世界のすべての国が保有し、行使する権利を持つ集団的自衛権、国連がその成り立ちの基盤とする集団的自衛権。世界の平和と安全は各国が協力して守ろうという精神にもつながる集団的自衛権。
主権国家であれば自明の権利であるこの集団的自衛の権利(あくまで権利であって、義務ではありません)をわが日本だけは「保有はしているが行使はできない」と自縛して、孤立と異端の道を選ぶ。頭だけは一国平和主義の洞窟につっこんで、胴体や尻は結局はアメリカその他との「集団自衛」に安全をゆだねている。
麻生太郎首相も長い政治家としての活動のなかで、上記と同じ国際的な常識論は何度も主張してきた記録があります。それなのに首相になったとたん、別人のようになって、集団的自衛権の問題からは顔をそむけてきました。政治家としての良心を問いたい態度です。
その麻生首相もやっとまともな方向に動き出したのか。
そんなことを思わせる報道が本日の産経新聞に載りました。
以下にその記事をコピーして、議論や思考のカテとしたいと思います。
この記事が伝えるように、もう変更の基盤は整っているのです。残るは首相の政治的な決断だけです。
集団的自衛権行使 解釈変更 首相、本格検討へ
麻生太郎首相は23日、安倍晋三首相(当時)の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で座長を務めた柳井俊二元駐米大使と首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使を違憲とする現行の政府解釈について意見を聞いた。
北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射や、海上自衛隊による海賊対策の本格化を受け、集団的自衛権を行使できるように解釈変更が必要な状況が差し迫っていると判断したとみられる。
首相が解釈変更に踏み切れば、日米同盟の強化や国際貢献に向け、大きな一歩を踏み出すことになる。
会談には、柳沢協二官房副長官補(安全保障担当)も同席した。
柳井氏は安保法制懇の議論の経緯をたどりながら、解釈変更が喫緊のテーマであることを説明したという。
会談後、首相は記者団に対して、「安保法制懇の話がそのままになっているので話を聞いた。長い文章なので勉強しなければならないと思っている」と解釈変更に前向きな姿勢を示した。
再議論の必要性については、安保法制懇が平成20年6月に報告書を福田康夫首相(当時)に提出していることを踏まえ、「きちんとした答えは作られており、内容もまとまったものがある」と述べた。
安保法制懇の報告書は、(1)公海における米軍艦艇の防護(2)米国を狙った弾道ミサイルの迎撃(3)国際的な平和活動における武器使用(4)国連平和維持活動(PKO)での他国部隊の後方支援-の4類型について、集団的自衛権の行使を認めるなど政府解釈を変更すれば、現憲法のまま実施できると結論づけた。
しかし、福田首相(当時)は記者団に「(解釈を)変える話などしたことはない。報告は終わったわけだから完結した」と語り、解釈変更を否定。安保法制懇の報告書は封印されたままとなっていた。
一方、麻生首相は首相就任直後の20年9月26日、米ニューヨークで「基本的に解釈を変えるべきものだと言ってきた。大事な問題だ」と述べ、いったんは解釈変更に前向きな考えを表明したが、10月3日の参院本会議では「解釈について十分な議論が行われるべきだ」と答弁し、早急な変更には慎重な姿勢を示していた。
現行の集団的自衛権に関する政府解釈は、昭和47年10月の田中角栄内閣で「わが国は集団的自衛権を有しているとしても国権の発動としてこれを行使することは許されない」という政府見解で示された。
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【用語解説】集団的自衛権
同盟国など密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていなくても、自国への攻撃だとみなして実力で阻止する権利。国連憲章51条で、主権国家の「固有の権利」と規定され、国際法上の権利として広く認められている。
コメント
コメント一覧 (12)
日米安保を結んでいながら日本は何もしない(できない)という発想は理解に苦しみます。
だいたい、ソマリアの海賊問題一つあげてもおかしい限りです。海賊というのは国際社会全体への犯罪行為。日本船籍じゃないから何もできないというのも矛盾しまくりです。遭難し漂流している人間を助けるのと同様です。
こういう矛盾も集団的自衛権を「保有しているが行使できない」という時代遅れの発想が原因です。嘗ての高度成長期ならいざ知らず、現在は世界のGDPの10%を担う大国です。伴う義務も拡大しています。
※余談ですが、日米関係を補完する意味でも日英関係を拡大させていきたいと考えています(具体的な条約を含め)。欧州との連携にもつながり、中露への牽制にもなりえるのではないかと・・・。
>変更の基盤は整っているのです。残るは首相の政治的な決断だけです。
国民感情や意識も含めて「これ以上は望めない」絶好のチャンスだと思います。堂々とやれば国民は支持し、自民党の支持率も上がると思ってます。
対馬の惨状(自衛隊,韓国人)についての最新レポートが西村真悟議員のHPに出ています。
陸海空の自衛隊は駐屯しているが、人数はごく僅かで、海上自衛隊は船を持たず,航空自衛隊は航空機・ヘリも持たず,陸上自衛隊は小銃の弾丸しかもって居ないそうです。もう「誰でも持っていってくれ」と言わんばかりの状況です。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi
ご指摘のとおりですね。
日本が集団的自衛権を行使すべきだと自主的に判断するときは行使ができる、という他国なみにすることは、たとえ日米安保破棄を唱える立場からでも納得できるはずです。
国連の平和維持活動での他国の部隊との連携には、その権利が大前提です。
中国の部隊とともに、アメリカ帝国主義と戦うというようなオプションを選んでも、集団的自衛権は必要になりますね。
北朝鮮が日本列島の方向に向かってミサイルを撃ってくるという事態が現実に近くなった現在、集団的自衛権を行使できないと最初から自分の手足を縛っている現状の欠陥が最もわかりやすい状態が生まれた、と思います。
ですからこのブログでも以前に麻生首相に単なる首相声明で「日本は本来、保有している集団的自衛権を必要に応じて行使する権利を留保する」と宣言することを提唱したわけです。
初めまして。
対馬の状況はこの集団的自衛権の問題とはやや異なるようですが、自国の安全保障への意識欠落という点では根は同じかもしれませんね。
仮に日本が日米安保を双務的なものにシフトしていこうとまとまったとして、
民主党政権のアメリカはどのような態度になるでしょうか?
アメリカの特にリベラル側の世論は、いまだに、日本が自立した防衛力を
持つことを警戒しているように見られるのですが。
まぁ、これで今回断られれば、今後何もしなくても言い訳は立つわけですけども
しかし北朝鮮問題などの直接の脅威が迫っている日本としては、アメリカとの
一体的な安保体制なしに防衛の絵は描きたくないですね。
どうもその日本のジレンマがアメリカにはいまだ理解されてないように思います。
今回のテポドンがサンフランシスコ沖あたりに落ちていればまだ違ったんでしょうが。
「国連がその成り立ちの基盤とする集団的自衛権」という概念が理解できるなら、今の日本は常任理事国を目指すことは論理矛盾しているだけでなく、国連(連合国)に参加する要件すら持っていないことになりますね。
日本外交が国連主義を一つの柱にしていることに、何の論理矛盾を感じない、政治家、官僚の知性を疑いますね。
国際社会や国連が、幼稚園の遊戯の場と同じであるなら、楽しい事ばかりしていればいいでしょうが、どこをどう考えてもありえませんね。
これも憲法前文のあの文言に精神思考を徹底的に骨抜きにされているのだと思いますね。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」
世界はどこも平和を愛し、公正と信義に満ちているということだそうですね。言外に日本(ドイツなどの敗戦国)だけが悪いことをしなければ平和を保てるのだということです。
GHQの民生局が一週間で原文を作ったのですが、そこまで能天気なこと
を言えたものと感心します。自信に満ちた青年国家アメリカの面目躍如としたところでしょうか。
このような能天気な世界認識がソ連を誤認し、共産侵略戦争で世界中で大きな災厄を招いた原因の一つでもあるでしょう。
古森さんの「国連幻想」は拝読いたしましたが、すべての国会議員や外務官僚が基本知識とすべきことです。
アメリカ側にご指摘の日本不信勢力が存在することは確かですが、いまの状況では日本が日米同盟の枠内で安全保障の活動、軍事面での活動を強めること――たとえば集団的自衛権の解禁、アフガニスタンへの自衛隊派遣、アジアでの海上安全保障へのより実質的な参加など――にはオバマ政権でも賛成すると思います。
日本が日米同盟の枠を超えそうな動きには、オバマ政権は警戒し、反対するでしょうね。
国連安保理は戦闘の危険をもともな平和維持活動などを発動する立場にあります。
一方、日本は戦闘の危険をともなう活動は一切、忌避します。そんな特殊が国が安保理常任メンバーとなれば、自国が絶対にできないこと、しないことを他国に向かってその実行を命じるという、偽善きわまりない構図ができあがるわけです。