日本人であれば、日本の言語や文化を自分の子孫に受け継いでいかせようと考えるのは自然でしょう。日本国内で暮らしていれば、そんな自明なことには考えをいたらせもしないでしょう。

しかし日本人が海外に長く住んだ場合は事情は複雑です。
アメリカにも日本人の長期在住者は永住、定住を含めて40万近くいるそうです。
そういう人たちは自分の子供に「日本」をどう教えるのか。どう継がせるのか。難題です。いくら個人の問題、私的な課題だといっても、なお日本人全体にとっての真剣な関心事である「日本のアイデンティティー」がからんできます。

そんなテーマを考えさせられる機会がありました。
ことは柔道の山下泰裕氏のワシントン来訪が契機でした。
山下氏は日本国外務省の公式招待でアメリカを訪れました。

まず私が書いた記事を紹介します。

【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久
2008年03月24日 産経新聞 東京朝刊 1面

 ■「日本の継承」にも希望

 柔道の山下泰裕さんが2月下旬、ワシントンを訪れた際、「ワシントン日本語継承センター」に招かれた。小講堂のマットでまず同行した東海大学柔道部出身の一流選手3人が実技を披露した。鋭い投げ技に受け手の体が宙に舞う。ぎっしりと床に座った50人ほどの子供たちがそのたびに、「おっ!」とどよめく。

 この日本語学校は日本に必ず帰る駐在員たちの子弟用とは異なり、米国定住の日本人や両親の一方が日本人の子供たちが主対象である。

 山下さんはそんな生徒たちに「柔道の心」にからめて「日本の礼節や思いやり」を平易な日本語で語った。「オリンピックで優勝し、君が代を聞き、日の丸をみたときが一番うれしかった」という結びの講演だった。そして質問を求めると、いかにも米国らしく数本の手がすぐ上がった。

 「柔道は合気道や剣道とはどう違うんですか」

 指さされた少女がよどみのない日本語で問うた。ポニーテールの金髪、外見に「日本」の形跡はいささかもない子だった。山下さんもびっくりしたらしく、「ウーン、いい質問ですね」と数瞬、詰まってから答え始めた。

 日本とはまったく無縁にみえる平均ふう米国人少女がなぜ完璧な日本語を話すのか。あとで本人に尋ねてみた。

 「あたしは東京の杉並区立馬橋小学校に4年まで通っていました」

 ミケラ・ブリンスリーさん、10歳だという。8歳の妹サラさんがそばにいて、同様に自然な日本語を話した。

 機会を改め、姉妹の一家から話を聞くと、このユニークな現象の由来が判明した。

 姉妹の父ジョンさんは昨年秋まで約5年、経済メディアのブルームバーグ社東京支局の次長兼記者だった。以前にも合計6年、英語教師や特派員として滞日し、日本語を学び、合気道に励んだ体験から子供たちには日本の教育を望んだ。妻のカタランさんも「子供たちが日本に何年も住みながら日本の教育を受けないのはもったいないと考えた」という。その結果、娘たちは阿佐ヶ谷幼稚園から馬橋小学校に通い、アメリカンスクールとは無縁に終わった。

 ジョンさんは「私が好きになった日本の文化や社会のすぐれた面を子供たちにも学んでほしかった」という。日本はこの米人一家にはそれほどの魅力を発揮し、しかも失望させなかったということだろう。ジョンさんにすれば、「わが内なる日本」のまさに継承だともいえる。

 「継承センター」も自らの日本へのアイデンティティーを日本語の教育で子供に受け継がせようという日本人が主体で開設された。椿谷茂校長とともに5年前に発起人となった越谷直弘、恵子夫妻は「将来、日本国民にはならないだろう子供たちにも日本語を継承させるために、まず楽しい教育に努めることが方針」と語る。とはいえ、「日本の継承」は「日本の国際化」にくらべ、まずハイライトを浴びない。

 だが山下さんらが「継承センター」を去るとき、生徒たちがさっと起立して、代表が「ではわたしたちからのプレゼントです」と述べた。そしてみんなが君が代を斉唱した。ミケラさん姉妹も山下さんもいっしょに歌っていた。日本の継承にも希望があるな、とふっと感じた。 


不鮮明ですが、上は山下泰裕氏が「ワシントン日本語継承センター」で2月23日に生徒たちに講演をしている風景です。

下の写真はこの「継承センター」の教室の情景です。
中央の大人の男性が校長の椿谷茂さんです。そのすぐ右が日本語を完璧に話すミケラさんです。



この下の写真は今回、全米の児童の「日本語年賀状」コンクールで優勝したエミリーさん(左)とミケラさんの妹のサラさんです。サラさんも馬橋小学校に通い、きれいな日本語を日本人少女たちと同じような流暢さで話します。



下はエミリーさんが日本語年賀状コンクール優勝の表彰状を掲げた写真です。
後ろにいるのは山下泰裕氏の助手として来訪した東海大学柔道部の稲葉将太(左)、紫牟田武徳両選手です。