オバマ新政権の誕生でアメリカの変化が語られています。

 

アメリカ外交の変化も「一国主義が多国主義になる」とか「ハード・パワーがソフト・パワーに変わる」という指摘が日本の識者やメディアの間でも盛んです。

 

しかし現実はどうなのか。

 

どうもそんな簡単で短絡なことではないようです。

 

そのへんの論評を産経新聞に書きました。

 

なお経済不況の国際的影響に対するアメリカの認識については以下のサイトに詳しい報告を書きました。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/92/

 

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【緯度経度】ワシントン・古森義久 二者択一ではない米外交

1月24日8時4分配信 産経新聞


 オバマ政権のデビューで、米国の基本的な価値観も対外政策もすべて変わったかのような論評が多くなった。
 
 なにからなにまでブッシュ政権とは白と黒ほど異なる価値観や政策が打ち出される構図までが語られる。

 だが現実はかなり異なるようだ。
 
 オバマ大統領はブッシュ政権、さらには、その前の歴代政権が保持した米国伝統の規範の多くを堅固に広げるという姿勢を示した。
 
 就任演説で全世界に対して「個人の権利」や「すべての人間の平等と自由」、つまり民主主義の広がりを期待する意図を強調した。
 
 米国民に「忠誠と愛国心」を「真実の価値観」として強く訴えた。このへんはブッシュ政権と変わりはないようなのだ。

 だが外交の具体的な手法となると、オバマ政権はブッシュ政権とは180度も異なるアプローチをとる展望を描く人たちがなお少なくない。
 
 たとえば「一国主義から多国主義へ」「米国主体から国際協調へ」というような逆転の展望である。

 この点についてオバマ外交を体現していくヒラリー・クリントン国務長官は「世界の主要な問題への対処は米国一国だけでできないにしても、米国抜きでもできはしない」と断言した。
 
 米国の特別な役割や能力への自明の自認だといえよう。
 
 国際協調が大切だから米国主導にはしないという右か左かの選択ではないということなのだ。

 米国外交のこの点での現実をうまく総括したのはブッシュ政権の国家安全保障担当の大統領補佐官だったスティーブ・ハドレー氏の演説だった。
 
 1月7日、ブッシュ外交8年を回顧するワシントンでの演説である。
 
 ハドレー氏はブッシュ前大統領が外交政策面で常に心がけたこととして「間違った人工の選択の回避」をあげた。
 
 「人工の選択」とは本来、二者択一の選択では決してないのに、いかにもどちらかを選ばねばならないかのような提示だという。

 ハドレー氏はその実例の第1として「現実主義の外交か、理想主義の外交か」をあげた。
 
 米国の外交は理念と実益の両方を追求すべきであり、現実と理想はいつも混在し並存している。

 テロの防止と民主主義の拡大は一見、現実と理想にみえるかもしれないが、いずれも米国の外交政策の主目標であり、両者は相互に衝突はしない。
 
 一方を選べば、他方が排されるという選択ではないというのだ。

 第2の「人工の選択」としては「一国主義か、多国主義か」があげられた。
 
 一国主義のレッテルを張られたブッシュ大統領も、米国だけで主要な国際紛争を解決することは難しく、同盟諸国や友好諸国と連携する方が好ましいと考えていた。
 
 だが国際連携はそれ自体が目的ではなく、望ましい結果を生まねばならない。
 
 自国の安全か、国際協調か、となれば、前者を選ぶのは主権国家の責任者としてごく当然だろう。
 
 だが普通は両者が相互に排除しあうわけではない、というのだった。

 第3は「ハード・パワーか、ソフト・パワーか」の選択だという。
 
 「軍事か、外交か」とも言い換えられるが、これまた二者択一する必要がない。
 
 選択は「人工」だというのだ。
 
 軍事、外交、経済などの力はみな総合的国力の一部であり、それぞれが自国の利害を対外的に保護し、拡大する際の道具である。ハード・パワーとソフト・パワーは相互に効果を高める相乗の関係にあるというのだ。

 第4は「人気か、原則か」の選択だという。
 
 超大国の米国大統領の政策決定は米国民だけでなく世界各国の国民から注視される。
 
 米国の自由と正義の原則は他の諸国の見解や野心とぶつかることも多い。
 
 だから米国が自国の原則に従って動けば、他の諸国の反発も強くなりうる。
 
 だが米国は自国の超重要な原則を他国内の人気のために曲げることはできない、というのだった。

 要するに白か黒かにみえる「選択」も、実は灰色を含んでの度合いやバランスの考慮なのだということであろう。
 
(古森義久)