アメリカ大統領選挙のニューハンプシャー州予備選ではヒラリー・クリントン候補の首位獲得が大きく報じられたましたが、その陰で共和党側でジョン・マケイン上院議員が注目すべき復活を果たしたことは日本の多くのメディアではさほど取り上げられていません。
マケイン議員は今回の選挙では出馬を表明しながらも、人気が高まらず、もう脱落かとも観測されていました。それが1月8日のニューハンプシャー予備選では共和党の第一位の座を獲得しました。37%の票を得て、第二位のロムニー候補の32%を断固として引き離しました。

マケイン議員はそもそも2000年の大統領選挙でも共和党側の有力候補として現大統領のジョージ・ブッシュ氏を予備選段階でかなり脅かした大物政治家です。このマケイン上院議員は北朝鮮の核兵器開発では早期段階での拠点爆撃を提唱したこともあります。

しかし最近の外交や安全保障政策でマケイン議員を最も著名にしたのは、イラク政策です。マケイン議員はブッシュ大統領のイラク米軍増派にきわめて積極的に賛成したのです。その増派は民主党側は猛反対、アメリカ一般国民の間でも不人気な措置だったのですが、ブッシュ大統領は断固として実行しました。そしていまやその成果がイラクでの治安の改善、情勢の好転として発揮されてきました。

マケイン議員の人気の再上昇もこのイラク情勢の改善と関係があるとされています。結果として増派賛成という主張は正しかったではないか、という認識が有権者の間でも広まったということでしょう。
日本のマスコミでも読売新聞が1月10日付朝刊でその因果関係を報じています。
「マケイン氏 復活」「イラク治安改善 追い風」という見出しです。
その本文には以下の記述があります。
「米軍の増派が効果を上げ、イラクの治安状況が改善するに従ってマケイン株も再上昇した」

しかしこのマケイン人気がどれほど保たれるか, 予断は許されません。 
Why John McCain
                                        
マケイン議員については私が過去に書いたことを一部、紹介しておきましょう。


マケイン氏を有名にしたベトナム体験

 マケイン氏は2000年の大統領選挙でも有力候補として、今のジョージ・W・ブッシュ大統領と共和党の指名を激しく争った。その時点ではマケイン氏の方がブッシュ氏より全米的な知名度は高かった。上下両院の議員として既に数々の実績を上げていたからだ。 

 マケイン氏の政治家としての特徴は議会専門の権威ある出版社「コングレショナル・クォーターリー」の2006年版『アメリカ政治年鑑』に以下のように記されている。 

 「共和党内部で一部から攻撃されることがある一方、民主党側の多くや無党派層から好まれる保守政治家で、どんなことを発言しても、実行しても、マスコミによって膨大な分量の報道をされる対象となり、しかもその報道の内容はほとんどがポジティブである」。 

 「マケイン氏は保守とはいえ、その主張はブッシュ政権とは必ずしも合致しない場合も多い。上院では彼がブッシュ政権に同意する場合は政権にとってきわめて大きな力となる。同意しない場合は彼がブッシュ政権への反対を堂々と述べるので、政権にとってきわめて大きな支障となる」。 

 「マケイン氏の自主性は、一部は2000年の大統領候補指名争いでブッシュ陣営に畏敬の念を感じさせるほど健闘したことに由来するほか、ベトナム戦争中、北ベトナムの捕虜として5年半の辛苦を耐え抜いたことにも原因があるといえる。この捕虜時代の拷問などの後遺症で、彼の上半身は今もやや傾くことがあるが、同時に政治面を含めて闘いを恐れない性向を強くしたのだろう」。 

 マケイン氏を全米的に有名な人物にしたのはこのベトナムでの体験だった。 

  人の思考に繊細な神経を向ける人柄

 1936年、海軍の軍人を父に生まれたマケイン氏は自分自身も海軍士官学校に入り、海軍パイロットとなった。そしてベトナム参戦で当時の北ベトナムの首都ハノイ地区の軍事施設への爆撃に出撃し、地上からの砲火で撃墜された。パラシュートで降下したものの捕虜となる。1967年のことだった。捕虜生活が5年半、73年春に米国と北ベトナムとのパリ和平協定が結ばれた結果、解放された。 

 捕虜としての拷問や強制労働などの苦労、そして他の米軍捕虜たちを励ましながらリーダーとして軍事機密を保った忍耐は米側で広く知られるに至り、その体験記は記録的なベストセラーとなり、映画化までされた。マケイン氏はやがて政界入りし、1982年に下院議員に当選、86年には上院へと転じた。 

 このベトナム体験のおかげと言うべきか、わたしは上院議員になってからのマケイン氏と何度も語りあう機会を得た。わたしもマケイン氏が捕虜になっていた期間の一部を含めて合計4年近くベトナムに駐在し、戦争の報道にあたっていた。彼が解放され、北ベトナムから南ベトナムに運ばれてきた73年4月もサイゴン(現ホーチミン市)にいて、その動きの一部を目撃した。だからベトナムへの思いはいろいろな意味で深かった。 

 ワシントン勤務となってマケイン上院議員に戦争体験回顧などについてインタビューを申し込むと、すぐ応じてくれた。質問の合間に自分のベトナム体験をちらりと話すと、彼は関心を示し、二人だけのベトナム論議にずいぶんと熱がこもった。1990年代はじめのことである。以来、米国の対ベトナム関係や対アジア政策、ひいては日米安保関係など、テーマこそ変わっていったが、数年間にわたり何度も話を聞くことができた。 

 その体験で感じたのはマケイン氏が他の人間の思考や感情に繊細な神経を向けるという印象だった。また日本との同盟関係には強い関心を抱き、同盟の堅持が両国にとってプラスであることをいつも強調していた。