中国製のギョーザに農薬のような毒が混入していたという事件は日本国内にパニックを引き起こすだけでなく、国際的にも波紋を広げています。

朝日新聞は2月1日の社説でこの事件に対し「食の安全に国境はない」と論じています。日本という国家の外部から内部へ毒性物質が入ってくるのを防ぐために国境で阻止するという常識的な対策に水をかけるような見出しの主張です。
さすが「国家」とか「日本」という概念が嫌いな朝日新聞、と皮肉りたくなります。

中国製の産品の害毒や欠陥はもうすでに日本でもアメリカでも、さんざんに恐怖や懸念を生んでいます。アメリカではそうした危険な中国産品がいかに国内市場に入らないようにするか、国をあげての厳しい対策を講じています。他の先進諸国も同様です。

兵庫の毒ギョーザのパッケージに小さな穴

段ボール肉まん騒ぎ終息も…中華街や旅行社に暗雲

そもそも自分の国に外部の他の国から危険な品物が侵入してくれば、その侵入を防ぐための策を講じるというのが普通の反応です。
外国での伝染病を考えれば、その論理は簡明です。
危険な伝染病が日本に入らないようにする。このことに全力を挙げるのが日本政府の責務でしょう。日本国民の生命や安全、健康を守ることは、日本政府の基本的な義務です。そもそも政府というのは、そういう目的や責任のためにこそ存在するのです。

外国からの伝染病が入りそうな場合に、その伝染病が日本国内、つまり自国内に入りこまないようにすることが、とくに日本に限らず、どこの主権国家の政府にとっても、自明の最優先措置でしょう。
もしも政府が「まず第一には、その伝染病が起きた外国に注意や努力を向け、その外国での伝染病を撲滅するように努めるべきだ」と主張したら、どうでしょうか。その政府の態度は少なくとも自国民の安全という観点からは、まったく奇異であり、無責任でしょう。

しかし朝日新聞は上記の社説でそんな奇異な主張をしていました。

「中国製ギョーザ 食の安全に国境はない」

この「食の安全に国境はない」という言葉に注目してください。
文字どおりに読めば、日本が日本の国境を重視して、国外からの危険な物品の流入を防ぐという当然の措置をないがしろにする意味あいがすぐに伝わってきます。
国境にこだわるな。国と国の垣根や違いには意味がない。
こんな意図の主張だといえます。

この奇妙な社説の内容の主要部分を紹介します。

「中国製の食品や製品は安全面で問題が多いと、これまでにもたびたび指摘されてきた。日本では冷凍野菜から残留農薬が見つかったり、ウナギ加工品から抗菌剤が検出されたりした。おもちゃや練り歯磨き、ペットフードなどをめぐる問題も各国で相次いでいる」

以上は客観的な記述として、まあ問題はないでしょう。中国の危険な産品が世界各国でぞっとするような災禍をもたらしていることは周知の事実です。毒性「咳止め」薬では死者100数十人まで出しているのです。

ではその被害を受けうる各国はどうすれば、よいのか。
まず第一には、そうした危険な産品を自国内に入れないようにすることでしょう。ところが朝日新聞のこの社説は対策部分の冒頭で以下のように書きます。

「グローバル化した時代には、食べ物や製品は世界を駆けめぐる。安全問題の影響は生産国だけに留まらない」
「(日本)政府は中国政府と協力して原因を究明する方針だ。農薬がどこでなぜ混入したのか。できるだけ早く突き止め、徹底した再発防止策をとってほしい」

つまり日本政府が中国内部で起きていることに対し、中国政府に協力して、『再発防止策』をとれ、と主張しているのです。
この順序はおかしいですね。
中国の食べ物や製品が世界を駆けめぐるから、日本の政府は毒性産品の日本国内への侵入を阻止するよりも、まず中国内部での生産活動に介入して、『徹底した再発防止策』をとるべきだ、と主張するのです。

中国での毒性産品の出現は一工場や一地方の特異現象ではありません。中国の政治体制や経済体制、そして社会の価値観までがからんだ国がらみの現象なのです。
それに対し、朝日新聞は日本政府が中国政府と協力して、再発防止策をとれ、と求めるのです。日本の国民を外部からの危険から守ることよりも、外国に存在するその危険をなくすよう外国の政府に協力せよ、と主張するのです。

朝日新聞はアメリカのBSE(牛海線状脳症)問題が起きたときは、アメリカの牛肉の全面輸入禁止を強硬に主張しました。日本政府に対して、アメリカ政府と協力し、アメリカ国内で『徹底した再発防止策』をとれ、などとは、ツユほども主張しませんでした。それが相手が中国となると、とたんに日本という国家の枠の保持、国境の厳守を薄める形で、「食の安全に国境はない」と断言するのです。
この主張を文字どおりに受け取れば、中国産品は自由に日本国内に入ってくるので、日本側としてはその締め出しなど図ってはならない、という意味にもなりかねません。

食の安全に国境はある――のです。