講道館発行の雑誌『柔道』9月号に掲載された「ワシントン柔道クラブ」についての私の報告の紹介第五回、最終回です。

 

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 こう報告してくると、ワシントン柔道クラブが単にアメリカ柔道の濃縮された一角であるだけでなく、世界各国の多様な柔道の縮図であることが明らかになるだろう。

 

 稽古の場で、打ち込みに、乱取りに、立ち技に寝技に、必死に励む多様な顔ぶれをみていると、日本の柔道はよくもここまで世界に広まったものだと何度も感嘆させられる。

 

 純粋に日本で生まれ、育った事物がこれだけ全世界に広範に普及したというのもまず他に類例がないだろう。

 

 だがその柔道の国際的な普及も、わが日本柔道、講道館柔道の先人たちの各国での鮮やかな実力の発揮や、血のにじむ労苦や献身があってこそだったという経緯は、ワシントン柔道クラブの会員たちと言葉を交わすだけでも、実感をもって胸に迫ってくる。

 

 トルコでも、ギリシャでも、フランス、ペルー、アルジェリア、ブラジルでも、それらの国の出身の選手たちに母国での修行の内容について尋ねると、その答えには必ず「日本人の先生」がちらりとでも出てくるからだ。

 

 ワシントン柔道クラブの土台となるアメリカの柔道にしても、戦前から渡米した日本人柔道家たちの営々たる努力と実績があってこそ、なのである。

 

 筆者自身はワシントンにあって、そうした先人たちの実績の果実を享受していると感じることが多い。

 

 在米の一般日本人として、あるいは日本の新聞記者としても、顔を合わせて、語り合う機会はまずないようなアメリカ人や他の外国人と、柔道のお陰で、親交できるからである。

 

 柔道という共通項が人種や民族、職業、年齢などではまったく異なる相手との交流を可能にするのだ。

 

 柔道にはもはやそれだけの国際的に普遍な魅力があるということだろう。

 

 普通なら成立しないコミュニケーションを可能にするという意味では、柔道は国際的な肉体言語と呼べるのかもしれない。

 

 しかし国際化した柔道はその普遍性の反面、なお間違いなく「日本」が軸となって厳存する。

 

 少なくともワシントン柔道クラブでの状況はそうである。

 

 このクラブに集まる男女は柔道が大好きでも、本来は日本についてよく知っているとか、関心が高い、というわけではない。

 

 だがまず練習での用語は「正座」から「礼」に始まり、「待て」「止め」まで、みな日本語である。

 

 技の名称ももちろんすべて日本語だ。柔道ではまだまだ「日本スタンダード」が健在なのだといえる。

 

外国の普通の選手ならば、それら用語へのなじみからだけでも柔道の背後にある日本の言語や文化、そして価値観らしきものにまで、なんとなく温かい視線を向けるようになる。

 

言葉にしなくても婉曲な敬意を感じるようになる。諸外国出身の柔道家たちをみていると、そんな印象を受けるのである。

 

ワシントン柔道クラブの場合、この日本スタンダードはさらにもっと確固たる形をとっているようだ。

 

なにしろ数の多い諸国で稽古をしてきたメンバーたちだから、柔道のスタイルもサンボふう、レスリングふう、と、いろいろある。

 

普通の投げ技はまったくかけず、タックルや返しを狙うだけ、という非柔道的な柔道も少なくない。

 

そんな相手たちに対しても、日本の大川、阿知波、波多野各選手はみな、日本ふうの正統派柔道であくまで対抗する。

 

両手で相手の道着をしっかりとつかみ、正面から跳びこんで技をかけ、一本取ることを目指す。

 

彼らのそうした稽古や指導が一年、一年半と、続いてみると、いつのまにか、レスリングやサンボふうの攻防方式はすっかり減ってきたといえる。

 

ここでも、「日本柔道、まだまだ健在」と実感させられるのである。(終わり)

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筆者 古森義久(こもり・よしひさ)

講道館五段

産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。

杏林大学客員教授。国際問題評論家。