古森義久によるエドウィン・ライシャワー氏のインタビュー記録をさらに紹介します。

いままた浮上した核兵器論議についての資料です。

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事実を認める時期が来た

 古森 私はあなたの駐日大使としての前任者のダグラス・マッカーサー氏と話す機会があったのですが、その時マッカーサー氏は、安保改定のための日米両国政府間の交渉プロセスでは、核兵器を積んでいるとみられるアメリカ艦艇のいわゆる“通過”とか“立ち寄り”は、まったく言及されなかった、と述べていました。

  安保改定の交渉が終わり、日米間の取り決めが成立した後、日本の野党の議員が国会でそれを持ち出し、政府がそれに答えねばならなくなり、そこで初めて通過などの問題が出されたようです。

 その意味では、アメリカ側はそれまでツンボさじきにおかれていた、ということになります。

 ライシャワー ええ、そうかも知れませんね。

 安保条約改定の交渉中、その点は多分、明確にされなかったのでしょう。

 文書にしてはっきり示すような形では、明確にされなかったことは、間違いありません。

 しかしそういうこと(アメリカの核装備艦艇の日本への入港や領海通過)をしてもさしつかえないというのが、確実にアメリカの軍部や政府の理解だったのです。

 だからこそ私が駐日大使だった間、この問題が日本の国会で取り上げられ、日本政府の代表が答弁に立って、通過や寄港は許されないのだという、われわれとは異なった解釈に沿った発言をし、「しかしわれわれはアメリカを信頼している」と述べるたびに、私は何度も、非常に恥かしい思いをさせられたのです。

 なぜなら日本側のそうした発言は、アメリカがなにか不正をしているような立場におくことになるからです。だから私は実際に、日本の外務大臣にこの問題について話をし、「どうかそういうふうには答弁しないで下さい」と申し入れました。

 古森 藤山外相にですか。

 ライシャワー いいえ、違います。 大平氏です。

 

 古森 当時の大平外相にそういうことはしないよう要請したわけですね。

 ライシャワー 「アメリカにとって大変な当惑となるから、どうか、そういう言い方で答弁しないで下さい。なぜならそれは事実がこうだというアメリカ側の了解とは違うからです」と申し入れたわけです。

 そして大平氏は日本政府の代表たちに違った表現で答弁させるようにすることを、とても手際よくやりました。

 そしてこの問題全体は非常に急速に消えてしまいました。

 それからまた数年後、この問題はふたたび浮上し、しばらくしてまた忘れられる、というふうに、私たちは同じ種類の問題を繰り返し経ているのです。

 古森 この問題はこんごも繰り返し繰り返し表面化するでしょうね。

 ライシャワー そう、繰り返し繰り返し表面化するかも知れませんね。

 でも、あのラロック証言をあなたは覚えていますか。

 1972年でしたかね。

 古森 74年です。

 ライシャワー 74年? ああそうでしたね。

 あの時は大変なさわぎだったけれども、すぐにおさまってしまいました。

 非常に早くさわぎはおさまってしまったのです。

 ということは、少なくとも私が解釈したところでは、日本の国民一般が「そんなことは常識ではないか。そんなことでさわぐのはまったくくだらない。日本の政治家たちはこんなことでさわぎを起こしているが、よく考えてみれば、ばかげている」と受けとったことを意味しています。

 それ以来ずっとそれは深刻な問題とはなっていません。

              <ここらあたりですでに日本にとっては大ニュースとなる発言が出てきているが、ライシャワー氏の口調にはなんの意気ごみも、とまどいもない。それまでと全然ペースの変わらない話しぶりで、質問に答えていく>

                                 (つづく)