北京オリンピックについて月刊雑誌VOICEの最新号にかなり長い論文を書きました。

北京五輪は中国当局にとってプラスとマイナスの両面の結果をもたらす「諸刃の剣」ではないのか、という論旨です。

そして中国の人権抑圧に反対し、このオリンピックを機に抗議活動を強める各種組織の現状をレポートしました。

では以下はVOICE掲載の古森論文の紹介です。

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北京オリンピックは中国当局にとってまさに「諸刃の剣」となりそうである。

オリンピックは世界の各国、各民族の融和を祝う「平和の祭典」と評される。

 現実に、その開催の目的は平和や友好、融和だとされる。

だから中華人民共和国がその祭典を主催することは、単に国威の発揚だけでなく、国際社会の主要な一員として、世界の平和や友好を真に推進しているのだというイメージの拡散となる。

 国際的な協力や協調を重視する優しい大国としての印象をアピールできる。

 これまで国内の人権弾圧や対外的な覇権志向で国際的な悪評をあびてきた中国としては、まさに待ちに待った汚名払拭の好機であろう。


 だからこそ中国政府は自国へのオリンピック誘致に必死となった。

 国際オリンピック委員会に対し「人権の改善」「環境の保護」「自由の回復」などを条件として誓約し、北京での二〇〇八年の開催の栄を勝ち取った。

しかしその一方、北京でのオリンピック開催は中国当局の「負」の実態を全世界にさらけ出す可能性もある。

 中国政府が対外的には必死で隠してきた国内での政治的弾圧、少数民族抑圧、自由や人権の侵害、そして貧富の格差の広がりや環境の悪化など、さまざまなマイナスの要因が北京オリンピックが開ける窓から外部へと大幅に露出されてしまう可能性があるからだ。

 だから「諸刃の剣」なのである。

 

オリンピックの際には当然ながら北京には全世界からのスポーツ選手や報道陣だけでなく、膨大な数の観客も訪れる。

 ふだんは閉ざされがちの場所がオリンピックのために開放され、外部の目や耳やそして声までが入り込んでくる。

中国当局がいくら北京オリンピックの成功のために努力をしても、自由の抑圧や人権の弾圧、少数民族への同化の強圧など共産党一党独裁の統治の基本をがらりと変えてしまうことはできない。

 都市と地方の格差を一気に減らすことも、環境保護を一気に進めることも、できはしない。

 政治体制の枠組みを短期間に変えることは不可能だからだ。

となると、北京オリンピックが中国本来のそうしたネガティブな特徴を改めて外部世界に提示してしまう見通しも強くなる。

 同時に外部から訪れる人たちの間には、中国政府のそうしたネガティブな特徴に対し現地で抗議を展開する活動家たちも存在することだろう。

 中国のあり方に不満を抱く側にとっては北京オリンピックが中国当局への絶好の抗議や非難の舞台となる可能性である。

国際的には北京オリンピックを機会に、この催しを利用して、中国の共産党や政府に年来の諸課題での抗議をぶつけようという動きはすでに表面に出てきた。

 改革を求める動きも活発となってきた。その場合の抗議の最大対象となるのは、やはり中国当局の人権弾圧であろう。
(つづく)