中国の胡錦涛国家主席も訪日を終えました。
夕食会で乾杯する、中国の胡錦濤国家主席(左)と福田首相=8日夜、首相官邸


注視すべき動きは多々ありましたが、ここでは胡主席が福田康夫首相とともに発表した日中共同声明について、もう一度、考えてみます。

長文の声明文を読むと、何回も何回も出てくる言葉と、当然、出てきてもよいのにまったく出てこない言葉が、おもしろいコントラストを描きます。

出てこない言葉です。

民主主義:0
人権:0
自由:0

さあ出てくる言葉です。

協力:19回
平和:16
互恵:9
友好:8
発展:7
安定:6
理解:5
信頼:4
未来:3
歴史:1
長期:1
将来:1

 この共同声明は言うまでもなく、日本側からすれば中国という重要な大国への接し方の基本をうたった文書です。
  協力、平和、互恵、友好、発展などなど、実に多数で多様な概念をうたっています。いずれも日本が目指すことを約した概念であり、目標です。しかしそれらのなかには、日本の国のあり方、国民の生き方のそのものを支え、律している基本概念はまったく出てこないのです。
 それらの概念とは、民主主義、人権、そして自由だといえます。

 いまの日本という国家はどんな思考や価値観の上に成り立っているのでしょうか。
 まず民主主義でしょう。
 国民が自らを統治する国家や政府の枠組み、そしてその内容を自由に決められる政治制度が民主主義だといえましょう。複数の政党、複数の政治指導者のなかから国民自身がトップを選ぶわけです。統治される側が統治する機構を決め、選ぶ、ということです。国家権力というのが国民自身の権力であるシステムです。
 この民主主義をまったく除外したら、いまの日本は国家としての意義を失うでしょう。民主主義とはわが日本国にとっては、それほど致命的に重要な基本的価値観なのです。

 もっとも民主主義の価値は国際的にもほぼ全世界で認められているといえましょう。現代の人類にとって、国際社会にとって、普遍的に受け容れられた価値観だということです。

 個人の人権や自由も日本社会の最重要部分です。俗っぽくいえば、日本国民が時の首相を非難しても、政権党の政策を批判しても、逮捕されることはない自由だといえます。日本国民が自分の望むままに生活し、行動し、結集し、発言し、移動し、という自由であり、権利です。自分の好きな思想、宗教、理念を信じ、唱え、表現するという人間の個人としての基本的権利でもあります。

 民主主義をはじめとする以上の基本的価値観は日本および日本国民が外部世界に顔や体を向けたときも、消えてなくなるはずはありません。たとえ中国と接するときにも、自分たちの側の指針としては巌と存続しているはずです。中国に向かって、それを叫び、押し付けることはしないにせよ、自らの言動の指針としても、一切、禁句のように沈黙を保ってしまうべきテーマでもないはずです。

 ところがこの日本の中国への接し方をうたった長文の日中共同声明には、民主主義、人権、自由という言葉は日本側だけの指針としても、まったく出てこないのです。
自分たちが信じ、頼る基本的な価値観を一言も表明できない「共同声明」とはなんなのでしょうか。

国会に入る胡錦濤・中国国家主席(右)を出迎えた河野洋平・衆院議長=8日午前9時57分、国会(酒巻俊介撮影)


朝食会に臨む(左から)海部元首相、森元首相、中国の胡錦濤国家主席、中曽根元首相、安倍前首相=8日午前、東京都内のホテル