イノウエ議員といえば、アメリカの国政の場では日系人の枠をはるかに越えた超大物です。この日系米人政治家は同じ日系米人のマイク・ホンダ下院議員が推した日本非難の慰安婦決議案には終始一貫、激しい反対を表明し続けました。その陰には加藤大使の活動もあったようです。
ちなみにイノウエ議員は本日5月24日、83歳で結婚式をあげました。相手は日系米人博物館長のアイリーン・ヒラノさんです。イノウエ氏は長年の妻を失い、最近は独身でした。
下は上院で活躍するイノウエ議員の写真です。
さて、その日系米人に関して、以下のようなエッセイを書きました。
日系米人には珍しいマフィアの大幹部がいて、その人の人生を追ったドキュメンタリー
映画ができるという話です。
6年半の勤務を終えて近く帰国する加藤良三駐米大使の5月中旬の離任パーティーではダニエル・イノウエ上院議員が乾杯の音頭をとった。惜別の辞を述べた数人のなかにはノーマン・ミネタ元下院議員がいた。
イノウエ氏は第二次大戦で米軍兵士として負傷し、勲章を得た長老政治家、ミネタ氏はブッシュ政権で運輸長官を務めた。ともに日系二世である。送別側での2人の存在は加藤大使が日系米人リーダーたちとの親交を深めた実績を物語っていた。
日系米人の米国社会での成功はめざましい。だが個人としては控えめで、地味な人たちという定評がある。ビル・ホソカワ氏の著書「二世-このおとなしいアメリカ人」のタイトルが総括するように、社会では自己を律し、法を守り、家庭には範を示し、静かに生きる人たち、というイメージである。
だが本当にそうなのか。
そこで思い出すのは本格マフィアの大幹部だった日系二世ケン・エトー氏の型破りな生き方である。
関西学院の体操教師を辞めて米国に移住した衛藤衛氏の長男としてカリフォルニアに生まれた彼は第二次大戦後すぐシカゴのマフィアに加わり、バクチの才で組織内をのしあがった。私生活も奔放で派手をきわめ、歌手やダンサーとの結婚と離婚を4回も重ねた。1980年代にはシカゴ北地区のビンセント・ソラノ一家のギャンブルを仕切る大幹部「トーキョー・ジョー」として押しも押されもせぬ地位を築いていた。
トーキョー・ジョーの名は1983年、全米にひびき渡った。2月の厳寒の夜、シカゴ郊外の駐車場の車内でマフィアのヒットマン2人に至近距離から22口径ピストル3発をも後頭部に向け撃たれたのに、助かってしまったからだった。
ジョーはその前年、トバク開帳容疑で検挙され、有罪宣告を受けていた。マフィアのドンはジョーが捜査当局との司法取引に応じ、免責と引き換えに、最高幹部たちの犯罪を暴露するのでは、と疑った。そして口封じを図った。ジョーには暴露のつもりはまるでなかったのに、だった。
ジョーは忠誠を尽くそうとした上層部が自分を消そうとするならば、と暴露証言に踏み切った。シカゴのマフィアの最高幹部たちはその結果、根こそぎ検挙された。ジョーは連邦捜査局(FBI)の保護を受け、身分を変えて地下にもぐった。17年間も身を隠し続けた。
私はトーキョー・ジョーの軌跡を当時、所属していた毎日新聞に「遥かなニッポン」というノンフィクション連載で詳しく書いた。日本の血を継ぐ日系人でも米国社会では「日本」からいかに遠くへいってしまうか、という意味をこめていた。
それから20年余り、ジョーの生き方を描くドキュメンタリー映画「Tokyo Joe」がいまほぼ完成した。小栗謙一監督が5年以上もかけて制作したこの作品は英語のナレーションに日本語の字幕をつけ、今年11月には公開の予定だという。
小栗監督は映画の主眼として「個人としての主体性や自分の存在価値をあくなく求めたケン・エトーというふしぎな人物の『個』を解き明かしたいと思った」と語る。自己を律し、法を守り、突出を避けて生きるとされる日系米人のステレオタイプ(定型化)とはおよそ反対の人物像である。
米国社会はステレオタイプでは決して集約できない変幻の場だなと改めて感じた。(こもり・よしひさ)
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コメント
コメント一覧 (36)
マフィアの社会で、マイノリティーな日本人は、日本人特有のまめさと頭のよさがあるからこそ頭角を現せたんじゃないかと思います。でなかったら、下っ端サンピンとか鉄砲玉ぐらいで終わってたんじゃないでしょうか?
それと、17年も地下に先行するには、よほどの忍耐強さが無いとだめでしょうね。これも、日本人の特質ですよ。
そう思うと、日本人の根っこは、このケン・エトー氏も持ち続けていたのだと思います。
「日系人が温和しい」…とは思えません。442の戦歴を見るととっても『温和しい』という表現は相応しくないと思います。
そう言えばダニエルイノウエさんも442出身なのですね。最大限の敬意を送ります。
とても興味があります。
以前に自分のブログで、日本人移民はマフィアを作らなかった数少ない移民だと書きました。
でも一方では、こういう世界へ飛び込んだ人たちも居たんですね。
この記事、本紙で拝見しましたが非常に興味を持ちました。映画が公開された是非見に行くつもりです。
>ジョーは忠誠を尽くそうとした上層部が自分を消そうとするならば、と暴露証言に踏み切った。シカゴのマフィアの最高幹部たちはその結果、根こそぎ検挙された。
まるで映画の一シーンを見るようです。ひょっとしたら「ゴッドファーザー」並にヒットするかも知れません。
受け入れられる側と受け入れる側との間の摩擦、融合、同化。
従来の生活習慣や物事への認識などの見える壁と見えない壁。
外国人を雇用することで人口減少・高齢化の進展の穴埋め。
一方、外国人による犯罪の増加、外国人労働者雇用するによる国内の不満、
移民受入れに伴う税・社会保障負担へ影響、民族構成に見える大きな変
化、オーバーステイ外国人に関連する人権問題・・・
移民を受け入れ続けるの必要性などなど
大変興味深いです。
わたしはCA在住のものです。曾祖父が戦前に米へ移住しました。第二次大戦で米軍兵士としてた戦った大叔父もいますし,全米日系博物館へ足を運んだこともありますが、このような日系人の方ノ存在は全く知りませんでした。
「戦前に米へ移住された方々は、地域や親戚単位で移住された方が多く、差別等の理由で、多くは日系コミュニテイー内で結束をかためているしかなかった」
と勝手に思っていたからです。それに、日系米国兵達は米国への忠誠証明をするために志願したにもかかわらず、政府から信用されず、一時隔離された場所にいたと言うような話も聞きました。土地も没収されたり・・・。そのような仕打ちを日本人が米人から受けたにもかかわらず、戦後に単独でそのような独特なシカゴのマフィアに加わるなんて・・・。村的な日系社会になじめなかったのかもしれませんが、何が彼をそのように突き動かしたのでしょうね。
殺そうとする前に、忠誠心を確認しろよ、と思ってました。
米軍キャンプの側に住んでいた事からキャンプ内にあるゴルフ場でキャディ
のアルバイトをしていた時がありましたが、日系米人のバックを担ぐ事が何
度かありました。
しかし、彼等は日系人で在るにも関わらず、何故か日本人をひどく嫌って
おりました。
当時はその理由が解りませんでしたが
後になって理解出来た事は、中国人や韓国人は米国に移住しても彼等独自の
コミュニティを作り、自身達の文化を何代も受け継いで行きます。
しかし日本人は移住した先に倣う事が当たり前と考えているため
米国に移民して来る人達の中で、最も早く祖国の言葉と文化を無くしてしま
う速度がはやいという事です。
中学生の時の日系米人は初老といった年齢の人達でしたので
おそらく米国人として戦争に行った経験のある人達であったと考えます。
第二次大戦時には米国人になり切るためには、日本を嫌わねばならなかっ
たのかも知れません。
それだけ米国での日系人の暮らしは辛いものがあり、日本人から決別した
かったのではないのかと考えます。
例えば、もう少し狭い範囲で、例えば日本国内での事を考えれば理解し易いのではないでしょうか?
例えば、田舎から東京へ出てきた人を考えれば、○△県人会とかにこだわる人と、そう言うものから全く距離を置く人がいるではないですか。
日本人だから、日系人だから、と一括りに考えるからおかしくなるわけで。
ギャングの顔役になる人がいてもなんの不思議もないでしょう。
私などは、出身県を隠したりはしませんが、県人会などには入りたいと思ったことはありません。
逆に大阪人(もしくは関西人?)みたいに、何十年経ってもどこへ行っても関西弁で通す人を見ると、一寸理解できないと思ったりもします。
ありきたりですが、個人差なのではないでしょうか?
そうですね。
ケン・エトー氏にも「日本人の特質」があったといえるかもしれません。
正確には「ふだんは他者の目にはおとなしくみえる」ということでしょうか。
日系米人とイタリア・マフィアの結びつきというのは、普通のアメリカ人が聞いても、びっくりの、非常に例外的なケースです。
アメリカでの移民問題と、日本のいまの外国人労働の問題と、共通の部分も大きいですが、異なる部分も根幹にあるといえそうです。
日本よりはアメリカが外国からの人間にドアを開放していることは、間違いありません。それぞれの国の成り立ちの違いがあるわけです。
お国の中国はどうでしょうか。
初めまして。
日本からの移民とその子供たちが日本人社会で結束する以外になかった、というのは、歴史としてはそのとおりだったと思います。
しかし現在では日系米人はアメリカ社会でも最も社会的、職業的に成功し、社会の主流に同化し、他の民族、人種との結婚の比率も多く、まさにスーパー・マイノリティーです。
しかしそれでも日本への独特の思いがある。最近ではイノウエ議員の言動をみていると、そう感じさせられます。
こうした日系米人の歴史と現在をくわしく書いたのが『遥かなニッポン』という私の本です。一世から四世まで、100人以上にインタビューして書きました。戦争中の辛い立場についても詳述しています。
もしご指摘の諸点に関心があれば、『遥かなニッポン』はアマゾン(日本版)で簡単に入手できます。
▼マイク・ホンダの母、房子の物語
http://www.scvjcc.org/nichigo/shirayuri/megumi/2002/ashiato0210.html
最近見ていたテレビでもデーブ・スペクターが演歌歌手ジェロ(祖母が日本人)の出身地を、日系人はシカゴに多いのにジェロは違うから珍しいと言っていました。
年齢的に第二次世界大戦を経験しているであろう日系人マフィア、故ケン・エトーさんも、いごこちのよい居場所をシカゴにもとめたんでしょうね。
古森さんから日系人アメリカ人は成功していると何度か指摘がありましたが、戦後肩身の狭い思いをしたであろう日系人がどのように成功していったのか興味が湧いて、『遥かなニッポン』を読んでみたくなりました。
「バラキ」というのは日本の映画ですか。
無知で、すみません。
実は私も子供のころに限られた接触のあった日系米人(そのころは単に、ニセイ、ニセイと呼んでいたようです)から同じ印象を受けました。
私は子供のころは代々木のワシントンハイツの近くに住んだので、そのときに近くでたまにみた、おそらく米軍関係の日系人だったのでしょう。
しかしその後、アメリカに留学し、シアトルで会った日系米人はそんな印象とはまったく異なりました。みな謙虚で、日本への親しみを隠さない人たちでした。
やはり戦争で日本を敵国としたという歴史の桎梏だったのでしょうか。
ご指摘のように、個人差、日系人だから、と即断してはいけない、ということでしょうね。それが私のコラムの趣旨の一部でもあります。
ただし統計的にはマフィアの大幹部にイタリア系ではない人間がなること自体、きわめて少ないとは思うのですが。
『遥かなニッポン』は自画自賛の愚を承知でもうしあげれば、けっこう、おもしろい本だと思います。
古森さんの宣伝につられて『朝日新聞の大研究』を読んでいます。ちょうど半分読みました。
戦後史を概観する意味でも非常に勉強になる本です。
読んで知ったのですが、私も朝日の造語に若干毒されていました。
「宣伝」も誇大ではなかった、ということですか。
参考にしてくださって、うれしいです。
共著者の井沢元彦、稲垣武両氏もその後も健筆をふるっていること、たぶんご存知のことと思います。
この映画の発端は、奥山和由さんが私の書いた『遥かなニッポン』というのを読んでくれて、映画化を考えたことだった、といえるかもしれません。
ディパーテッドは私もみましたけど、おもしろいストーリーですよね。
でもそのストーリーは香港映画の三部作からの借用であること、ご存知ですか。アメリカ側の製作者はきちんとそのことを認めていますが。
ドキュメンタリー映画といえば、一ノ瀬泰造カメラマンの足跡を追った
「TAIZO」という作品をつくった中島多圭子監督が国際賞を受けました。
中島さんも確か小栗さんの門下、奥山さんの指導を受けていた若手だと聞いた記憶があります。このドキュメンタリーには私もインタビューを受ける役で出ました。一ノ瀬氏を直接にベトナムで知っていたからです。
稲垣さんはこのブログに参加する以前から
月刊正論でお世話になってます。
ただ、著書は図書館で取り寄せて読んでます。
あしからず。
なるほど、まとも派の主張を読む経歴はすごく長いんですね。
おみそれしました。
いやはや、映画に関しても、こちらの先方、トラック1周ぶんぐらい、を走ってる感じですね。
畏敬の念を改めてリセットしました。
でもインディアナ・ジョーンズ、「水晶の頭蓋骨」はしゅんさんもまだ観ていないでしょう。地の利でこちらは観ましたよ。
実在だった、という時点で、小生にとっては目からウロコだった。
アメリカに何年も住んでいた日本人にしてこれだから、情けない(笑)
あまり古い「経験談」で話をしないほうが無難かも知れない。
ご主旨、正論である。
小生も常々
「アメリカ映画・マンガといえば勧善懲悪の単純な二元論だ」
といった式の、それこそ「単純」な思い込みには苦々しい思いを抱いてきた。
正直、わが国の映画の方が、まことに残念ながら、脚本の質などふくめ、はるかにシンプルかつお粗末である。わが国の視聴者が、展開の中に巧妙に折り込まれた数々のテーマに気付かないだけである。
最近になって、アメリカでも大衆化が極まってきたのか、脚本がつまらなくなってきた。と同時に、日本の脚本の再利用が出始めた。
無制限の伝統破壊と大衆化、という点では、わが国の方が進んでいたのか、最近の日本の貧弱なソフト文化が、世界の先端を駆けつつある現状は、まことに皮肉である。
移民問題について、中国国内ですこしずつ問題視されいる。
開放初期に入国した外国の方は基本的高級技術者と言った人々で、wtoに加盟してから、中国政府は金融、保険、建築、サービス業などを開放するようになった。以後、大量の外国の方々が中国へ行った。
統計による、北京、上海、広州の三大都市だけでも、登録されて外国の方々は27万になっている。そのほか、オーバーステイ外国の方々がおよそ9万人にのぼった。
現段階、政府がオーバースティ外国の方々の違法就労問題に止まっているようで、最近雇用側と被雇用側の訴訟も見られるようになってきた。
それと、外国雇用者と中国雇用者ないし消費者との衝突もしばしば発生している(所謂見える壁と見えない壁の衝突)。
今現在、外国人雇用による国内の不満はまだ見られないが、いずれ爆発するでしょう。それこそ、「ステージ風発」の如く。
中国の出入国管理法の不完全、外交部、公安部、地方公安機関の三者の「協調と交流」の欠如。
外交部→ビザ発行
公安部→国境窓口での査証
地方公安機関→入国後の管理
の三者の連携に見える真空化。
氷山の一角に過ぎない。楽観的になれる客観性はどこにもない。
>「バラキ」というのは日本の映画ですか。
チャールズブロンソンが主演した、アメリカ映画で、実話物です。
やはり、逮捕された後に取引で組織の秘密を喋るのではないかと疑われ、刑務所内で暗殺されそうになりました。
本人の弁によれば、忠誠を誓っていて裏切るつもりはなかったそうですが、相手が殺しに来るならと、司法取引ですべて喋ってしまいました。
彼の証言で初めて、コーザノストラという組織が人々に知られたそうです。
その後は保護プログラムで身を潜めたそうです。
詳細なコメントをありがとうございました。
ただし外国人の技術者が招かれて他国に入り、数年間、在住することと、
外国人の一般労働者がその他国に永住するつもりで入ってこようとすることとでは、基本的なカテゴリーの違いがあると思います。
「バラキ」というのはブロンソンですか。
知りませんでした。
私もかつてチャールズ・ブロンソンの映画は大好きで、ずいぶん観ました。
ビジランテという復讐者の物語がつよく印象に残っています。
いや、あなたの理解は間違っていないかも知れませんよ。
というのはケン・エトーについたトーキョー・ジョーというニックネームはその時点ですでに他の人物(架空、実在は別として)が使っていたわけですから。
ケン・エトーと「朝鮮」の関連はないと思います。
本人はまず完全なアメリカ生まれのアメリカ育ちです。
そして父親の衛藤衛(えとう・まもる)氏は大分県竹田の出身、日露戦争に出征し、師団司令部付きの軍人として、203高地の激戦で生き残りました。その後、関西学院神学部の体操教師となっています。当時のエリートなのでしょうか。アメリカでもキリスト教の牧師でした。つまり牧師の長男がマフィアになったのです。
そのへん、もしご関心あれば、拙著の『遥かなニッポン』に詳述してあります。
>
>ただし外国人の技術者が招かれて他国に入り、数年間、在住することと、
>外国人の一般労働者がその他国に永住するつもりで入ってこようとすることとでは、基本的なカテゴリーの違いがあると思います。
ああ、すみません。混同してしまいました。