チベットでの中国当局による住民や僧侶への弾圧が単なる中国の国内問題などではなく、国際社会全体が対応すべき普遍的な人道問題であることは否定できません。

下は「自由チベット運動」(Free Tibet Campaign)という組織が公表した、最近の四川省での抗議運動で中国当局に殺されたチベット人たちの死体の写真だそうです。




さてこのチベット弾圧は政治や外交を除いても、人間レベルでの重大な出来事です。人道主義の観点からすれば全世界の人間にとっての課題となる普遍的な案件でしょう。
そこで、こうした国際的な普遍性のある人間の悲劇や惨劇が起きれば、まず期待されるのは国際連合の関与でしょう。国連はそのために存在するともいえるのですから。

しかし今回のチベット弾圧事件に対しても国連はまったく無力であることをいち早くも証明してしまいました。この現実を読売新聞4月3日朝刊に出たジュネーブの大内佐紀記者の記事が鋭く伝えていました。
私のみる限り、こんどのチベット弾圧と国連との関係を正面から伝えた日本のマスコミの記事はこれが唯一でした。大内氏はワシントン駐在なども歴任した読売気鋭の女性記者です。

以下はその記事の冒頭部分です。見出しは「国連人権理事会 機能せず」「『チベット』でも無力」でした。

「〔ジュネーブ=大内佐紀〕加盟国は国際社会の人権状況の見直し、改善を担うはずだった国連人権理事会が早くも機能不全に陥っている。人権理は、2年前の発足当時、アナン前国連事務総長が『人権分野で国連活動に新時代を開いた』と宣言した、国連改革の目玉だったが、チベット情勢を目の前に全くの無力で、前身の国連人権委員会と同様の運命をたどりつつある。
 ■『役割果たさず』
 3月の人権理第7会期では、終盤を迎えた25日、米国、欧州連合(EU)などが相次いでチベットでの人権侵害を問題提起した。しかし、『内政干渉』と反発した中国に加え、パキスタン、キューバなども事前に議題として取り上げられていないといった手続きを盾に反発。国際社会の関心を集めたチベット情勢は結局、本格討議されないまま、会期を終えた。
 国際的な人権NGO(民間活動団体)「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のベギー・ヒックス氏は、「人権理が機動的に対処すべき問題だが、期待された役割を果たしていない』と失望感を示した。」

要するに国連がなにをしようとしても中国がノーといえば、それで終わり、国連はなにもできないのです。
インド洋への自衛隊派遣問題でもひたする国連の承認を錦の御旗にした、わが民主党の小沢一郎代表は、この国連の無力をどう考えるのか、改めて問いたいところです。
チベットでの目にみえた弾圧の殺戮に対しても、まったくなにもできない国連が日本の安全などのために、なにかしてくれるのでしょうか。

もっとも国連の無力、とくに人権問題がらみでの無力はすでにいやというほど証明されてきました。

NHKは海外向けの日本の国際放送では、この無力な国連の憲章を最大の指針にしてきた、というのです。

その国連の無力を示す実例の一つを以下に紹介します。
日本の拉致問題に関して、です。
私自身が書いた産経新聞の記事です。


【国連再考】(2)第1部(2)聖なる神殿 拉致事件で知る各国の独善
2003年07月29日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 
国連への信奉という点ではわが日本は全世界でも最高位にランクされるだろう。現実主義者とされる小沢一郎氏のような政治家までが「国連警察軍」を常設し、自衛隊を提供する構想を説くことにも、戦後の日本の国連の理想への並はずれた期待があらわである。

 皮肉なことに日本と米国は同盟パートナー同士でありながら、こと国連への態度となると、全世界でも最も離れた両極端のコントラストを描く。国連に対し米国では年来、反発や不信がきわめて強い一方、日本では依存や信頼が異様なまでに強いのだ。

 日本のこの態度は敗戦の苦痛な体験や戦後の特殊な国家観などを原因とするのだろうが、国連を国家エゴのにごりのない澄んだ水のような公正な存在とみるところから出発してきた点では純粋だといえよう。

 国連を重視し、尊重する国はもちろん他にも多い。だがほとんどの場合、国連を自国の利益の追求手段とみなし、その範囲で国連の現実を利用するという姿勢が明白にうかがえる。ところが日本は国連自体を汚れた世俗の世界での聖なる神殿とみなし、理想の推進役とする美化の傾きが強いようなのだ。

 しかしそんな日本の背中をどしんとたたくように、この傾きを正す効果をもたらした最近の実例が拉致事件がらみの国連人権委員会での事態だった。

 国連人権委員会はこの四月、ジュネーブでの会議で北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を審議した。決議案は日本人拉致事件の解決をもうたっていた。欧州連合(EU)の提案だった。北朝鮮の人権弾圧はあまりに明白であり、日本人拉致も北朝鮮首脳が認めている。国連の人権委員会が人権擁護という普遍的な立場からその北朝鮮を非難することは自明にみえた。

 ところが委員会加盟の五十三カ国のうち賛成したのは半分ほどの二十八カ国にすぎなかった。中国、ロシア、ベトナム、キューバ、マレーシアなど十カ国が反対票を投じていた。インド、パキスタン、タイなど十四カ国が棄権し、韓国の代表は投票のためのボタンを押さず、欠席とみなされた。日本国民の胸を刺す自国民の過酷な拉致という非人道行為を非難することにさえ賛成しない国が多数、存在する現実は年来の日本の国連信仰とはあまりにかけ離れていた。

 「人権抑圧を非難する決議類にはとにかくすべて反対する国が多いという国連の現実を改めて知らされ、怒りを感じた。中国やリビア、ベトナム、キューバなど人権抑圧が統治の不可欠要件となっている独裁諸国がこの国連人権委員会を仕切っているわけだ」

 拉致家族を支援して、国連人権委員会へのアピールでも先頭に立った「救う会」の島田洋一副会長(福井県立大学教授)が国連への失望を語る。事実、中国の代表は今回の審議でも「北朝鮮がすでに多数の諸国と対話を始めた」とか「決議の採択は朝鮮半島の緊迫を高める」という理由をあげ、反対の演説をとうとうとぶっていた。

 「救う会」の島田氏らは二年前に国連人権委員会の強制的失踪(しっそう)作業部会に拉致事件の窮状(きゅうじょう)を申し立てたが、拒まれた。北朝鮮がなにも対応を示さないため、という理不尽な理由からだった。同じ人権委員会はその一方で九〇年代には日本の戦争中のいわゆる「慰安婦問題」を再三にわたって取り上げ、スリランカ代表が作成した「報告書」など極端に選別的なアプローチで日本を糾弾し続けているのだ。

 国連でのこの種の関係各国の政治的な駆け引きは日本側のODA(政府開発援助)依存外交をあざ笑うのかと思えるほどみごとに、日本の期待や願望を踏みにじり、裏切っている。

 国連人権委員会のいまの議長国はカダフィ大佐の独裁で悪名高いリビアである。自国内で人権を弾圧する国であればあるほど、この人権委員会に入り込み、内部から国連による自国への非難を阻む、という実態は周知となった。だからこの委員会では中国に関してチベットや新疆での少数民族の弾圧や気功集団「法輪功」、民主活動家の弾圧への非難の動きなど、芽のうちに摘まれてしまう。

 国連では人間の基本権利の擁護という最も普遍的かつ人道的であるはずの領域でも、日本国民の大多数が描く崇高なイメージとは対照的に、加盟各国の独善の政治思惑がぎらぎらと発光する。個々の国家の利益や計算の追求が生むなまぐさい空気が公正であるはずの論議の場をおおい尽くす。

 日本人拉致事件をめぐる国連人権委員会での日本の体験は国連のこんなしたたかな現実をいやというほど明示したのだった。(ワシントン 古森義久) 


なお自己宣伝ですが、国連のこうした実態を多角に報告した私の書を紹介しておきます。産経新聞の連載をまとめた形で2004年に刊行された書です。

国連幻想