新聞というメディアのあり方を考えさせられる出来事がワシントンで起きました。
以下はその出来事について書いた7月25日の産経新聞の記事です。
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【緯度経度】ワシントン・古森義久 名門新聞の「サロン」とは
ワシントン・ポストといえば、周知のように米国の名門新聞である。
創刊以来130余年、独特の報道や言論で首都圏に君臨してきた。
政治的には民主党エスタブリッシュメントの中核として強大な影響力をも行使してきた。
1992年秋の大統領選でも民主党候補のビル・クリントン氏は当選するとすぐ、ワシントン・ポストの当時の社主キャサリーン・グラハム邸に参上していた。
次期大統領が初めてホワイトハウスと議会を訪れた直後にグラハム女史主催の祝賀大パーティーに駆けつける光景を目前にみて、この新聞の民主党コネクションの威力を実感したものだった。
だから同紙は同じ民主党オバマ政権との交流も親密のようである。
ところがこの7月、同じワシントン・ポストの社主が各方面に対し文字どおり平身低頭の形で謝罪をするという騒ぎが起きた。
皮肉にも民主党系の政治コネが鬼門となっていた。
同紙は6月末、グラハム女史の孫で現社主のキャサリーン・ウェイマス女史の名で「私の自宅での夕食会『ワシントン・ポスト・サロン』でオバマ政権や議会の要人たちと静かなオフレコの懇談をしませんか」という宣伝パンフレットを多数の企業や読者に配布した。
その懇談は同紙の編集長が司会し、記者たちも加わり、その場で現在の政府や議会のVIPたちと親しくなれるという触れ込みだった。
ところが参加者は懇談の食事を主催する形をとり、スポンサーとして1回の夕食会に2万5千ドル、合計11回の夕食会シリーズ全体ならば計25万ドルの支払いを求められていた。
第1回の懇談は7月21日に、いまホットな医療保険をテーマとし、ホワイトハウス高官らを招くと宣伝された。
だがこの試みは、ネット政治情報紙のポリティコや競争紙のワシントン・タイムズにただちに「ワシントン・ポストは報道機関として得た政府や議会への特別のアクセスを商品として売ろうとしている」と批判的に報道された。
ニューヨーク・タイムズも大々的な特集記事で「言論機関の誠実さを欠く商業行為」として激しく非難した。
ウォールストリート・ジャーナルも「新聞が影響力を切り売りするとき」という題の正面からの大批判論文を載せた。
その結果、ワシントン・ポストはあわてふためくようにウェイマス社主の名で「読者への書簡」を発表し、このサロン構想をやめることを宣言して、謝罪した。
同社主は「この構想は新聞社の情報源へのアクセスを売ることになり、報道機関としての独立性や誠実さを売り渡すことにもなるので浅慮だった」との反省の弁を述べた。
その謝罪はコラムや社告、投書の総括など形を変えて4回ほども同紙上で表明されたのだった。
その背景に同紙の経営不振があったことも否定はできないだろう。
今年の最初の3カ月間だけでも合計5400万ドルの赤字を出していたのだ。
だから赤字補填(ほてん)に有料サロンの開催を考えても、ふしぎはない。
しかも米国ではニューヨーク・タイムズを含む他の新聞もみな経営は苦しい。
そんななかで今回はアクセスやコネの商業化、金銭化に各新聞がいっせいに、まったくためらうことなく反対した。憲法で保障された言論の責務にともなう倫理や自立を説く主張も多かった。
肝心のワシントン・ポストも非難を浴びた後だとはいえ、「実は社主の許可は得ていない企画だった」という苦しい弁解をしてまで新聞の道義性を正面に出してきた。
米国でも日本でもこのところ情報伝達の手段という次元での「新聞か、インターネットか」という二者択一ふうの論議が盛んである。
だが今回のような商業性と独立性の境界をめぐる議論は新聞でしか起きえないだろう。
新聞が本来、果たすべき役割、新聞でしか果たせない役割を奇妙な形で強調することになった騒ぎだった。
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ワシントン・ポスト現社主のウェイマス女史の写真です。
コメント
コメント一覧 (21)
独立性というより
権益性と考えられなくも
ありません
いきなり失礼な発言を
いたしまして
の問題なんですな┐(´д`)┌ ヤレヤレ
産経新聞社自身は当然の事乍ら、古森記者に於かれましても
他山の石として自らの「ジャーナリズムに対する信念」を
省みられたく読者の一人として望む次第で有りますm(__)m
新聞の情報収集力は優秀で必要です、
それを分配する所に不公平や偏りを出していた、、。
すなわちクリントン持ち上げの不公平な情報を流したからクリントン新大統領がお礼を述べるような事がおこったのでしょう、、
新聞の不公平を寿司屋で例えると、隣同士の客でも値段が違ったり、上寿司でも客によりネタが違ったり、、そんな不公平を何十年も続けて、今の今までばれなかったということです。
ところが、、ネットやブログの発達でその不公平や偏向がどんどんばれてきたのです、
吉兆の使い回しや赤福の日付けの改ざんが日常に普遍的に行われていた事件と同じで、
新聞の経営者や記者は偏向や不公平が当たり前と思っていて罪悪感が今も無いのです、
しかし、顧客は不公平と偏向は好まないのです、それが客離れの原因と思います。
ネット情報より新聞の信頼性が格下に置かれる事の無いように、
公平な情報の分配を心がけていただきたいですね、それが新聞の本業と思います。
しかし、私の意見に賛同してくれる人が、北の朝日といわれる北海道新聞をとっています。
なぜ、そんなものをとるのかと聞くと、葬祭等の地元情報にくわしいからだそうです。
なるほど、それらに関しては朝毎読よりくわしいです。でも実につまらない新聞で朝日や毎日のような挑発的な刺激もありません。よくある左翼的な主張を藝もなくりひろげるだけです。
どこかの会社がテレビ欄だけを独自につくって無料でくばったせいで、その地域の新聞が打撃を受けたという情報も知って、新聞というものは言論だけで成り立ってるわけではないのだなと思いました。
なるほど、新聞とお寿司やさんのアナロジーはおもしろいですね
客としては隣の客がよりおいしいネタをより安い値段で食べているのを見たら、怒りますよね。
ただしインターネットには、近所のお寿司やさんからただでもらってきた使いふるしのネタしか出せないのだ、と書いたら、叱られますかね。
権益性というのは、利権のようなことを意味するのでしょうか。
他山の石ですか。
厳しいですね。
ご希望はわかりました。
私自身が売れる政府アクセスなんて、ゼロ、いや名前を出したら、かえってアクセスを絶たれるマイナス価値かも知れません。
新聞としての意見、主張は述べるのは自然です。
ただし報道との区分はつけるべきだと思います。
結局、新聞が顧客である読者やスポンサー(広告主)どころか
同業の業界関係者にまで批判される理由は新聞業界が既得権益に
胡座をかいて企業革新を怠ったツケが今になって回ってきた事
ですな。ニューヨークタイムズ然り読売新聞然り。勿論、
産経新聞ですら例外では有りません(^◇^;)
(ここで名指しされていない他紙の経営不振に依る悲惨さは
推して知るべしでしょう┐(´д`)┌ ヤレヤレ)
新聞記者としては結局はジャーナリズムの基本に返り
新聞記事の信頼性を地道に上げるしか方法は無く
この点はインターネットジャーナリズムも同じ事です。
結局は良い「新聞記事」という名の「情報商品」は
「情報の玄人」で有る優れた新聞記者とその協力者と
共に作るものなんですな。そういう事を意識すらしない
駄目新聞記者が多すぎるのが世界の今の新聞業界の深刻さ
だと言えます(--;) ウ
勿論、古森さん(古森記者)に於かれてはこのことを
一番痛感されてる事と思われますが。
的を射たご意見として謙虚に受け止めたいと思います。
そのこととはちょっとはずれるのですが、文中にある「インターネットジャーナリズム」というのは、日本の場合、具体的にどんな実体を指すのでしょうか。
好奇心からの質問です。
>小野の芋子 さん
>ただしインターネットには、近所のお寿司やさんからただでもらってきた使いふるしのネタしか出せないのだ、と書いたら、叱られますかね。
叱りませんですよ、新聞の新ネタにはだれもかないません、
人の真似をするのでなく、
自分なりの生き方をする人たちが社会に影響を与える時代に
なったのでしょう、、
新聞の記事にかぎらす、製造からサービス業、
公務員業に至るまで、より本質が求められてるのように思います、
団塊の世代のが中心の時代とはずいぶん違います。
この数年間でころりと価値観が変化したように思います。
いきなり失礼な言葉を書いてしまい
失礼しました。
上の記事を読ませていただく限り
クオリティイペーパーであった
アメリカの新聞ですら経営不振であり
新聞という情報媒体の存続が難しく
なる現実です。
大国の利権の中で生き延びるためには
優しい綺麗な手段では木端微塵になる
という現実をほぼ知らないで育って
来ましたので、日本の主要メディア
の無菌なニュースを盲目に信じてきました
情報独占の弊害、これが事件の根幹に
あるのでは、と考えております
>そのこととはちょっとはずれるのですが、文中にある「インターネットジャーナリズム」というのは、日本の場合、具体的にどんな実体を指すのでしょうか。
私は主に既存のプロのジャーナリストがインターネットを
駆使して「読者」などから大量にもたらせるであろう
断片情報から必要な情報を抽出し、自らの経験と能力を
駆使してインターネット上に「ジャーナル」として伝える
事を想定しました。つまり、2ちゃんねるなどから出てくる
素人情報や稀にある「専門家情報」も多少影響するで
ありましょう。ブログも然り。
恐らく、既存のジャーナリズムの延長線上として
インターネットジャーナリズムが派生するものと
思われます。
なんせ多方向ですから、極端な偏向報道は淘汰されると
言う利点が有ります。反面、大衆迎合しやすいですが。
一方、新聞はインターネットと比べて大衆迎合しにくい
と言う利点がありますので優秀な新聞記者を大量に抱えた
新聞社はこれからも生き残って新聞を発行し続ける事でしょう。
淘汰されるのは自分の価値観を押しつけようとする駄目新聞
です。何処の新聞とは言いませんが'`,、( ´∀`) '`,、
(当たり前ですが産経新聞の事ではありません!! > 駄目)
それに新聞は電気も通信線も事実上要らないと言う
利点もありますしね(^o^)
×自らの経験と能力を
○自らの知識と経験と能力を
新聞記者に「知識」は必要不可欠ですね(^◇^;)
勿論、「取材」と言う概念もインターネット上で「ジャーナリズム」
を示す「ジャーナリスト」にもこれからも存在しつづけます。
そもそも取材しなければ得られない情報も少なくありませんから
'`,、( ´∀`) '`,、
極端な例ですが、殺人事件が起きて、マスコミ側がその報道のために取材をするとき、現場に行くとか、警察の担当者の話を聞くという従来の作業のかわりに、まずパソコンを開いて、インターネットで情報を集めるという作業をする場合を想定してみてください。
インターネット・ジャーナリズムって、雨の降る晴れた日というのような印象を受けるのが私の最初の反応でした。
>インターネット・ジャーナリズムって、雨の降る晴れた日というのような印象を受けるのが私の最初の反応でした。
殺人事件の様に特に真相が一番重要なものはインターネットは
余り役に立たないと思いますね。現場に行く前にインターネット
では本末転倒ですし、「現場取材はジャーナリズムの基本」だと
言う事を示していますね。
尤もインターネット情報の殆どは「取材密度」の薄い素人情報
で有りますが、新聞ですら「取材」をロクにしていない記事
が散見されるのは困ったものですね。某他紙の様に。
朝鮮半島の新聞の「歴史記事」に限って言えば取材そのものを
していませんね。尤も反日至上主義の所為も有りますが(^_^メ)
と言うことでインターネットジャーナリズムと言えども
取材をロクにしていないものは「商売」として成り立つ事
は有り得ますまい。結局はインターネット情報って
従来メディアの延長線上にある代物なんですな。
只、多方向コミュニケーションと言う画期的なものが
あるだけで。ラジオからテレビに変わっただけと。
「如何なるジャーナリストも現場取材は必要不可欠」だと。
ジャーナリストにとってインターネット情報の殆どは
「読者の反響そのものの明示」でしょうね(^◇^;)
それ自体は余り記事製作には役に立ちませんが(^_^;)
逆に言えばジャーナリストは「情報の枝狩り」に長けて
居る人でなければなりませんね(^o^)
ナマの情報に勝る情報なし。