講道館発行の雑誌『柔道』2008年9月号に掲載された古森の記事の紹介です。

 

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その結果、これほど国際的な人間集団もまず珍しいといえるほどの構成となっているのだ。

 

たとえばロシアの男性とイタリアの女性が乱取り稽古をするのをみて、日本人の宮崎師範が技のかけ方を指導する、というような光景がごく普通に繰り広げられるのだ。

 

しかも舞台はアメリカなのだ。

 

いうまでもなく、この国際的な多彩の人間の集まりを束ねる共通のきずなというのが日本の柔道なのである。

 

柔道に関して「日本の」と、あえて書いたのは、ワシントン柔道クラブは伝統的に日本の柔道を範とする傾向がきわめて強いからだ。

 

 現在のクラブの総代表格のノルス氏は日本をたびたび訪れ、講道館で嘉納行光館長に面会して、指導を仰いだほか、東海大学柔道部とも交流し、佐藤宣践氏、山下泰裕氏らをワシントンに招いて同クラブで大講習会を催している。

 

ただしこのプロセスでは柔道に造詣の深い加藤良三駐米大使(二〇〇八年六月まで六年半在勤)が全面的に支援してくれた。

 

アメリカ柔道の発展支援を日米友好促進の一助と位置づけ、ワシントン柔道クラブを通じての交流を外務省のプロジェクトとしてバックアップしたのだ。

 

加藤氏はいま日本に戻り、全日本学生柔道連盟の特別顧問に任命されたと聞くが、同氏の駐米大使としての日米柔道交流やワシントン柔道クラブへの援助は非常に貴重だった。

 

日本側でも同クラブの比重を認識して、二〇〇五年春には東京学生柔道連盟が各大学から募った約三十人の男女選手から成る訪米団(植村健次郎団長)をワシントンに送り、同クラブのメンバーらと二日にわたり、合同練習をした。

 

同連盟では来年春にもまた選手団をワシントンに送ることを決めている。

 

師範の宮崎剛氏や筆者の母校、慶應義塾大学も二〇〇一年と二〇〇七年の二回、柔道部訪米団をワシントンに送り、同クラブと親しく、そして激しく柔道交流をした。

 

ワシントン柔道クラブではこうした講道館や日本学生柔道組織との接触の結果、日本の大学柔道出身の三人の選手を長期のメンバーかつコーチとして迎えるようになった。

 

この三人の日本柔道の披露が同クラブの実力や評判をさらに高め、より多くの強い選手たちをさらに招き入れる素地となった。

 

一人は東海大学の団体戦全国優勝のメンバーだった大川康隆選手で、二〇〇七年春から日本オリンピック委員会の奨学金を得て、ジョージタウン大学でスポーツ・マネージメントを学びながら同クラブの師範代として柔道指導にあたってきた。

 

大川選手は指導だけでなく二〇〇七年秋のアメリカでの国際大会のUSオープンにも出場して、100㎏超級と無差別級の二階級制覇を果たし、ワシントン柔道クラブの名をも高めた。

 

日本大学柔道部の女子メンバーだった波多野麻衣子選手も二〇〇七年春から同クラブに入り、女子の指導にあたり始めた。

 

その前年には拓殖大学卒の阿知波秀和選手も参加した。

 

 阿知波、波多野両選手とも自主的なアメリカ留学だが、日本の大学柔道で本格的に鍛えられた地力はワシントン柔道クラブへの貴重な寄与となっている。

 

(つづく)

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