【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久


 

 ■ニッポン的マフィアとその父

 

 日本のドキュメンタリー映画「TOKYO JOE」をみた。

 

 所用で東京に一時、戻った際、ちょうど封切り後まもない時期だったのだ。

 

 この映画は「マフィアを売った男」という副題が示すように、シカゴの本格マフィアの大幹部となったケン・エトーという日系米人2世のスリルに満ちた人生を追っていた。

 

 裏社会ではトーキョー・ジョーと呼ばれたエトー氏は賭博開帳罪などで訴追され、マフィア側から裏切りを疑われ、殺し屋に3発の銃弾を頭に撃ち込まれる。

 

 だが生き延び、マフィアへの報復に出るという物語である。このコラムでも今年5月に取り上げた。

 

 上映中の新宿の映画館はほぼ満員だった。

 

 流れる言葉はすべて英語、字幕だけが日本語という小栗謙一監督の手法は斬新で、観客にも熱気が感じられた。

 

 そんな情景に、ついうれしくなった。

 

 この映画の企画の原案が自分だったからだ。

 

 1983年2月にエトー氏が銃撃された後すぐシカゴなどに出向き、彼の軌跡を調べ「遥(はる)かなニッポン」というノンフィクションの書の主要な一章としたのだった。

 

 だから当時、「エトーは犯罪者とはいえマフィア内部では忠誠とか献身という古典的なニッポンの資質を発揮しました」などと私に告げたシカゴ地検の特捜検事が、二十数年後のいま、スクリーン上での回想で同じ趣旨を語るシーンには思わず身を乗り出した。

 

 忠誠を保った相手に裏切られたのだから、もう捜査当局に全面協力することが自然だと検事は説き、エトー氏の全証言を得たのだった。

 

 彼の波乱の一生は日本とアメリカの交流の物語であり、父と子の離反の物語でもあった。

 

 だから映画でも父の衛藤衛(まもる)氏にかなりの光が当てられているのを知ってほっとした。

 

 エトー氏の足跡をたどりロサンゼルスで会った衛氏はすでに101歳だった。

 

 だがカクシャクなどという表現が吹き飛ぶほど活気にあふれた人物だった。

 

 4時間以上の懐旧談で彼が最も熱をこめたのは日露戦争の体験だった。

 

 21歳の衛氏は九州の小倉の第12師団の兵士として出征し、遼陽の会戦に加わった。

 

 「ひどい目にまあ遭いましたですよ。連隊長がやられ、大隊長も中隊長もやられ、みーんなやられてしまった-」

 

 砲兵連隊の司令部で戦闘詳報を書く任務の衛氏はロシア軍の猛攻を迫真の描写で語った。

 

 そんな雄々しい明治を絵にしたような厳格な日本人の米国生まれの息子がマフィアとなる。

 

 その原因の一端は衛氏自身にもあったのだという。

 

 「一家みんなでカリフォルニアの農場で働いていたとき、私が14歳のケンを勘当したのです。非常にそれを後悔しております」

 

 長男のケンが仕事の手を抜き、弟たちを再三いじめるので「出ていってしまえ!」とどなると、本当に出ていってしまった。

 

 日本ではその時代の子供は親から出ていけといわれても、出てはいかなかったのだという。

 

 日露戦争の日本がマフィアのアメリカへとつながる衛藤家の日米系譜では、父と子の葛藤(かっとう)は両国の慣習の差異で決定的になったようだ。

 

 エトー氏の証言でマフィアの最高幹部ら計15人が逮捕され、有罪とされたことも映画で初めて知った。

 

 なんとそこにはシカゴを抱えるイリノイ州の知事もいた。

 

 そしていま現職の同州知事が汚職容疑で摘発されたのだから、この映画は米国の最も深い負の流れをくみ上げたのだとも読めそうである。

 

 (こもり よしひさ)

 

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