私がこの場の前回のエントリーで紹介した台湾映画『海角七号』について産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘記者が産経新聞の1月21日のコラムでおもしろいエッセイを書いています。

 

 

『海角七号』が描いた台湾と日本との愛のきずなは韓国と日本の間ではどうなのだろうか、という一文です。

 

結論がすぐにわかってしまうような問題提起ですが、そこやさすが黒田記者、意外な事実や感想を知らせてくれます。

 

以下、そのエッセイを紹介します。

 

ヘッダー情報終了【朝刊 1面】
記事情報開始【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘 君想う、国境の北?

 

 正月に一時帰国したおり、東京で台湾映画『海角七号 君想う、国境の南』(8日付の本紙文化欄で紹介)を見た。
 台湾にいる知り合いが「台湾で大ヒットした映画なので、ぜひ見てほしい。台湾も韓国も日本の支配、統治を受けた歴史を持っているが、韓国でもあんな映画はあるのだろうか?」といってきたからだ。

 映画を見た感想は「実際にはあのような話は韓国の方がもっとあったはずだが、韓国ではこれまで映画やドラマとしてはなかったなあ…」というものだった。

 

 タイトル「海角七号」とは「岬町七番地」といった意味だ。

 

 1945年日本の敗戦で台湾を去った若い日本人教師が、引き揚げの船上で台湾に残した教え子の恋人にあてて書いた手紙が、数十年後に年老いた彼女のもとに届くという実話を素材にしている。

 

 「…恥辱と悔恨に耐え、僕が向かっているのは故郷なのか、それとも故郷を後にしているのか。僕は友子(台湾の教え子)を捨てたのではなく、泣く泣く手放したんだ。友子、無能な僕を許しておくれ。君は一生、僕の心の中にいるよ…」

 

 手紙はナレーションで語られるが、映画そのものはそうした“過去”はあくまで背景にすぎない。

 

 それよりも、たまたまその手紙を配達することになった郵便アルバイトの青年を主人公に、町おこしで計画された日本のロック歌手招待公演をめぐる日台友情物語という“現代”が中心になっている。

 

 そして、ミュージシャンの卵で地元バンドを結成して日本歌手を迎えるバイト青年と、日本側の女性企画スタッフ「友子」との泣き笑いの熱い恋。

 

 主人公の歌う「国境の南」が結構な主題曲になっていて、さらに日本時代の「野ばら」の歌が“共通言語”として双方の心をつなぐ。

 

 映画は海辺の町を舞台に風景も人びとも明るい。

 

 若者映画(?)なため、1945年の日台の“切ない別れ”に期待した観客は多少、不満かもしれない。

 

 映画には過去への恨みつらみは一切ない。

 

 年老いた「友子」も画面には登場しない。

 

 年寄りたちは「野ばら」で過去への郷愁をかもしている。

 

 若者たちはそうした年寄りにやさしい。

 

 人びとは町を挙げての“老壮青”の混成田舎バンドで日台協力イベントを成功させる。

 

 あくまで現実的で未来志向的なのだ。

 

 さて韓国だが、韓国でもこれまで日韓和解ドラマはあった。

 

 昨年、亡くなられた作家、韓雲史さん(学徒志願兵出身)の8・15記念テレビドラマ『波濤よ語れ』(1978年)など記憶に残る。

 

 在韓日本人残留孤児を素材に、やさしい韓国人たちに育てられた日本人少年が、後に日韓をつなぐ螺鈿(らでん)漆器の名匠になる。

 

 韓国の故郷「忠武」の螺鈿技術と、日本の故郷「輪島」の漆器の融合で和解を象徴させたものだった。

 

 日本側でもNHKのテレビドラマ『離別』(1992年、原作は飯尾憲士『ソウルの位牌』)や『海峡』(2007年)などが記憶に残る。

 

 『海峡』は1945年をはさんだ日韓の男女の別れと再会の話だった。

 

 今年は“日韓併合”から100年だという。

 

 韓国では年初から65年前に終わった「不幸な過去」への振り返りが盛んだ。

 

 台湾ではそんな発想はないだろう。

 

 日本では韓流ドラマの人気が続いているが、韓国で「君想う、国境の北」が描かれるのはいつだろうか。(ソウル支局長)

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