1975年4月30日はベトナム戦争が終わった日、南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)が陥落した日、です。
アメリカがかつて事実上の同盟国だった南ベトナムを完全に見捨てた日でもあります。
この日、北ベトナム軍の大部隊がサイゴンへと四方八方からなだれこみ、ベトナム共和国(南ベトナム)の政体を撃滅し、軍事勝利を飾った日でもあります。
それから35年、この2010年4月30日、アメリカのマスコミでもなおニューヨーク・タイムズなどは、そのための特集記事を載せています。
ワシントン地区には10数万のベトナム人たちが住んでいます。
みな旧南ベトナム側の人たちで、北ベトナムの共産主義革命を嫌って、故国を離れ、アメリカに定住した人たちです。
この種のベトナム人は全米では合計150万人近くも存在しますが、ワシントン地区では首都近郊のセブンコーナーズというところに「エデンセンター」というベトナム系専門のショッピングセンターを営んでいます。
広大で繁盛するエデンセンターにはいまも毎日、南ベトナムの国旗が掲揚されています。「深い悲しみと怒りの日」とも評されるサイゴン陥落の4月30日、この南ベトナム国旗は半旗とされました。
以下の写真はサイゴン陥落の前日、アメリカ大使館近くのフランス文化センタービル屋上から米軍へりが脱出する南ベトナムの人たちを避難させる光景です。
南ベトナム(ベトナム共和国)の国旗です。
コメント
コメント一覧 (23)
“Vietnam戦争終結”というと「空母甲板から落とされるヘリ」の画がどうしても浮かびます。
ヘリの駐機スペースさえも惜しんで避難民を運ぶ航空母艦はその後のボートピープルの出現を暗示していたのかも知れませんね。
そうですね。
ベトナム戦争の意味づけというのは戦後20年にもわたって続いたボートピープルの悲劇を加えて考えないと、まったくの不均衡になると思います。
もありましたね(^◇^;)
ベトナム難民を無視してベトナム戦争を語るのは無理筋
以外の何者でも有りませんな。
勝手な空想ですが、若しアメリカが日本を見捨てたら、
>北ベトナム軍の大部隊がサイゴンへと四方八方からなだれこみ
日本の近隣諸国が、日本の領土を狙って、四方八方からなだれこみ。というのが、僕の勝手な妄想で、終わってくれれば、良いのだが・・・。
隣国のカナダやオーストラリア、ニュージーランド、フランスなどヨーロッパなどを含めると、どれほどの人々の人生を変えてしまったんでしょうね。
サイゴン陥落で、それ以前の北からのソ連の脅威を、限りなく現実に近いものと感じました。 それと、東南アジアでの「ドミノ的共産化」が起こるのかなと。
70年代からの音楽界の反戦運動もベトナム戦争が原因でした。難民救済ライヴも各地で行われた事でベトナム戦争や世界の紛争を知り、ボランティア活動をする日本人を尊敬した事、戦争について真剣に悩んだ事を思い出しました。
今、日本人は国防意識を真剣に考え、自身の命運を預ける最高責任者を真剣に考える時期です。
love&Peace=友愛ではありません。
日本共産党の創設時メンバー徳田球一の生まれ故郷です。沖縄サミットも
名護でしたし、この度の基地問題で「蟻の一穴」にもなりそうな市長選挙
も名護が発端でした。日本をひっくり返す事ばかりですよ。(女子ゴルフ諸見里しのぶも名護出身です。)それで、小生は名護が良い意味で活性化・復興するかが日本再建の鍵になるのでは!と問題意識を持っております。
沖縄は南の国なので半年は夏の陽気です。(ベトナムほどではないかもしれませんが)日本本土のように雪が降ることも無いので季節に追われるような切迫感もありません。ですから理詰めで考えたり、先々の事を見通すような知的作業には向いていません。日々の憂さを晴らす芸能・文化に意識がシフトされます。感覚的・感情的になるので扇動されやすいとも言えます。
ベトナム戦争では米軍の前線基地だった沖縄ですが、保守の立場であの当時の事を記憶しようと努める人は少ないです。メディアが全面的に左傾斜していますので、新聞を読む人は自然に「アメリカーが悪かった!」と刷り込まれます。幸いにも、インターネットの普及により、古森さんのような第一線のジャーナリストとも直に情報交換が出来る環境ができたのが救いです。 名護市長選挙の結果が1600票弱という僅差だった事や、選挙運動自体が共産党まる抱えだった事を考えると、案外、名護の保守層もしっかりしているような気もします。ですから、保守層が勇気づけられ希望を持つような情報を沖縄に向けて発信し続けていただけると有り難いです。
「ベトナムの少女」(文春文庫)もおもしろいですよ。
米軍の爆撃で火傷を負い、戦後、共産政権から「米軍の被害者の代表」として対外宣伝を命じられていたベトナムの女性がキューバに送られ、やがて、そこから亡命するというドキュメンタリーです。
著者はデニス・チョン氏です。
徳田、宮城のご両人が名護出身とは知りませんでした。
含蓄深いですね。
ベトちゃん、ドクちゃんについてはどうでしょうかね? 枯葉剤の影響だと、ついこないだテレビのニュースで言ってましたが、本当だと思われます?
私の記憶ですと、このケースも完全な因果関係は証明されていないということだと思います。だから日本のマスコミでも「枯葉剤の影響だと思われる」とか、「みられる」という表現が大多数だったという記憶があります。
ただし、本当ではないとも断言できないでしょうね。
ベトナム戦争ではたとえば、1968年のテト攻勢でのフエの南ベトナム側民間人の大量虐殺など、どっちもどっちという側面が多いこと、認知しておく必要があると思います。
ベトナム戦争に関してはアメリカではあの戦争にはそれなりに大義があった、とみなす人が多いといえます。ただ方法は失敗だったという認識です。
たとえば2004年の大統領選挙で民主党の候補となったジョン・ケリー上院議員は有名なベトナム反戦活動家でしたが、2004年の時点ではベトナムで若き米軍将校として共産側に勇ましく戦いを挑み、名誉の負傷をして、勲章をもらったことを大きなプラスとして宣伝していました。ベトナムへのアメリカの軍事介入自体が悪とみなせば、絶対にとれない姿勢でした。
2008年の大統領選挙の共和党マケイン候補はご存知のように北ベトナムを爆撃中に撃墜されて捕虜となり、6年も拘束された経歴の人物です。彼の場合もそのことが「自国の大義のために苦労をした」という前向きな評価を一般から受けていました。
ベトナム戦争が音楽に与えた影響というのは、私自身、これまであまり意識したことのない領域でした。ご指摘、ありがとうございます。
アメリカのベトナム人は社会への同化が早く、成功例が多いといえます。
連邦議員も一人、いるし、政府高官も出ています。
ベト・ディンという法学者はブッシュ政権の司法省高官として9・11直後の「愛国者法」のほとんどを起草したといわれています。当時まだ30代でした。しかも9歳ぐらいで難民としてアメリカにきた経歴なのです。
自国の防衛をアメリカにゆだねるという点では南ベトナムと日本は共通していますね。
実はあの当時はまだ米国のベトナム撤退の意味を理解していませんでした。無念なことに、むしろ世間に渦巻くベトナム人民の勝利の宣伝の方に組していました。
その後、ボートピープルが多数出た後、日本定住のベトナム人に日本語のサポートをするNGOボランティアを少ししていました。その時の人達は権力者につながる人でもなく金持ちでもない普通の人ばかりで、ある青年はこれから国を取り戻す運動をするのだと語っていました。
それと平行してカンボジアのポルポト政権の地獄があり、共産主義革命の嘘と悲惨さがやっと実感できるようになっていきました。
これまでの共産国はどこも人間の平等を謳いながら実は共産党の一部が権力を独占し、極端な権力者と一般民の差別を正当化し、庶民を奴隷あるいは強制命令できる対象と貶めました。
北朝鮮や東ドイツのように国名に民主主義を謳いながら、全くの権力独裁でした。これは今も日本共産党が言っているような民主集中性という民主主義の偽装でしかなかったのです。
共産国で今まで民主的な議会はどこにも出現せず、議会もどきの偽装、茶番議会だけがありました。レーニンからがロシアの憲法制定議会を解散させたのでから民主議会などあるはずもありません。
今の中国の全国人民代表会議を多くの日本のマスコミが「日本における国会に当たる」と言うのですから、日本のジャーナリズムの病理性は本当に深いと思います。全人代のメンバーのどこに民主的に国民に選ばれた代表がいるのでしょうか。この違いは決定的に大きいものです。
さて、ベトナムですが本当に共産独裁から民主化を達成してほしいと願っています。あれほどの戦争をした結果の独裁ですから、東欧のような訳には行かないと思います。しかし、現在はアセアンの一員として自由経済を担っているのですから、政治も民主化の方向に合わせてほしいものです。
ベトナムの不運はフランスからの独立運動の中心人物が共産主義者であったことですね。それにホーチミンは人柄も慕われたようで、今だに悪く言う人はまず聞きません。
ベトナムの民主化に対しては日本も協力したいですね。安倍政権時の麻生外相が提唱した「自由と繁栄の弧」の構想にこれほど当てはまる国もありません。
こんばんは。
ご指摘の諸点、実感をもってうなずくことばかりです。
私の記者活動の軌跡もこれら諸点を身をもって学ぶことに尽きてきた、という感じさせします。
中国共産党の全人代を「日本の国会に相当」と評する慣行には、私も強い異議を覚えています。
あ、それと私には、北ベトナムが南ベトナムの領有権なり支配権なりを主張して南へ攻め込んで戦うということは、北朝鮮が民族の自主独立を掲げて、韓国へ攻め込んで米軍+韓国軍と戦うようなものだとも思っているのです。
北ベトナムが南へ侵攻することがどうして民族の独立などと言えたのか、北は北、南は南でよかったはずで、今にして思えばまったく不思議なことです。
> 古森様 こんばんは。
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> これまでの共産国はどこも人間の平等を謳いながら実は共産党の一部が権力を独占し、極端な権力者と一般民の差別を正当化し、庶民を奴隷あるいは強制命令できる対象と貶めました。
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こんにちは。
共産主義の歴史を見れば正に仰る通りで、彼らの主義主張を平和的に実行、成功した国家は一つもないのにも関わらず、そして粛正、弾圧、虐殺を体験した人々が共産主義者を糾弾するにも関わらず、未だこの日本で共産、社会主義を唱える狂信者がおり、またそれを信ずる一般国民がいるのが全く不思議でなりません。
しかも、戦後の日本で武器も持って戦争、戦闘をしたのは唯一、社会共産主義運動に関わった団塊の左翼だけですが、その口が保守や自衛隊を軍国主義と非難しているおかしな国に成り下がっています。
>平和的に実行、成功した国家は一つもないのにも関わらず、そして粛正、弾圧、虐殺を体験した人々が共産主義者を糾弾するにも関わらず、未だこの日本で共産、社会主義を唱える狂信者がおり、またそれを信ずる一般国民がいるのが全く不思議でなりません。
>
>しかも、戦後の日本で武器も持って戦争、戦闘をしたのは唯一、社会共産主義運動に関わった団塊の左翼だけですが、その口が保守や自衛隊を軍国主義と非難しているおかしな国に成り下がっています。
日本の言論状況は欧米に比べるとはるかに左翼的ですね。フランス共産党、社会党などでも、議会制民主主義を守ることを宣言し、早くからソ連とは違うことを宣伝していました。
そして、温家宝かだれか中国共産党の代表が国会演説した時には、フランス社会党でさえはっきりとボイコットをしました。
少なくとも左翼もマルクス主義から脱することを宣言し、社会民主主義あるいは第3の道を目指すべきです。従来の共産主義からはっきり決別宣言しなければ決して容認できるものではありません。
日本共産党もマルクス主義を放棄するとか、民主的議会を尊重するとかの宣言は今だだせていないのではないでしょうか。
平和の党、庶民の党と言って、国民を欺き、いくらかの女性達を取り込むこともしていますが、根本が誤っている限り、女性たちを救うためにも徹底的に批判しなけれければなりません。
一方のベトナムの場合にはアメリカ軍が本格的な軍事支援に乗り出したものの、ついにアメリカはなす術をなくし音を挙げて撤退してしまいました。この違いはどこからくるのであろうかと考え、それは両国の人的な財や統治システムのインフラなどの違いからくるのであろうと私なりに仮説を立てました。そして適当な資料もないのでウィキペディアに当たってみました。しかるところ、一方はフランスの統治を受けていたこと、他方は日本の統治を受けていた経緯があります。
この中での最大のポイントの一つはdpal451さんご指摘の「 ベトナムの不運はフランスからの独立運動の中心人物が共産主義者であったことですね。それにホーチミンは人柄も慕われたようで、今だに悪く言う人はまず聞きません。」にあるように思います。私に言わせれば、本来、この問題(朝鮮戦争の帰結とベトナム戦争との帰結の対比の研究)は本格的な研究テーマとしてアメリカ人あたりにしてもらう価値があるように思えます(日本人にはあまりにもデリケートな問題故に適さない)。いずれの戦争にもアメリカは大量の死傷者を出していますから、これら将兵のためにも、アメリカはこれらの評価と研究をしておく必要があるのではないでしょうか。もっとも、このことを私が知らないだけかも。遅まきながらコメントに加わりました。
適切かつ体験に基づくコメントありがとうございます。
朝鮮戦争とベトナム戦争の違いは、詳しい論考をあると思いますが、今ざっと考えますと、いくつかの要因の違いを指摘できると思います。
その一つは、朝鮮が日本との併合として発展していたこと、一方ベトナムはフランス植民地として分断政策と愚民施策がとられたことでしょうそれで知識を持った中間層が少なかったようです。それが南いベトナムでの民主政治が逆に腐敗社会となり共産軍のつけ入るすきを与えたと思われます。
朝鮮では戦前の教育レベルが高かったことで一定の意識の高い中間層が多かったと思います。それは朝鮮戦争後の韓国の発展に現れています。
また、朝鮮は韓国軍の中には日本軍の将校として活躍した白将軍や後に大統領となる朴正煕氏ら精鋭が中心にいて指揮していました。一方ベトナムでは、戦後日本軍は独立戦争のために残って協力した人がいたようでその対象は独立戦争を中心的に戦った共産党軍でした。
さらに、朝鮮戦争は国連軍という錦の御旗を立てることができましたが、ベトナム戦争ではそれができませんでした。それが関係するかよくわかりませんが、大義がはっきりしない戦争で、米国でも反戦運動、日本でも例のベ平連運動などで厭戦気分が高まりました。
また、共産軍の戦術は徹底したゲリラ戦ですね。これは本来国際法ではしてはならない戦法ですが、共産側の宣伝やまた日本でもベトナム人民が自主的に立ち上がった快挙のような嘘で褒めあげていました。しかしその裏ではベトコン(民族解放戦線)というようなものも中国軍が多数入っていたことを読んだことがあります。
そして、北のホーチミンの人格の高さと南の腐敗した権力の違いも徹底的に宣伝されていたように思います。
アメリカにしても情報戦に敗れ、国連をはじめ国際世論への外交工作に負けたようです。本来してはいけない制服を着ないゲリラでさえ、国際社会が非難することもなかったように思います。
結果的には共産側の頂点の時代であったのかも知れません。しかし、そんなベトナム戦争もボートピープルが出、隣国ポルポトの虐殺が知れ渡り、嘘と欺瞞と悲惨さが知れ渡るようになるのに時間は掛りませんでした。