オリンピックの聖火がいよいよアメリカに上陸しました。
サンフランシスコでは予想どおり、中国当局のチベットでの弾圧に抗議するアメリカ市民、人権団体メンバー、チベット人らがこの聖火のリレーを阻もうとする行動に出ました。この抗議の勢いのために、サンフランシスコでの最初の聖火走者は倉庫の中に走りこんで、姿を消してしまったという報道が伝わっています。一時間後に別の二人の走者がまた聖火を持って市内の他の場所に現れたとかいうミステリーのような話です。

いずれにしてもオリンピックの聖火リレーがこれほどの反発や抗議の動きの対象となったこともないでしょう。

下はサンフランシスコでのその反北京五輪抗議運動の情景です。

さて北京五輪をめぐる動きには、もうひとつの興味ある側面があります。
北京五輪の聖火リレーに抗議するチベット問題の支援団体=8日、米カリフォルニア州サンフランシスコ(AP)


それは北京五輪に巨額の協賛金を払って、「スポンサー」となった各国大企業が新たな悩みに直面するようになったことです。

五輪のスポンサーになることとは、自社自体やその製品の名をオリンピックの舞台に登場させ、全世界からの視線にさらさせる、というPR事業です。オリンピックが投射する明るく健全なイメージに自社のイメージや自社製品のPRを結びつけ、プラスにするというのが企業側の「オリンピック・スポンサー」になることの目的だといえます。オリンピックへの協賛によって、自社の名が全世界に前向きに広まるという企業側の計算でしょう。
五輪主催者側はもちろん企業からの巨額の資金を得ること自体が目的です。そうした資金こそがオリンピックのイベント全体の運営の経費となるわけです。

だから本来は双方が大きな利益を得る、一種のビジネス契約なのです。
ところが北京五輪に関しては、主催者側の中国政府がチベットの弾圧を国際的に糾弾され、そのオリンピック・イベントそのもののイメージが大きく変わってきました。そうなると、スポンサー企業が期待した前向きイメージもあやうくなり、むしろ負のイメージともなりかねません。

そのへんの動きを産経新聞のコラムに書きました。
以下がそのコラム記事です。

【緯度経度】ワシントン・古森義久 北京五輪協賛企業の苦悩
2008年04月05日 産経新聞 東京朝刊 国際面

 「チベット情勢に対し深い懸念を表明する。われわれは、すべての当事者が平和的解決を望むことを知っている」

 こんな文言はいかにもどこかの国の政府が出す政治的な声明のようである。「チベット情勢」といえば、もちろん最近のチベットの住民や僧侶に対する中国当局の弾圧だろう。その弾圧がもたらした情勢の緊迫はだれしも懸念の対象となる。「すべての当事者が平和的解決を望む」というのは、いかにも国連の安保理や主権国家の政府が述べそうな言葉である。

 ところがこの文言は実際にはコカ・コーラ社が3月下旬に発表した声明だった。世界中でおなじみのあの清涼飲料メーカーが政治情勢や国際問題に論評することなど、ふだんは考えられない。だがチベット情勢の悪化で見解の表明を迫られてしまったのだ。理由はただ一つ、コカ・コーラ社が北京五輪のスポンサー企業、つまり賛助企業だからである。

 中国当局によるチベット人弾圧はさまざまな形で北京五輪に影響を及ぼすとみられるが、早くも明白となってきた影響のひとつはこのスポンサー企業への非難や詰問なのだ。その種の圧力が北京五輪の意外な急所を突くような様相をみせてきたのである。

 このスポンサー企業は現在までに公表された分だけでも19社、そのなかではやはりコカ・コーラ社はじめ、コダック、GE、マクドナルド、ビザなど米国大企業が多い。「スポンサー」となれば、五輪主催者側に巨額の資金を提供するかわりに開会式、閉会式、聖火リレーなど、全世界が見つめるなかで自社の名前や製品の名を宣伝できる。本来はだれもが利を得るはずの互恵メカニズムだった。

 ところがこの構図が3月中旬のチベットでの弾圧事件でがらりと変わってきた。

 非武装のチベットの住民や僧侶の抗議活動を武装部隊が攻撃し、死者を多数出すという血なまぐさい「チベット情勢」がまず世界各国の単に人権擁護団体だけでなく、識者や一般市民たちの怒りを呼んだ。

 それでなくても中国政府に対してはダルフールでの大量虐殺を許容、あるいは支援しているという非難がすでにある。米国議会はダルフール虐殺を北京五輪に結びつけた中国批判決議をすでに採択した。民間でも著名な映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏が北京政府から開会式演出の「顧問」として雇われていたのを辞任してしまった。そこにチベットの弾圧が起きたのだから国際世論の反発が激しいのも自然だろう。

 だが従来は五輪主催国の中国が人権を弾圧すれば、「では五輪ボイコットか否か」という命題が提起されてきた。ところがいまはスポンサー企業への種々の圧力というからめ手からの要因が大きく浮かびあがってきたのだ。まず人権擁護の各団体がスポンサー企業に公開質問状などを突きつける。コカ・コーラ社が声明を出さねばならなかったのも、チベット人擁護の各種団体計153が連名で同社の会長と社長に協賛をやめることを求め、もしやめない場合はチベット情勢への見解の表明を要求する書簡を送ったからだった。

 これら企業にとって北京五輪への協賛は自社宣伝だけでなく将来の中国市場への参入拡大にも大きく役立つという期待がある。その一方、チベット情勢がここまで険悪になると、「僧侶を射殺する政権のスポンサーになることの企業側へのイメージの悪さは計りしれない」(「人権ウオッチ」アジア部長のソフィー・リチャードソン氏)という負の要因も大きくなるわけだ。

 このため同種企業は改めてPR専門家たちにイメージ再評価を依頼するところが続出してきたという。北京五輪もボイコット論議からイメージ計算へ、再考する基準が変わってきたといえそうだ。その背後には中国政府は人権団体には強いが、協賛企業には弱く、協賛企業は人権団体に弱い、という複雑な構図も存在するわけである。