バラク・オバマ次期米国大統領について雑誌『WILL』2009年1月号に書いた論文の続きを紹介します。

 

今回はオバマ氏の影の部分、とくに生まれや育ちをめぐる一連のナゾについて、です。

 

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オバマ氏のそうした影の部分に光をあててみよう。

 

第一はオバマ氏の出自に関する影である。

 

オバマ氏はケニア人の黒人留学生を父に、カンザス州出身の白人女性を母に、一九六一年八月、ハワイのホノルルで生まれたことは広く知られている。

 

だが同氏自身のフセインというミドルネームがイスラム教徒だった父親と祖父の両方に由来していることは、アメリカの大手メディアではまず触れられることがなかった。

 

もちろんイスラムという宗教やその信者がそれ自体、悪いことはなにもない。

 

ただ現在のアメリカではキリスト教徒が絶対多数であり、イスラムは往々にして非民主主義的な価値観や、最悪の場合、テロリズムと結びつけて考えられることも少なくない。

 

国政レベルでの選挙では候補者がイスラム教徒という例はまず皆無に近い。

 

アメリカの国政ではイスラム教徒は超少数派であり、イメージとしてもハンデを負わされるのだ。

 

オバマ氏の「フセイン」というミドルネームはケニア人のイスラム教徒だった祖父フセイン・オニャンゴ・オバマ氏からの継承だった。

 

祖父はケニアのルオ族で、村の長老だったという。

 

しかし今回の大統領選挙キャンペーンではそのミドルネームがマスコミに出ることは皆無に近かった。

 

共和党側の一部で「フセイン」を口にすれば、オバマ陣営からはただちに「人種や宗教の差別だ」という激しい反撃が浴びせられた。

 

その結果、オバマ氏の「フセイン」という名は事実上のタブーとなり、フルネームを記述することさえも禁忌となった。

 

もし共和党側の大統領候補にフセインというミドルネームを持つ政治家が出たとすれば、ニューヨーク・タイムズをはじめとする民主党びいきの大手メディアはその政治家のルーツを徹底して検証する調査報道を展開したことだろう。

 

だがオバマ氏に関してはその名前自体も、その名の由来も「影」となり、光をあてられることはなかった。

 

オバマ氏自身は一九九五年に出版して、全米ベストセラーとなった自叙伝『父からの夢』(日本語版タイトルは『マイ・ドリーム=バラク・オバマ自伝』)で自分のルーツについて詳しく書いていた。

 

その自伝によると、オバマ氏の父バラク・オバマ氏(オバマ氏は父の名前をそのまま継いだ)は息子の生後まもなく単身でハワイを離れ、アメリカ本土へ移ってしまう。

 

その理由はハーバード大学の博士課程での奨学金を得たものの、その金額が家族を養うには十分ではなかったことだという。

 

その結果、オバマ氏は母アン・ダンハムさんとハワイに残って暮らす。

 

だが父子や夫婦の愛はその後もずっと保たれた、という記述だった。

 

しかしオバマ氏のルーツなどをより批判的な立場から調査報道の形で詳しく追跡した『オバマ国家』(ジェローム・コルシ著)という書によると、オバマ氏の出自は本人の主張とは数多くの点で大きく異なるという。

 

二〇〇八年はじめに出版され、全米ベストセラーとなったこの書の著者コルシ氏は、ハーバード大学で政治学博士号を取得した学者である。

 

著作活動も活発で二〇〇四年には民主党大統領候補ジョン・ケリー氏のベトナム戦争へのかかわりを詳述した書を出して、話題となった。

 

保守派ではあるが共和党員ではないという人物である。

 

『オバマ国家』によると、オバマ氏の父親はハワイに留学してきたときはすでにケニアでケジアさんというケニア人女性と結婚し、子供二人がいて、ハワイでのオバマ氏の母親アンさんとの結婚は事実上の重婚だった。

 

しかもオバマ氏の父はアンさんと息子を捨てて、本土に渡ったのであり、ニューヨークの「社会調査ニュースクール」大学からは家族の生活費をも含めての奨学金を得ていたから、「家族を養えない」という主張は事実ではなかった、というのだ。

 

このへんの実態はイギリスの大手紙デーリーメールなどがケニアの現地取材を基に何回も詳しく報道している。

 

オバマ氏の父はアメリカで経済学を学んだ後、ケニアに戻るが、その前に別のアメリカ人白人女性のルース・ナイドサンドさんと結婚している。

 

アンさんと別れた後の結婚であり、ケニアにはルース新夫人を連れて帰った。

 

そしてケニアではルースさんと暮らしながら、なおケジアさんともきずなを保った。

 

父親のこのへんの複雑な女性や家族の関係はオバマ氏の自伝には出てこない。

 

父親はケニアでは満足のいく職を得られず、アルコール中毒となって、飲酒運転で事故を起こし死亡する。

 

事実上の自殺だとされた。

 

一九八二年のことである。

 

このへんの状況も『オバマ国家』やデーリーメールその他で詳しく調査されている。

 

だがオバマ氏自身は自伝では父親の死を単に事故死と記していた。

 

さらにオバマ氏の少年時代のインドネシアでの生活がミステリアスである。

 

母のアンさんはオバマ氏の誕生から四年後の一九六五年にはやはりハワイでインドネシアからの留学生だったロロ・ソエトロ氏と再婚した。

 

ちなみにアンさんはハワイ大学で人類学を専攻していた。

 

一九六八年にはオバマ氏は母に連れられ、インドネシアに移住する。

 

継父となったソエトロ氏は当時、誕生したばかりのスハルト政権の政策で他のインドネシア留学生たちとともに本国へ戻されたからだった。

 

アメリカで地質学などを学んでいた同氏は、他のインドネシア人同様、イスラム教徒だった。

 

 オバマ氏の自伝によると、オバマ母子はソエトロ氏とともにジャカルタ地区に一九六八年から一九七一年まで住んだ。

 

 オバマ氏が六歳から十歳の期間だった。

 

 この間にアンさんはソエトロ氏の子供を七〇年に出産した。

 

 オバマ氏の父親違いの妹となるマヤ・ソエトロさんだった。

 

 このインドネシア時代のオバマ氏の生活や教育にいまなおベールに包まれた部分が多い。

 

 一つにはオバマ氏の滞在期間だが、マヤさんの後の証言では六八年から七三年までだという。

 

 オバマ氏自身が述べた期間より二年も長いのだ。

 

 自伝ではインドネシアでのオバマ少年はジャカルタの私立のカトリック系インターナショナル・スクールへ入れられたことになっている。

 

 だがインドネシア側での記録や証言では、次のような情報も続出していたという。

 

「当時、バリー・ソエトロと呼ばれたオバマ少年は二年ほどは地元の公立学校に通い、イスラム教に基づく教育を受け、イスラム聖典のコーランを読誦させられていた」

 

「オバマ少年は一時はイスラム教を集中的に教えるマドラサにも通い、宗教教育を受けていた」

 

「インターナショナル・スクールの書類には『バリー・ソエトロはホノルルで生まれたインドネシア国籍の少年である』という記述があった」

 

以上のような情報は今回の大統領選ではオバマ陣営からみな否定された。

 

なによりも強調されたのは「オバマ氏はキリスト教徒であり、イスラム教信者だったことはない」という点だった。

 

以上、述べてきた出自をめぐる曖昧さもオバマ氏自身の大統領としての資質とは無関係だともいえよう。

 

これほど数奇で複雑な生まれや育ちにもかかわらず、アメリカ社会で傑出した業績を積み重ねてきた事実はオバマ氏の才能と努力の成果だともいえよう。

 

またこれほど外国の要素が強い人物でも、大統領にまでなれる点にこそアメリカの国家や社会の開かれた偉大さがあるのだ、という議論も十分に成立するだろう。

 

しかしその一方、これほど異端な出自がアメリカ国民一般にとってはほとんどベールに包まれたまま選挙キャンペーンが戦われていった事実は、やはり奇異だといえる。

 

さらにはオバマ氏の生まれや育ちにつきまとう独特の「非アメリカ的」要因がその後のアメリカの政治指導者としての同氏にどれほどにじんできたのか、どうにも不明な部分が多く残ることも否定できない。

 

マケイン候補に票を投じたアメリカ有権者のなかには、この点に不安を述べる人たちも多かったのである。

 

(つづく)

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