この3月末、アメリカのニュージャージー州の病院で、一人のカンボジア系米国人男性が65歳の波乱の人生を終えました。
以下の記事の人物です。  

ディト・プラン氏(映画「キリング・フィールド」のモデルとなったカンボジア出身のジャーナリスト)AP通信によると、30日、膵臓(すいぞう)がんのため米ニュージャージー州の病院で死去、65歳。

 米紙ニューヨーク・タイムズのシドニー・シャンバーグ記者の助手兼通訳として、カンボジア内戦などを取材。75年のポル・ポト
派のプノンペン攻略でシャンバーグ記者が国外に逃れた後、ポル・ポト政権下の圧政を生き延び、79年にタイに脱出し同記者と再会。

 この間の2人の体験を描いた84年の英映画「キリング・フィールド」はアカデミー賞3部門を受賞した。カンボジア脱出後は米国に移住し、同紙のカメラマンとして働いた。


キリング・フィールド、つまり、ポル・ポト政権による自国民の大虐殺については、もうあえて書くまでもないでしょう。なにしろカンボジア国民100数十万人がこの政権の「原始的共産主義」の実験のために、殺された事実はもう公然の史実となっています。

私自身はこの虐殺の起き始めたころ隣国の南ベトナムにいて、ベトナム戦争の最終場面の報道にあたっていました。しかしカンボジアで大迫害、そして大虐殺が起きているらしいことは、かなり早い段階から多方面からの情報で感じていました。そしてその一端を報道しました。
ポル・ポト派が首都プノンペンを制圧したのは1975年4月17日のことです。

ポル・ポト派は75年4月からの数年間、もの凄い大虐殺を続けました。
最初にアメリカの政府がそれを発表し、アメリカのメディアも報道し、日本でも少しずつ情報が流れ始めました。私もその報道を始めた第一陣に入っていたことは、いまではささやかな誇りに思っています。

そんななかで、「ポル・ポト派の革命は虐殺や殺戮はない」と報道していたメディアがおそらく全世界の大手でも唯一つ、存在しました。わが朝日新聞です。
ポル・ポト派の革命は「アジア的な優しさ」があり、「粛清の危険は少ない」というのでした。現実にはカンボジア国民全体の5分の1にもあたる170万という男女が殺されていたのです。

以下の朝日新聞のその歴史的な記事のコピーを貼り付けておきます。
朝日新聞の主張、価値観、そして軌跡を知るうえで、貴重な資料といえましょう。

なおこの写真はポル・ポト派に虐殺された人たちの骨です。ほんのごく一部ですが。


 



MIX