鳩山政権の日米同盟に対する混迷ぶりは、なおますますその混乱の度合いを高めています。
 
 ことは日本の国と国民の安全保障です。
 
 主権国家の政府を代表する人間たちが、言葉の遊びを続けているのは、きわめて危険です。
 
 なぜ危険なのか。
 
 その理由や背景をとてもわかりやすく解説した論文を読みました。
 
 拓殖大学の渡辺利夫学長の一文です。
 
 ぜひとも読んでください。
 
 
【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 外交に「主義」を持ち込む危うさ
2009年11月18日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面


 

 ≪首脳会談に肝心なものなし≫

13日夕刻、鳩山首相はオバマ米大統領との首脳会談に臨んだが、成果は乏しかった。
 
 2050年までに日米の温室効果ガス排出量80%削減をめざす共同文書を発表し、さらに「“核兵器のない世界”に向けた日米共同ステートメント」を出しただけであった。
 
 2つが今世紀世界の最重要課題であることは否定さるべくもないが、いずれもまっとうに過ぎてコメントのしようもない。
 そもそもこれが2国間の首脳会談で論じられるべきテーマなのだろうか。
 
核を保有しない日本が“核のない世界を”と叫んだところで「紙つぶて」である。
 
 2050年における温室効果ガスの削減目標など総論は大いに結構だが、工程表を示すことなく40年先の目標を示されても信じる気にはなれない。
 
 いかにも安直な合意ではないか。
 
 せめてオバマ大統領の“顔をつぶさない”ための外交的儀礼だったのにちがいない。

差し迫った問題をなぜ提起しないのか。
 
 肝心な日本の国家安全保障への取り組みはどこへいってしまったのか。
 
 日米間の緊急課題は、米海兵隊普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設に関する、2006年5月の日米両政府合意の実現の可否である。
 
 合意の実現なくして米海兵隊のグアム移転、沖縄本島南部に立地する6施設の全面返還はない。

≪基地合意の見え透いた擬装≫

極東の軍事力抑止と沖縄の負担軽減をバランスさせ、この2つを同時に実現する方途は、目下のところ2006年の合意実現以外にはない。
 
 今回の首脳会談では日米閣僚級作業グループを設置して早期解決をめざすことが確認されたようだが、見え透いた「擬装」である。

アジア太平洋を舞台に展開される米軍再編は、兵器体系の進歩とこの地域の地政学の双方をにらんで長期をかけて練り上げられた計画である。 
 
 これに齟齬(そご)をきたす条件を米国がのむとは考えにくい。
 
 このことを鳩山首相や岡田外相が知らないはずもないのだが、国外・県外移転をうたったマニフェストを重視しなければ「民主」党の身が立たないということなのであろう。
 
 政党であるからにはみずからの「主義」を貫くことが悪いはずはない。

しかし、国家安全保障についてだけは「主義」は危うい。
 
 刻々と変化する国際政治環境には柔軟で自在な対応を欠かすことはできない。
 
 北朝鮮が核ミサイルの保有を宣言する時期がいずれやってこよう。
 
 中国が国産空母を完成して東シナ海の制海権を掌握する日もそう遠くはあるまい。

その時点で日米同盟が機能不全であれば、日本の外交的敗北は明らかである。
 
 外交は本来が変幻自在のものである。
 
 不変でなければならないのは、「外交とは国民の生命と財産を守護することだ」という原則のみである。
 
 この一点にさえ揺らぎがないのであれば、軟弱といわれようが強硬と難じられようが、変節漢だの卑怯(ひきょう)だの罵(ののし)られようとも動じない姿勢が外交には必要である。

国益を守るには他に選択肢なしとして劣勢の日本を日清戦争に向かわしめたのも、他日を期して三国干渉という屈辱に潔く甘んじたのも、陸奥宗光という同一の人物であった。
 
 「戦争外交」の全局を精細に描いた希代の名著が『蹇蹇録(けんけんろく)』であるが、全編を通じて情緒の陰りや「主義」など微塵(みじん)もない。
 
 国益を守るためにはいかなる外交戦略が必要か。
 
 それだけを徹底的に考え抜いた指導者が陸奥であった。
 
 陸奥の外交官人生は、外交の「原型」を示して余すところがない。

≪「同盟」を機能させるには≫

友邦をもたず戦われた孤絶の戦いが日清戦争であった。
 
 現在の日本は世界最大の覇権国家米国を同盟国として擁しているではないか。
 
 日本を取り巻く周辺国が挑戦的な外交を繰り返し、彼らが日本に照準を合わせているのは核兵器やミサイルである。
 
 専守防衛の日本が日米同盟を堅固なものとする努力を怠っていいはずがない。

同盟とは2国間のものでなければならない。
 
 日本が第2次大戦での敗北によって亡国の危機におとしめられたその淵源(えんげん)をたどっていけば、日英同盟の廃棄に行き着く。
 
 明治末の10年と大正期を通じて日本の安全保障を確たるものとしたのが日英同盟であった。
 
 第1次大戦後の覇権国家米国はもう1つの覇権国家日本の弱体化を目論(もくろ)み、そのためには日英同盟を廃棄に追い込むよりほかなしとして日英に迫ってこれに成功したのである。
 
 代わりに与えられたのが日英米仏から成る4国同盟であったが、この同盟が機能することは一度たりともなかった。

同盟とは本来が利害を共有する2国間のものである。
 
 日本の安全保障が完璧(かんぺき)に守られたのが、日英同盟と日米同盟の時代であったことがその何よりの証である。
 
 民主党政権は東アジア共同体の提唱にみられるごとく、多国間の安全保障をより優れたものだとみているようだが、日本の近現代史はそれが無効であることを教えている。(わたなべ としお)