北京オリンピックの自分なりの総括です。

【朝刊 1面】
記事情報開始【北京五輪 百年の夢のあと】(下)民主化に背向けた祭典

 

 過去7年、全世界に屈折した波紋を広げ続けた北京五輪もついに幕を下ろした。

 スポーツの祭典としては壮大、華麗、そして躍動を極めたこの催しは中国の国家としての質や国際社会での位置をどう変えていくのか。

 「スポーツを政治から切り離せるというのは酸素を空気から切り離せると宣言するに等しい」と述べたのは、東京五輪での米国選手団主将で後に上院議員となるビル・ブラッドレー氏だったが、北京五輪の政治的意味は深遠である。

 北京五輪の意味を前向きにとらえる識者たちは歴史の類似として1988年のソウル五輪を提起する。

 韓国は五輪以後に民主化を大きく進め、経済でも開発途上の域を脱して飛躍的な発展を示した。

 だからすでに経済発展の顕著な中国も五輪を機に民主化や開放の方向へ大きく進むと予測するわけだ。

 この種の見解では64年の東京五輪も同列に論じられる。

 日本も五輪以後、経済大国への道を躍進し、民主主義を成熟させていった、というのである。

 ■独裁権力を行使

 しかし北京五輪ほど主催する政権が民主主義に背を向け、独裁権力を行使しきることで祭典を盛り上げた先例もまずない。

 巨大施設の建設のための住民や労働者への強制処遇、事前のチベット、ウイグル族らの弾圧、そして政権への苦情を訴える一般住民や民主主義、宗教の活動家の除去などは、一般の民主国家なら絶対にできない措置だった。

 五輪を報じるために全世界から集まった報道陣への厳しい規制も民主主義とはおよそ異質だった。

 大会が幕を開けてからも子供を使ってまでの国威発揚の偽演出の数々、観衆のマナーを加工する「文明応援隊」の大動員、そして国家完全育成選手たちによる金メダル獲得の大活躍と、全体主義国家の威力がいかんなく発揮された。

 その結果の祭典の迫力は世界の新トレンドとしての「独裁主義の新時代の到来か」(英フィナンシャル・タイムズ紙の論評)という皮肉をこめた反応を生んだほどだった。

 しかし、北京五輪の大展開は中国の国民大多数に自国への誇りや自信を強めさせた。

 民族意識や国家意識の感情的な噴出につながりかねない高揚だといえよう。

 だが中国当局は競技の場での国民によるナショナリズムの情緒的な露出をもがっちりと抑えた。

 ■民族意識も管理 

 「ナショナリズムの表明をも管理した政府の成功こそ五輪主催が中国の政治力学を基本的に変形させる動因とはならないことの証明」だとする米国デンバー大学米中協力センターの趙穂生所長の見解は、中国共産党の独裁統治メカニズムの効率と威力を強調する。

 中国選手が金メダル争奪戦で世界を制覇したことも、期せずして中国の非民主的な全体主義の国家構造を強烈に印象づけた。

 すべての選手が一般社会のスポーツからは遊離した国家管理下のエリートだという共産主義のソ連型システムである。

 米国の元陸上競技代表選手でいまは学者として中国に滞在するスーザン・ブラウネルさんは「この国家管理制度がスポーツの大衆化を阻み、ひいては社会の改革を遅らせている」と論評した。

 それでも中国がこれほどの国際行事をこれほど盛大に成しとげたことは、中国選手の大活躍と合わせて国際社会での中国の存在感を間違いなく高めるだろう。

 だが、その存在の高まりは決して国際社会の多数派との均質性の広がりではない。

 その意味では北京五輪は旧ソ連がその後、勢いを強め、だがやがては孤立を深め、内部の分裂をも起こしていった80年のモスクワ五輪との歴史的類似をもつい連想させるのである。

 (編集特別委員 古森義久)