チベット問題に関連して、胸に迫る手記を読みました。
いわゆるチベット問題の理解に有益な手記なので、紹介させてください。

いま発売中の文藝春秋6月号に掲載された「私は見た 中国の『洗脳・密告・公開処刑」という論文です。副題に「チベット亡命医師の手記」とあります。
筆者は武藏台病院副院長の西蔵ツワン氏です。

西蔵氏は本来の名をツワン・ユーゲルというチベット人で、シガツエという町に生まれ育ち、中国軍がダライ・ラマやチベット政府、指導者らを追放し、粛清し、軍事支配を確立した1959年には7歳でした。

このシガツエというのは、チベット地区ではラサに次ぐ第二の都市(といっても小さな市ですが)で、私も実は訪れたことがあります。ラサ同様に、大きな寺院が町の中心であり、住民の信仰の深さを印象づけていました。

ツワン少年は以後、中国の軍や共産党の要員がチベットの宗教や文化を骨抜きにし、僧侶を抑圧し、高僧を公開処刑するというような弾圧の進行を目撃し続けます。高僧も上層階級も「人民から搾取し、土地を奪った」という罪で抗弁は許されず、後頭部に一発、銃撃を受けて、射殺されるという光景を何度もみたそうです。

あまり詳しくこの「手記」の内容を紹介すると、文藝春秋に叱られそうです。
とにかくツワン少年はこの中国支配のチベットで3年を過ごし、10歳のときに、父親に連れられて、ヒマラヤを越え、ネパールからインドへと脱出しました。インドのダラムサラのチベット亡命政府に身を寄せ、ダライ・ラマから選ばれて、イギリス式の教育を受けた後、1965年、13歳のときに日本に送られてきました。目的は教育です。

日本では小学生の教科書で日本語を学ぶところからスタートし、やがて埼玉医科大を卒業し、1981年に日本の医師国家試験に合格し、87年には日本国籍を取得、つまり日本国民になったそうです。日本名の西蔵というのはもちろんチベットのことです。

私はこの西蔵医師の手記を読み、感動しました。こういう人がいたのか、と驚きました。
日本在住のチベット人といえば、ペマ・ギャルボさんしか知らなかったのだから、私が単に無知だったということかも知れません。


西蔵ツワン医師の写真です。同医師主宰のNPOのサイトからコピーさせていただきました。





 


















西蔵医師のNPOの活動についての記述も引用します。
同じサイトからのコピーです。

 


この度は、NPO法人「BODAIJYU」の発足にあたり心からお祝い申し上げます。
1959年、中国軍のチベット侵攻により約6万人のチベット人がインドに亡命し、以来48年間母国に帰れることを夢見ながら難民生活をおくっています。

私は42年前、埼玉医科大学前理事長・丸木清美先生の招聘のもと、チベット難民のひとりとして来日しました。チベット同胞のための医療貢献を目指し、27年前に医師となりました。故丸木清美先生をはじめ、多くの恩師がこうしたチベットの現状を理解され、私を育ててくださったものと感謝しております。

以来、多くの諸恩人方のお考えを引き継ぎ、医師仲間とともにチベット難民に対する医療と教育を中心とした支援活動を行ってきました。現在、インド、ネパールに50余箇所のチベット難民キャンプがあります。

チベット亡命政府および諸外国の支援によって辛うじて運営されています。チベットの精神的指導者ダライ・ラマ法王は、将来のチベット国のためには人材育成が不可欠であると考えております。若いチベット人に対する近代的教育が第一であると考えております。

こうしたお考えは少しずつ浸透し、現在、インド、アメリカ、ヨーロッパ諸国で教育を受けたチベット人たちが各分野で活躍中です。しかし残念なことに、いまだ人材不足、教育の為の資金不足をはじめ多くの諸問題が山積みされています。

==============================================================

しかし日本にはいろいろな人たちがいるのだと、改めて痛感しました。
西蔵医師のような人物が日本国民になってくれたことを、ついうれしく感じました。


さて、その一方、現在のチベットでなにが起きたのか。
「フリー・チベット」が発表している写真をまた掲示しておきます。