雑誌『諸君!』掲載の古森論文の最終部分です。

 

北京五輪もなんだかずいぶん前の出来事のように思えてきましたが、なおその決算の検討は中国のこんごを考える上で超重要だといえましょう。

 

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北京五輪が当面は強めることになった中国人一般のナショナリズム、愛国意識、そして共産党政権への畏怖の念などは、それほど長く保たれることはないだろう。

 

北京五輪がその一方で期せずして招き入れた諸外国の自由な空気や普遍的な価値観が中国人の間にもじわじわと浸透する展望も軽視はできない。

 

共産党政権にとっては、一般市民の間に芽生えつつあるモヤモヤとした違和感、自国と外部世界とのギャップへの生理的な感知――それを民主化への希求と呼ぶのは早計であり、短絡だとしても――をいかに抑え込むか、という課題が、こんごますます拡大されて迫ってくるだろう。

 

  北京五輪によって存在がクローズアップされたチベットやウイグルの問題も、共産党政権にとってはさらに悩みの種となるだろう。

 

 少数民族にからむ課題は中国内部の従来の宗教組織や民主化運動組織への対策とも複雑にからみあっている。

 

 中国政府はそれらの勢力に対し五輪前にも弾圧は続けていたが、一定の自制の限度を設けていたといえる。

 

 五輪開催のためには、こうした勢力があまり活発に動いてはならないと判断する一方、その抑圧をあまりひどく断行すれば、こんどは国際世論が激しく反発して、五輪開催自体へのリスクを生みかねない。

 

 中国当局にはそうした計算が確実にあっただろう。

 

 だがいまや北京五輪が終わった以上、少数民族などの弾圧は苛烈をきわめてくるかもしれない。

 

 そうした弾圧は中国当局にとっては常に両刃の剣である。

 

  そのうえに中国政府は従来からの「自由な経済、統制された政治」という矛盾した国是の保持という基本的な難作業に迫られている。

 

 経済発展を維持するため、経済面でのかなりの程度の自由化は継続しなければならない。

 

 その一方、政治面では一党独裁の態勢を守り続けねばならない。

 

 だが経済面での自由化を進めれば、価値観の多様化がどうしても進む。

 

 その多様化はどうしても政治の領域にまで及んでいく。多様化は自由化につながりやすい。

 

 一党独裁は多様化とも自由化とも両立はしない。

 

 この壮大な矛盾にどう対処するのか。

 

 その点こそが中国共産党にとっての最大の切迫した課題だといえよう。

 

 北京五輪はまさにこの基本的課題への取り組みをより複雑に、より難儀にしたともいえる。

 

全世界をにぎわせた北京オリンピックはこうして中国当局に対し、さらにまた国際社会に対し、多くの課題や疑問やチャレンジをも提示したまま、幕を閉じた。

 

これらの新たな課題やチャレンジに中国共産党はどう応じていくのか。

 

北京五輪は中国にとっての歴史の岐路となるといえよう。

(終わり) 

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