日本では国際紛争への対応として、ソフトパワーという言葉がよく語られます。

 

 紛争のそもそもの核心である軍事や政治という要素は避けて、側面からのアプローチを唱える傾向です。

 

たとえば一大テロが起きても、そのテロ実行犯を摘発することよりも、「まず貧困を減らすことが肝心だ」として、経済援助を提唱するというような取り組みです。

 

 この点への辛辣な批判を紹介します。

 

 この一文は私がこのほど寄稿を始めたJBPress(日本ビジネスプレス)のサイトですべて読めます。私の寄稿のタイトルは「国際激流と日本」です。

 

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 [国際激流と日本] 

 

 日本が対外政策として唱えるソフトパワーというのは、オキシモーランです」

 

 ワシントンで最近、こんな指摘を聞き、ぎくりとした。 

 

 英語の「オキシモーラン(Oxymoron)」という言葉は矛盾語法という意味である。

 

 例えば「晴天の雨の日」とか「悲嘆の楽天主義者」というような撞着の表現を指す。

 

 つじつまの合わない、相反する言葉づかいだと思えばよい。

 

 5月中旬、大手研究機関の「ヘリテージ財団」での昼食会だった。

 

 発言者はこの保守系シンクタンクのアジア専門の上級研究員、ブルース・クリングナー氏である。

 

 普天間基地問題その他の調査のために日本や韓国を訪れ、両国の多数の関係者たちと面談して帰ってきたばかりだった。

 

その調査の報告の中で発せられた日本のソフトパワー批判だった。

「安全保障の実現にはまずハードパワーが必要」

 日本のソフトパワーとは、国際社会での安全保障や外交戦略、平和の実現のためには、軍事や政治そのものというハードな方法ではなく、経済援助とか対話とか文化というソフトな方法で臨むという概念である。

 

 その極端な表れが、おそらく鳩山由紀夫首相の「友愛」だろう。

 

 特に日本では「世界の平和を日本のソフトパワーで守る」という趣旨のスローガンに人気がある。

 

 ところがクリングナー氏は、「パワーというのはそもそもソフトではなく、堅固で強固な実際の力のことだ」と指摘する。

 

 つまり、パワーはハードなのだという。

 

 そのパワーにソフトという形容をつけて並列におくことは、語法として矛盾、つまり「オキシモーラン」だと言うのである。

 

 クリングナー氏が語る。

 

 「日本の識者たちは、このソフトパワーなるものによる、目に見えない影響力によってアジアでの尊敬を勝ち得ているとよく主張しますが、はたから見れば安全保障や軍事の責任を逃れる口実にしか映りません。平和を守り戦争やテロを防ぐには、安全保障上の実効のある措置が不可欠です」

 

 確かに、今展開されるアフガニスタンでのテロ勢力との戦いでも、まず必要とされるのは軍事面での封じ込め作業であり、抑止である。

 

 日本はこのハードな領域には加わらず、経済援助とか、タリバンから帰順した元戦士たちの社会復帰支援というソフトな活動だけに留まる。

 

 「日本の最近の地位低下は著しく、このままではアジアでの第二線の中級国家へと転落していくことでしょう。アメリカの同盟パートナーとしての責務も果たしそうもない。鳩山政権になってからの、普天間基地移設問題への対応に集約された日米同盟からの離反の兆しは、日本をさらに弱体にします。

(つづく)

 

残りはJBPress(日本ビジネスプレス)の以下のサイトでみられます。

    http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3573