていたのです。決して媚中ではなかったのです。

小沢氏はたとえば「歴史認識は反省の上に立ってきちんとすべきだが、それは中国のみなさんも同じことだ」と尉氏に対して述べました。「日中友好を阻害するようなことは慎むべきだという尉先生の言葉があったが、それはおたがいに慎むべきだ」とも発言しています。

小沢氏はさらに尉氏に対して「日中両国は率直に意見を交換できる関係ができなければだめだ」とも告げました。そして当時、中国側が反対していた日米防衛共同ガイドラインや、そこでうたわれた「周辺事態」が台湾に適用されるか否か、など、小沢氏は中国側の主張に堂々と反論さえしていました。

私は小沢氏のこの対中姿勢を立派だと感じ、その旨を率直に産経新聞やその他の雑誌などで「まっとうな外交」として報じたものでした。
しかしそれから8年余り、いまの小沢氏はまっとう外交どころか朝貢外交の主役のように変身していまいました。親米が反米に変わったのと、なにか表裏一体の印象があります。

一体なにが小沢一郎氏を変えたのか。
その理由や原因についての考察はまた場を改めましょう。