広島市長の秋葉忠利氏が以下のような動きをとったことが30日、報道されました。

田母神氏の「原爆の日」講演に広島市長が「待った」

田母神俊雄・前航空幕僚長 

賞論文への投稿が発端で更迭された元航空幕僚長、田母神俊雄氏を原爆記念日(8月6日)に広島市に招き開催予定の講演会について、同市の秋葉忠利市長が、被爆者や遺族の悲しみを増す恐れがあるとして日程変更を29日、文書で要請した。

 主催者側は予定通り実施する構えだが今後、憲法の「集会の自由」が脅かされ、「言論封殺」と批判された“田母神事件”が再燃する恐れも出てきた。

 この講演会は日本会議広島などが計画した「ヒロシマの平和を疑う~田母神俊雄氏が語る、広島発真の平和メッセージ」。

 

 5月に中国の核実験の被害をテーマに講演会を開催。

 

 日本が唯一の被爆国でなく、共産圏の核に日本の反核団体が寛容であることへの疑問を踏まえ、いかに核の惨禍を回避するか--として同氏の講演会を企画したという。

 

 秋葉市長名で田母神氏らに届いた文書では「貴殿が何時何処で何を発言するかは自由で当然の権利」としながらも、(1)8月6日は市内が慰霊と世界の恒久平和への祈りで包まれる(2)田母神氏がこうした演題で講演するのは被爆者や遺族の悲しみを増す結果となりかねない(3)原爆記念日の意味は表現の自由と同様に重要-などを市の立場として日程変更を検討するよう求めた。

 

 主催者側は、これまでも講演会のチラシ配布を市の外郭団体に依頼したが、市の政策方針に反するなどとして断られた、としており「私達は市長以上に核廃絶を願っている。北朝鮮や中国の核実験が問題になるなか、真の平和のためどうすればいいのか、という趣旨の講演会がなぜふさわしくないのか全く理解できない」と話している。

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今回の騒ぎの背後には秋葉市長が長年、核廃絶を主張する際、

中国や北朝鮮の核兵器を非難せず、日本の同盟国のアメリカの核だけを廃絶の対象にあげてきたという経緯があります。

 

秋葉氏に限らず、日本の左翼の反核運動には年来、政治的な偏りが顕著でした。

 

このことを私は7年ほど前にも書きました。

           

 

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【緯度経度】「北」には触れぬ“反核運動” /ワシントン 古森義久
2002年12月29日 産経新聞 東京朝刊 国際面


               (前半略)

 核兵器の増強や拡散に反対ならば、従来の反核派からもイラクや北朝鮮への抗議の声があがってしかるべきだろう。
 
 だが静かなのである。

 日本でも反核派はなぜいま静かなのだろう。
 
 すぐ隣の北朝鮮の政権が核兵器の開発をすでに始めたぞと宣言しているのに「核の廃絶を!」というかつて聞き慣れた声はまったく聞こえてこない。
 
 ここでまた日本の反核運動について改めて考えさせられる。

 日本はいうまでもなく核兵器の攻撃を正面から受けた唯一の国である。
 
 広島や長崎の人間的悲劇はないがしろにされてはならない。
 
 その体験が核兵器の絶対的な忌避につながるのも自然である。

 だがその一方、日本の反核運動の一部がきわめて政治的動機で展開されてきた歴史も否定できない。
 
 冷戦時代、ソ連の共産主義体制との連帯を求める勢力が西側陣営の核だけを非難し、ソ連や中国の核は平和維持のためだからよいとして許容してきたのだ。

 原水爆を禁じようとする日本での運動が共産党系、社会党系に分かれて激しく対立してきたのも、その例証である。

 冷戦中にはソ連当局がひそかに西側自由陣営の反核運動をあおっていた事実もいまでは明らかとなった。
 
 一九八〇年代には北朝鮮が日本の元赤軍派を使ってヨーロッパでの反核運動に加わり、日本向けの反核宣伝文書を作っていたことも関係者により暴露されている。
 
 そもそも一般市民による反核運動というのはソ連とか中国、さらには北朝鮮という全体主義国家では起きえない。
 
 起きても瞬時に弾圧される。日本や米国のような自由の国でしか展開されないのだ。
 
 全体主義国にはそもそも世論が政府を動かすメカニズムもない。
 
 だから反核のほこ先は自由主義国政府の核兵器に対してのみ効果を発揮してきた。

 東西冷戦中、反核運動には構造的にこういう偏りがあった。
 
 だが冷戦がとっくに終わったいまも日本の反核運動は同盟国の米国の核には抗議しても、脅威たりうる北朝鮮や中国の核には奇妙なほどの沈黙を保つ。
 
 運動の歴史的偏りのせいだとは思いたくない。
 
 だが秋葉忠利広島市長のワシントンでの演説には、ついそうした日本の反核の政治的な偏りを思わされた。

 秋葉氏は十月十七日、ワシントンのアメリカン大学でのセミナーで「広がる核の脅威」と題するスピーチをして、もっぱら米国の核政策だけを非難した。
 
 「米国政府は核軍縮への国際社会の努力に逆行している」と糾弾したのだ。

 ところがそのつい前日の十月十六日、北朝鮮政権が米朝核合意に違反する形でウラン濃縮による核兵器開発をひそかに進めていたことを自ら認めていた。
 
 その報道が流れ、米国でも日本でも、さらには国際社会全体でも「北朝鮮の核の脅威」が深刻に語られていたのだ。
 
 そうした国際環境のなかでの演説でも秋葉氏は中国やロシアの核兵器はもちろんのこと、北朝鮮の核になにも触れなかった。
 
 その内容の偏向には聴衆から「国際政治の現実への理解が足りないのではないか」という質問も出たほどという。

 北朝鮮の核が世界を揺さぶる現在、秋葉氏らに改めて問うてみたい。

 日本の反核運動はなぜ北朝鮮の核兵器には反対を表明しないのですか、と。
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 そして私の記事が出た10日ほど後に産経新聞の一面コラム「産経抄」に以下のような記述が出ました。
 
 
【産経抄】
2003年01月09日 産経新聞 東京朝刊 1面

 脅しか、はったりか、はたまた現実なのか、北朝鮮が“核のボート”を揺さぶり続けている。
 
 国際原子力機関(IAEA)は北の核計画凍結を決議し、日米韓も共同声明を出したが、どうにも理解に苦しむことがある 
 
 ▼ほかならぬ日本でこれまで盛んに反核運動を推進してきた人たちがいた。かれらが一向に声を発しない。
 
 昨年の夏、広島と長崎で開かれた原水爆禁止大会は、相変わらず二つに分裂したままだった。
 
 原水協(共産党系)と原水禁(旧総評系)とだが、そのいずれも北朝鮮の核に対してウンでもスンでもない 
 
 ▼ワシントン古森義久記者のリポートによると、昨年十月十七日、秋葉忠利・広島市長がアメリカン大学で「広がる核の脅威」と題するスピーチをした。
 
 しかし市長はもっぱら米国の核政策だけを非難し、中露の核兵器はもちろん、北朝鮮の核には何も触れなかったそうだ 
 
 ▼反核運動をあおってきたはずの進歩的文化人諸氏も、北朝鮮には鳴りをひそめている。
 
 ノーベル賞作家・大江健三郎氏もそのお一人だ。
 
 これは谷沢永一氏のご指摘だが、平成七年元日の朝日新聞上で大江氏は加藤周一氏と対談し次のように語っていた 
 
 ▼「戦後五十年の出発点の、日本人がなめた苦い経験を思想化しようとすれば、日本が取り組むべき中心の課題は核軍縮だと思います。そのための国際的な委員会を作れば、広島、長崎の被爆体験に立って有効な発言ができるはずです」 
 
 ▼いまこそ北朝鮮に対して“有効な発言”をする時ではないか。
 
 昨年の春と秋、大江氏は同紙で外国文化人と往復書簡をかわし、確かに北の核について触れてはいる。
 
 ところがこれが例によってすこぶる難解であり、奥歯にものがはさまったような文章なのである。
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だいぶ古い話ではあります。
しかし秋葉忠利氏の言動ということで、いまここに再現しました。
 
少なくとも2002年の秋や冬の時点で秋葉氏が中国や北朝鮮の核兵器をはっきり名指しで非難したり、その廃絶を求めるということはありませんでした。
 
私が記事に書いたアメリカン大学での集いでも、秋葉氏は北朝鮮や中国の核兵器にはっきり言及することはありませんでした。
 

そのことを私が当時、産経新聞に書いたことに対し、その後、一部の左翼系ブログなどが「アメリカン大学の主催者側から古森に対し、『事実確認をしていない恣意的な報道』だと抗議を受け、謝罪を余儀なくされた」などと記していますが、まったくのデマです。

私はこの種の自分の記事に関してアメリカン大学の関係者から抗議その他、なにかの連絡や通報を受けたことは一度もありません。まして「謝罪を余儀なくされた」というのは捏造の記述です。抗議を受けないのになぜ謝罪を余儀なくされるのでしょうか。でっち上げもいいかげんにしてください、と申しておきます。