バラク・オバマ米国次期大統領について書いた『WILL』2009年1月号の私の記事の紹介を続けます。

 

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 オバマ氏は今回の大統領選挙では二度の戦いに勝利したといえる。

 

 第一回は民主党の指名を争うクリントン上院議員との対決だった。

 

 この対決は事実上、二〇〇七年一月ごろから始まった。

 

 オバマ氏が大統領選挙への立候補を正式に宣言し、民主党の指名争いの予備選にのぞんだのが同年二月だったのだ。

 

 このころクリントン候補は圧倒的に優位に立っていた。

 

 資金の豊かさでも、世論調査の支持率でも民主、共和両党のすべての候補者のなかで突出していた。

 

 共和党側でもニュート・ギングリッチ元下院議長が「次のアメリカ大統領はまず確実にヒラリー・クリントン女史となるだろう」と公言し、あきらめを認めていたほどだった。

 

 新人かつ黒人のオバマ氏はその本命中の本命のクリントン女史に正面から挑戦し、少しずつ、一州ずつ、支持を広げていったのだった。

 

 オバマ氏にとっての第二の戦いは、いうまでもなく戦争ヒーローの共和党マケイン候補との対決だった。

 

 民主、共和両党がそれぞれ党全国大会で正式の指名候補を決めてからの本番選挙戦は九月はじめにスタートした。

 

 その期間は投票日の十一月四日まで二カ月ほどと、予備選の時期にくらべずっと短かったが、ずっと大規模の激しいキャンペーンとなった。

 

 オバマ氏にとってはクリントン候補と対決した予備選や党員大会での戦いがその都度、特定の一、二州に限られていたのにくらべ、全米が同時に舞台となったのだ。

 

 オバマ氏にとっても、マケイン氏にとっても、この大統領選での戦いは実に二年近くも続いてきたのである。

 

 この選挙戦は各候補者にとっては、はたからみても気の遠くなるほど長い試練と闘争のプロセスとして映る。

 

 とくに一年半以上にわたる各州での党員大会や予備選段階では両党とも複数の候補たちが激しくせめぎあう。

 

 これでもか、これでもか、と戦いあい、叩きあうのだ。

 

 候補者だけでなく有権者までがその戦闘に深く加わる。

 

 その過酷さは「ボクシングをしながらマラソンをする」ようだとも表現される。

 

 あまりに長く険しい道程は自虐的にさえみえる。

 

 だが当事者たちからすれば、これぞ世界に冠たるアメリカ民主義の誇示ということになるのだろう。

 

その長く険しい道程ではオバマ氏は単に弁舌、議論の才能だけでなく、どんな場合でも冷静さやバランスを失わないようにみえるリーダーとしての挙措を保ってみせた。

 

激しい攻撃を受けても、激高することなく、第三者のような態度をみせて、明快な口調で応じるのだ。

 

こうした態度を政治評論家のチャールズ・クラウトハマー氏は「オバマ氏はたとえ自分のすぐ背後で手投げ弾が破裂してもあわてないようだ」と評したほどだった。

 

ちなみにクラウトハマー氏は保守系であり、今回の選挙では終盤で自分のコラムにマケイン候補支持を明記した。

 

オバマ候補はつまり敵側も驚嘆するほどの冷静さを討論や演説で保てる天性の才を持つ政治家なのだ。

 

その才の発揮はパフォーマンスと呼べる域を超えて、天賦のカリスマという言葉を自然に連想させるほどの冴えだった。

 

後述するように、今回の選挙ではアメリカの大手メディアはこぞってオバマ氏支援へと傾いたが、記者たちが「陶酔」と皮肉られるほどのオバマびいき報道をした一因も、彼のこのへんの特徴にあったようだ。

 

(つづく)

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