WILL2009年1月号に載った記事の紹介の続きです。

 

この部分はオバマ氏と過激派勢力との年来のつながりについてです。

 

なおオバマ政権下で日米同盟がどうなるのか、などに突いて以下のサイトに書きました。

 

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/90/

 

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オバマ氏に関する第二の影の部分は同氏と過激派とのつながりである。

 

インドネシアからハワイに戻ったオバマ少年は母の両親のスタンレー・ダンハム氏とマデリンさんの夫妻に育てられ、ホノルルの名門私立校に通う。

 

優秀な成績をあげ、やがてはコロンビア大学、ハーバード大法科大学院と進んでいく。

 

しかしオバマ氏は大学を卒業してすぐの一九八三年ごろからシカゴの黒人地区で「コミュニティー・オーガナイザー」という職業に就くことを決める。

 

そして八五年には実際にその種の組織に加わった。この組織は当時、大統領だったレーガン氏の保守主義に反発し、「草の根レベルでの黒人の変革」を求めるリベラル政治色の濃い団体だった。

 

オバマ氏は具体的には貧しい黒人層の生活扶助や住宅改善、政治権利の拡大、そして政治組織づくりなどの活動に専念していたようだ。

 

八八年にはこの活動を一時、休んでハーバード大学のロースクールに学び、弁護士となって一九九一年にまたシカゴに戻った。

 

こういう軌跡のなかでオバマ氏はアメリカの一般の政治基準では明らかに過激とされる活動家たちとのきずなを築いていた。

 

その実態の一角が大統領選の過程で少しずつ表面に出たのだった。

 

まず多くの人を驚かせたのは一九七〇年代に一連の爆破を実行した極左テロ組織「ウエザーマン」の元幹部たちとの交流である。

 

都市ゲリラ戦による革命を唱える同組織の創設に加わったビル・エアーズ氏とその妻のバーナデット・ドーン女史との連帯だった。

 

この夫妻は国防総省や連邦議会、主要銀行などの爆破の犯行に加わり、指名手配されて地下に長年、潜伏していた。

 

だがその後、捜査側の証拠入手の不備が判明したり、一定期間の服役により一応の社会復帰を果たしていた。

 

だがエアーズ氏は九・一一同時テロの直後、自分たちの過去のテロ活動について問われ、「もっと破壊しなかったことが悔やまれる」と述べていた。

 

オバマ氏はこの夫妻と九〇年代から交流し、シカゴの地域活動やイリノイ州議会での政治活動について助言や支援を受けていた。エアーズ氏とはともに民間教育財団の役員を務めていた。

 

だがオバマ氏は最初、そのつながりを質問されると「近所に住む知り合いにすぎない」と答えていたのだった。

 

 シカゴの黒人キリスト教会のジェレマイア・ライト牧師にオバマ夫妻が二十年間も信仰上の指導を受けてきた事実も一時は大きな話題となった。

 

 ライト牧師は「アメリカに呪いあれ!」と叫ぶ過激派の黒人活動家である。

 

 白人主体の社会への憎悪さえみせて、「アメリカ政府がエイズをつくりだした」などとも唱えてきた。

 

 オバマ氏はこの牧師の説教を毎週受けて、結婚式でも司宰を頼んでいた。

 

 だがこのつながりを問われると、オバマ氏は「もう一切の関係を断った」と宣言したのだった。

 

 もっと若い世代ではオバマ選対のブログの責任者のサム・グラハムフェルセン氏の例もあった。

 

 同氏はハーバード大学を二〇〇三年に卒業したばかりの青年だが、社会主義やカール・マルクスへの信奉を明白にした言論や政治の活動を続けてきた。

 

 自室にいつも旧ソ連共産党の旗を掲げ、ノーム・チョムスキー氏の弟子をも自称する左派の活動家である。

 

 全米各州で有権者登録の不正事件を起こした「共同社会組織即時改革協会」(ACORN)という民主党系左派の団体にオバマ氏がかつて密着していたことも、共和党側から非難された。

 

 この組織は黒人など少数民族や低所得層の住宅融資や福祉拡大に努める一方、各種選挙での民主党候補支援のため、少数民族などの有権者登録活動を推進してきた。

 

今回もオバマ支持を鮮明にして全米で合計百三十万人の有権者登録に成功したと発表していた。

 

ところが選挙戦後半にペンシルベニア州でACORNが登録を申請させた有権者二十五万のうち六万近くが手続きの不備や不正を理由に却下されるなど、各地での不正が明るみに出た。

 

しかもオバマ氏自身がかつてACORNの顧問弁護士を務めていた事実も判明したのだった。(つづく)

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