【緯度経度】ワシントン・古森義久 JETは日米交流の成功例


 

 私がもう10年近く通う「ジョージタウン大学・ワシントン柔道クラブ」で最も強い米国人選手のひとりはアービン・ブランドンという3段の青年である。首都圏の各種大会ではまず負けることがない。同クラブには東海大学出身の大川康隆、片渕一真などという日本の学生柔道の一線級も長期間、指導にきているが、アービンはこれら強豪にも簡単には投げられず、堂々たる稽古(けいこ)を展開する。

 

 30代前半の彼は職業は本格的な要人警護のSPである。私が新聞記者だと知って、もうだいぶ以前から日本の政治についてよく質問をしてくる。鋭い角度からのきわめて時宜にかなった問いである。しかも日本への親しみや敬意をいっぱいに示して語りかけてくる。

 

 日本になにかかかわりがあるのかと問うと、「JETプログラムの一員でした」という答えが返ってきた。JETとは日本の政府が各地方自治体と協力して、米国などの若い男女を英語教員として招く「語学指導などを行う外国青年招致事業」のことである。アービンはその英語指導助手として1999年からの3年間、岩手県の一関市近くの公立小中学校で英語を教えたのだという。

 

 「岩手の3年間で日本の敬老の精神や他者への寛容、そして調和について学び、黒人である私の祖父母の価値観ともそう異ならないと感じました。日本社会では『出る杭(くい)は打たれる』という暗黙の鉄則もあると聞き、当初は注意したけれど、岩手の人たちは私のような外部からの人間の意見にも耳を傾けてくれました」

 

 ワシントン地区で生まれ育ったアービンは黒人の名門校のハワード大学を卒業してすぐ22歳でJETに応募し、岩手県に送られた。まず気にした人種にからむ反応は「私自身が注目を浴びたことは間違いないが、ネガティブな対応がまるでないのは驚くほどでした」という。そして英語指導のかたわら柔道に励み、他の武道にも接した。

 

 「日本の武士道の精神を自分なりに学び、いまの警護の職務にも生かしています。日本での体験全体が私の人間形成に測りしれないほど役立ちました。最大の教訓は、日米が異なる文化にみえても両国民の人間レベルの核心は驚くほど共通していると実体験したことでしょうか」

 

 米国社会でもいまのアービンは柔道を除けば職業でも、私生活でも、日本からは遠いところにいる。だがいまも日本への温かい思いをためらわずに示すのだ。

 

 実は私は彼のこうした日本観にそれほどびっくりはしなかった。なぜならこれまでに会った多数のJET経験者の米国人男女たちが、ふしぎなほど一様に日本への好意や善意をあらわすのに接していたからだ。要するにJETで日本で2、3年、暮らして帰ってくると、日本が好きになったという人たちがほとんどなのである。その点では日本の対米交流計画ではJETは最大の成功例といえるだろう。

 

 1987年に始まったJETの最大対象は米国だった。いまでは日本が招く若者たちの国の数は36にまで増えたが、これまで滞日した合計約4万4千人のうち約2万5千人が米国人である。そのなかには、ブッシュ政権の国家安全保障会議アジア上級部長となったマイケル・グリーン現ジョージタウン大学教授や、日本政治の研究で知られるレオナード・ショッパ・バージニア大学教授も含まれる。

 

 このプログラムは、日本への善意や親近感だけでなく日本についての知識や理解を唯一の超大国、唯一の同盟国たる米国の内部にしっかりと植えつけてきた。だが日本の民主党の菅政権はいまやこのJETプログラムを廃止すべきだとして、「事業仕分け」の対象にあげたのだという。

 

 いまのJETが確かに拡大しすぎて、焦点がぼけてきたという側面はあるだろう。だがそのすべてが廃止